第77話
青とお互いの想いを確認しあったその2日後、私はレストランのテーブルについていた。
テーブルの向かい側には見知らぬ男性が。
ななちゃんに指定されたレストランで、ななちゃんの名前を告げれば席に案内されるからという言葉の通りに行動したのはいいのだけれど、通されたテーブルには見知らぬ先客がいた。
ななちゃんと同じ編集者の方なのかなと思って、頭を下げて、自分の名を告げた。相手は自分の名を名乗ることもせず、
「どうも。座ったら?」
と、無愛想に言い放たれただけだった。
この人、編集者の人なのかな。こんな失礼な態度をするものなのか。
ななちゃんといつも一緒にいる編集者の人だって無口だけど、そんな失礼な態度を取られたことはない。
もしかして、場所を間違えた? テーブルを間違えたとか。本当はここじゃないんじゃないかな。
向かい側に座って優雅にコーヒーを飲んでいる人をちらちらと観察しながらそんなことを考えていた。
「君は間違っていないよ。ここでいいんだ」
「えっ?」
私の思考はどこかから漏れていたんだろうか。思わず頭を抱えた。そこから私の感情が漏れ出ているわけではないのだが。
「君の感情が頭から漏れてるわけじゃないよ。顔だよ、顔。君は全て表情に出るんだね」
ケタケタと何が面白いんだか、私を見て笑っている。
若干不愉快に感じて頬を膨らませば、その人の笑いはより大きいものへと変わっていく。
何この人、笑い上戸なのかしら。どっちにしても失礼な人に変わりはない。
「そっ」
文句の一つも言ってやらなきゃ気が治まらないと口を開いたが、それを打ち消すように頭上からななちゃんの声が落ちてきた。
「あらっ、打ち解けてるみたい。良かった。その様子じゃ自己紹介は済ましてるかな?」
「まだだけど」
ななちゃんの屈託のない笑顔に毒気を抜かれ、そう答えた。
「名前をまだ聞いてない」
「おや、まだ名前を言ってなかったかな? それは失礼。申し遅れました、秋山美月です。よろしく、紅ちゃん」
第一印象とはまるで真逆の人の良さそうな笑顔にあんぐりとだらしなく口を開けていた。それがまた可笑しいのかくつくつと笑っている。
「あれっ、だって……。女の人じゃないのぉ?」
そう、そもそも目の前の人を編集者だと思っていたのは今日会う人が女性だと信じて疑わなかったからだ。
だって、美月っていったら普通女の人だって思うでしょ?
「やっぱりそう思ってたんだね。勘違いしているっぽいのが面白かったからつい観察してたんだけど、本当、面白いねこの子」
本当にこの人があの原稿を書いた人なの?
笑い上戸のその男をまじまじと見つめた。
「ななちゃん、俺ものすごい見られてるんだけど、惚れられてしまったんだろうか」
「いえ、全くそうではないと思います。ただ単に状況を判断しかねているのと、先生のことが物珍しいだけだと思います」
真剣な表情でななちゃんに訴えかけるその男を、ななちゃんは軽くいなした。
「あっ、そう。それは残念。こんなに可愛い女の子なら、大歓迎だったのにな。紅ちゃん、もしよかったら俺のハニーになってくれないかな?」
「えっ? えっ? ええっ?」
「紅。この人はいつもこうなんだから、何も動揺する必要はないの。軽く流してしまっていいの」
ななちゃんがそう言いながら、私の隣りに腰をおろした。
そういえば、ななちゃんが今村先生の話をした時、手が早いから気をつけてと言っていたのを思い出す。
思いっきり忘れていたけど、ななちゃんが言いたかったのはこういうことだったのか。確かに、手が早そうだ。
目の前に座る今村先生をこっそりと覗き見る。
