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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
75/104

第75話

「ちょっちょっと待ってよ。青。何処行くの?」

 私の手を引いたまま、小走りに先を進む青の背中に声をかけた。

「俺ん家」

 振り向きもせず、簡潔に答えた青の声はとても焦っているようにも聞こえた。

「どうして?」

「今ここで、聞きたいの?」

 突然立ち止まり振り返るものだから、私は青の胸にぼふんと顔をぶつけた。

 再び同じ言葉を言われ、意味も解らず顔を上げれば、間近に青の顔があり、その表情は言い難いような艶っぽさを持っていた。

 えっ……?

「聞きたい?」

 人通りの少ない路地にもう既に入っていて、青のアパートはもう見えている。

 誰もいないことを良いことに、青の顔がどんどんと近付いてくる。いや、青のことだから、人気があったとしても同じことをしていたに違いないのだけれど。

「えっと、聞きたくないかも……?」

 何故か焦って疑問形で青に問いかけてしまった私を、艶やかさいっぱいの潤んだ瞳が見つめている。

「紅が悪いんだぞ」

「えっ、えっ、何が?」

「紅があんな顔で笑うから……。俺がどれだけ我慢して来たと思ってんの? もう、無理だからね」

 どれだけ我慢して来たと思ってると言われても、男の人のそういうのには疎いものだから、全然理解出来ないのです。

 だって、青凄く傷付いてたし、いろいろ大変そうだったし、それどころじゃないんだろうなって思ってたから。

「えぇっと、私はどうすれば?」

「それを聞く?」

「だって……」

「今日は、拒否することは許さないよ」

 最初から青の瞳に見つめられて、拒否出来たためしもないのだが……。

 有無を言わさぬ青の瞳は、私を捕らえたまま放すつもりもないようだ。逃げるつもりもないのだが、今日の青はちょっと怖い。

「拒否なんてしたことないでしょ?」

「確かに。拒否されていたのは、付き合う前だった」

「だって、あの頃の青は強引で、高慢ちきで、ずるかったもの。自分の気持ちに素直になるのが遅れたのは、青がそうやって私を追い詰めたからなんじゃないの?」

 何だかあの頃の二人がずいぶん昔のように思えてくる。あの頃は、マスターと青の間で揺れていた。揺れていたことさえ気付いていない自分がいた。最初から青のことが好きだった筈なのに、気付こうとさえしなかった。マスターを好きでいたいと思う自分がそれを押さえていたのだろう。

 あの頃の自分が今の自分を見たら、酷く驚くだろう。青と付き合うなんて考えられないと思っていたんだから。苦手だと思っていたのだから。

「俺のせい? んん、あの頃は気持に歯止めが効かなくて、自分自身を持て余してた。って言っても、紅のことになると歯止めが効かないのは今も変わらないけど」

 ふっと表情を和らげた青に私は目を奪われた。

 堪らなく愛おしい気持ちになって、青の胸に顔を押しつけた。

「青……。寒くない?」

 それは、早く帰ろうよ、と同じ意味を持つ言葉。

「うん、寒い。帰ろう」

 今度は、二人並んで青のアパートに向かった。


 青のアパートに着くと、早々に私を抱き締め、唇を重ねる青。

「青……。待って、お願い」

「拒否は許さないって言ったろ」

 再びキスを始めようとする青の胸を押し放した。

「違うの。その前に、渡したいものがあるの。だから、少しだけ時間頂戴。駄目?」

 上目づかいで問い掛ければ、青が心なしか頬を染めて視線を逸らした。

「それ、反則。俺を殺す気? 可愛すぎて心臓止まるかと思った」

「そんな大袈裟な」

 苦笑を浮かべてそう言えば、憤慨とでも言いたいといった表情を浮かべる青がいた。

 一度青から離れて、自分のバッグの中をがさごそと探り、目的物を探索する。探り終えると、それを手に大事に持って、青の前に再び戻った。

 そして、それを青の前に突き出した。

「バレンタインのチョコ。当日に渡すことは出来なかったけど、ずっと渡したいって思ってた。私の手作りなんだけど、きっと上手く出来たと思うんだ。あっ、安心して。当日に渡そうと思ってたチョコは、もう渡せないだろうと思って自分で食べちゃったから、これは作りなおしたものなの。だから、腐ったりとかしてないから。昨日、マスターが早く帰らせてくれたから、その間に作ったんだよ」

 私の手の中にある赤い包装紙で包んだ箱を見つめたまま、受け取ろうとしない青を見て、少し不安になった。

 受け取ってくれないのかな?