歳は20代に見えるけど、恐らく30代なんじゃないかなって思う。座っていて解らないけど、立てば天を見上げるほどの身長がありそうだ。ブラックのスーツを優雅に着こなし、つやつやに光る黒髪が、日の光を浴びてキラキラと輝いている。青にはなく、マスターともまた違う大人の魅力を持っている。そして、お顔も端正に作られている。いわゆるイケメンさんだ。
モテるんだろう。確かに、手が早そうなのかもしれないが、眉を顰めたくなるような軽さが感じられない。強引でもなく、かといって弱気でもなく、恋愛の駆け引きに長けていそうなそんな印象を受ける。遊んでいるって言えばそれまでだけど、女の人を泣かせたりはしなさそうなそんなイメージ。例えば、二股したとしても、双方が納得してしまうような巧みな話術で、笑顔でお別れが出来るような……。
とにかく、あまり深く関わらない方が良さそうなタイプだ。
私みたいな単純なお子ちゃまには、手におけないタイプってことだ。
「紅? もうっ、紅ったら聞いてるの?」
「ふへっ? えっ、ああ、ごめん。何?」
「だから、この間話した絵、持って来てくれた?」
昨日の夜、ななちゃんから電話があって、最近描いた絵があったら持って来て欲しいと言われていたのだった。
「ななちゃん。仕事の話はあとにしないか? ランチなんだから、ゆっくりご飯くらい食べさせてくれよ。仕事の話はあとでも出来るだろ?」
今村先生の笑顔で、ななちゃんはそれ以上何も言えなくなった。
「そうですね、すみません。そうしましょう」
「紅ちゃんは、彼氏いるの?」
「えっ、はい」
返事をしながら、青の笑顔が脳裏に浮かんで、自分も笑顔になった。
「幸せそうだね。いいな、君の笑顔を間近で毎日見られるなんて」
この人がさらりと言った言葉は、どれもとても甘い。だけど、こんな言葉はどんな女性にも向けられている言葉なのだろう。これで、メロメロにされる女性も少なくない筈だ。罪な男だ。
「どうでしょうね。そう思ってくれてたら嬉しいですけど」
「私、まだ紅の彼氏って会ったことないわよね。どんな人なの?」
「ななちゃん、会ったことあるよ。ほら、お店でもう一人働いていた人いるでしょ? あの人なの」
私の頬は確実に真っ赤になっているだろうと思う。好きな人の話をするだけで、こんなに照れてしまうなんて、どうかしてるのかな。付き合い始めてもう大分経つのに、青の話をする時はいつでもドキドキが止まらない。
自分の彼氏の話を淡々とする事なんて、私には一生出来ないのかもしれない。
「ええっ! あの、超絶イケメン君っ?」
「うんっ」
超絶イケメン君……。
確かに、青は超絶イケメン君なのだけど……。私は別に青の顔を好きになったわけではないのだ。そう、私はタイプでいえば、マスターとかこの目の前にいる今村先生のような大人な魅力たっぷりな男の人の方がタイプなのだ。
青は、タイプとは正反対の人なのかもしれない。それでも、好きなんだから、タイプなんてあてにならないものなのかもしれない。
「へぇ、そんなにイケメン君なんだ?」
「そうですよっ。あれは、もう芸能界に入ってても全然可笑しくないくらいの、いや、あれはもうそこらの芸能人より男前ですっ」
何故か、興奮気味のななちゃんが、しきりに青について語っていた。
「会ってみたいな、そんなイケメン君。俺の知り合いにも超絶イケメン君がいるんだよ。彼は髪の毛を金髪に染めていてね。ピアスも沢山していて、一見不良っぽいけど、中身はとてもピュアな男なんだ」
その話を聞いて、紫苑さんを思い出したのは何故だろうか。名取さんが、紫苑さんは髪の毛を金色に染めていたと言っていたからだろうか。それとも、私の中で紫苑さんは絶対にどんな外見でも、いい人に違いないと信じているからだろうか。
仕事が忙しくて、昨日は更新ができませんでした。ごめんなさいっ。今日も、午前中忙しくて、こんな時間になってしまいました。