「青……?」

「あっ、ごめん。なんか、信じられなくて。今年は紅に貰えないんだって諦めてたから、まさか貰えるなんて。ありがとう。誰に貰うチョコよりも紅に貰ったものが一番嬉しい」

 私の声に弾かれたように顔を上げた青が、機関銃の弾丸のように話し始めた。

「青、もしかして照れてるの?」

「うぇ? 違うっ、違うよ」

 こんな慌てた青を見るのは初めてかもしれない。

「やっぱり照れてるんじゃない。青は、沢山女の子からチョコ貰って来たでしょ? 照れることないのに」

「紅のチョコは特別。俺、このチョコ食べずに一生取っておこうかな」

 青が赤い箱を大切に手に包み込んだまま、そう呟いた。

「それは駄目っ。私、折角青の為に作ったのに……。食べてくれなかったら、怒るよ。そうだっ、隠して、どっかに仕舞っておくといけないから、今ここで食べて」

「え? ここで?」

 どうやら本当にどこかに隠しておこうと思っていたようだ。私の鋭い目に睨まれて、青は諦めたように包装紙を解いて行く。

「おおっ、美味しそうだ」

 それじゃ、まるで全然期待してなかったけど、以外にも美味しそうだって感じに聞こえるんですけど。

 不服気な私の表情など、気付きもせずに青はチョコの一つを口に入れた。

「美味しいっ」

 青が微笑んで、そう言うとたった今不服を感じた私の心はもう既に喜びモードで、幸せを噛み締めていた。

 青が笑ってくれたのが嬉しい。ずっと辛い顔ばかりを見て来たばかりなので、ほんの小さな笑顔にさえ嬉しさで涙が零れそうになる。

 物思いに浸っていると、いつの間に来たのか目の前には青の顔が。驚く間もなく唇を奪われ、口の中にチョコの甘さが広がった。

「紅にもおすそ分け」

 青が口移しでチョコを私におすそ分けしてくれたようだ。自分で作ったチョコをこんな形で食べることになるとは思わなかった。

「ありがと。甘い」

「そりゃ、チョコだし」

 違うよ。甘いのはこのシチュエーションだよ。口移しでチョコを半分こなんて甘過ぎるじゃない。

「うん。甘いね」

 私の言わんとしていることに合点がいったのか、青は微笑んでそう言った。

「紅。ありがとう。凄く嬉しかった。俺、ずっと紅に寂しい思いさせて来たのにな。紅、改めて紅に誓うよ。俺はもう二度と紅を放したりしない。どんな事があっても。ずっと一緒にいる。ごめんね、紅。好きだよ。紅は俺のただ一人の女の子だ」

「いいの、青も寂しかったでしょ? 辛かったでしょ? 苦しんでいたのは青の方でしょ?」

 両手の平を青の心臓に押し当て、何かを掬うようにそれを自分の元に引き戻した。救い取った物を今度は自分の胸の中に押し込んだ。

 青は不思議そうな表情で私の一連の動作を見ていた。

「私が半分貰うから。青が抱え込んだ傷、私が半分貰ったから。そしたら、青は少しは楽になるでしょ? あのね、私、青と一緒なら苦しくてもいいの。悲しくてもいいの。青と一緒なら何だって耐えられるよ。耐えてみせるよ。傍にいたいの……」

 私の想いはダイレクトに青のハートに響いてくれるといい。

 「好き」って言葉がなくても、愛の告白は出来るんだよ。「好き」って言葉は、私には気恥かしくて容易には言えないけれど、その言葉がなくても伝わる想いはあると思うから。 

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