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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
73/104

第73話

 カランとドアのベルが鳴って、私とマスターが同時に振り向くとそこには彼が立っていた。

「青っ? どうしてここに?」

 そこに立っていたのは、ここにいる筈もない人。奈緒さんの隣りにいるべき人。青だったのだ。

「俺……。間違ってたんでしょうか?」

 マスターに視線を真っ直ぐに向けた青は、私の問いには答えなかった。

「俺はそう思うよ」

 マスターは口にくわえていた煙草を灰皿に押しつけると、顔を上げ青を真剣な眼差しで見つめそういった。

「俺は……。奈緒の気持ちには応えられないから、だから、せめて友達として、傷ついている間くらいは傍についていてやりたかった」

「ああ、それは理解出来るよ。幼馴染だもんな。助けてやりたいって思うのも解る。だが、その奈緒って女がもし、お前にこの先もずっと自分の傍にいて貰いたいって思うようになっちまったらどうするよ? 弱った心に、大好きな男が甲斐甲斐しく傍にいてくれたら、どんな女だって錯覚しちまうんじゃないのか? たとえ、そこにもう一人の人間が介入していたとしても、人間なんて都合よく解釈したくなるもんなんだよ。そうなった時、お前はどうするんだ? 紅を捨ててその女の傍にずっといてやるのか?」

「俺が紅を捨てる事なんてありませんっ」

 私は二人の会話を息を潜めて見守っていた。きっと今この時、二人には私という存在は消えてなくなっているような気がする。

「残酷なんだよ。中途半端な優しさは……。守りたいと願った女を守れないで、お前は何がしたいんだ? お前が他の女のところにいることを紅が気持ちよく思っているとでも思ってるのか?」

 青の視線がふいっとマスターから離れて私に向けられた。突然のことに上手く対応できなくて、曖昧な笑みを返してしまった。

 その不器用な笑みを青はどう感じ取ったのか、酷く悲しそうな表情をした。

 青を傷つけるつもりなんて毛頭なかったのに、私の下手くそな笑顔のせいでどうやら青を傷つけてしまったようだ。

「俺はどうすれば……」

「自分で決めろっ、男だろ。自分が一番大事な女を見失うんじゃねぇよ、馬鹿がっ。そんな生半可な男に紅はやれねぇぞ。誰かを守れば、誰かを傷つけることになる。それでも、守りたい奴がお前にはいるだろうが」

「俺……、俺っ、行ってきます。マスター、有難うございました」

 暫く沈黙のまま考えていた青だったが、マスターを見つめてそう言うと、頭を下げて踵を返した。

「待って、青っ」

 引き留めようと一歩を踏み出したが、マスターに肩を強く引き戻されてそれ以上先には進めなくなった。その間にも青はドアを開けて、暗い外界へと消えて行った。

 私は、青の背中を見守ることしか出来なかった。

「何で? 今、奈緒さんはお父さんを亡くして傷付いているんだよ? そんな時に青が奈緒さんの元を離れたら……」

「じゃあ、お前はその奈緒って女にブルーをくれてやるんだな?」

「違う違うっ、そうじゃないっ。今は、まだ早すぎるよ。もっと心の傷を癒してからでもいいじゃんっていってるの」

「じゃあお前はその心が癒えるまでブルーを貸してやるってことか? いつまででも」

「私は待てるよ。何週間だって何カ月だって、何年だって……」

「馬鹿言え。たかだか、1週間とちょっとで恋人恋しさに泣きそうになってる奴が、そんなに待てるわけないだろうが。何年ってお前馬鹿か? 何年も待ってたらその女と結婚するだろ。一生お前のとこには帰って来ねえよ。それでもいいのか?」

 青が奈緒さんと結婚?

 青が私以外の誰かと結婚するなんて、考えたこともなかった。私が、青以外の誰かと結婚することだって考えられない。

 青が私じゃない誰かと結婚するなら、私は祝福なんて絶対出来ない。笑っておめでとうを言うことはどう頑張ったって出来ない。きっと笑えない。

 私が青以外の誰かをこの先好きになる事なんてないと思うから、もし青と結婚出来なければ私は一生一人で生きて行くように思う。

「どうしようマスター……。私、笑えないかもしれない。青が奈緒さんと結婚したら、私笑えないかもしれないよ」

「そりゃそうだ。誰よりもあいつのことが好きなんだろう?」

 私は頷いた。もはや泣きそうな表情の私を見て、少し呆れた表情でマスターは見下ろす。

「だったら、誰にも渡すな。ちゃんと捕まえとけ。本当はイヤな癖に、他の女のところに行かせてんじゃねぇ。もっとお前は我が儘になっていいんだよ。あいつが欲しいなら、何が何でも手に入れろ。それが誰の涙を踏んだ幸せだって、お前に覚悟があれば乗り越えられるんだよ」

 覚悟……。

 きっと今までに欠如していたものは、この覚悟というものだったのだろうか。

 そもそも青はとても女の子にモテるから、私と付き合ったことで涙を流した人は多いだろう。私と青はその涙を踏み越えて、恋人同士になったのだ。私と青が二人、幸せで微笑み合っているその時、この世界のどこかで青のことを想って泣いている人がいる。二人が唇を重ねている時、苦しい胸をかき抱いて泣いている人がいる。二人が寄り添って寝ている時、枕を濡らしている人がいる。それが、現実なんだ。

 私には、その人たちに恥かしくない恋愛をしなければならないのではないか。そうでなければ、その人たちの涙が無駄になってしまう。

 その人たちの想いを背負ってでも、幸せを手に入れる為の覚悟。どんなことが二人の前に立ちはだかろうとそれを共に乗り越える為の覚悟。人を傷つけても青を愛し抜く覚悟。

「覚悟……か。私にはなかったのかな?」

「二人になかったんだ。誰かを傷つけたくないって思ってるからな。お前らは優しいんだ。だから、お前達二人が苦しむことになる。どんなに苦しくても傍にいたいと願う相手なら、その苦しみを背負う覚悟をしてみたらどうだ?」

 本気で人を好きになることは、幸せなことだけじゃ成り立たない。だから、苦しみと向き合う覚悟が必要なんだ。

 青を失いたくないから……。青とずっと傍にいたいから……。

 だから、奇麗事はもういらない。奈緒さんが傷付いているから、誰かが泣いているから、はもう言わない。

 誰かが傷付いているなら、誰かが泣いているなら、なにかほかの方法を考えればいい。私達二人が傍にいれて、それでも、その誰かが笑える方法を。場合によっては、上手くいかないかもしれない。どんな方法も誰かを傷つけることになるかもしれない。その時は、二人でその苦しみを乗り越える。それが、覚悟。

「マスター。私、青を失いたくない。その為の覚悟なら、背負ってみようと思う」

 覚悟は固まった。

 今、青が苦しみと闘っているのなら、青を優しく出迎えて目一杯慰めてあげよう。そして、奈緒さんが幸せになれるように、私達に出来ることを模索しよう。二人で……。

「そうだ。それでこそ、俺が惚れた女だ」

 満足そうに微笑むマスターに、少々動揺したものの、私もその笑顔に応えた。

「ふふふっ、惚れ直したでしょ? でも、私に惚れちゃぁ、いけないよ」

 人差し指を顔の横で左右に振り、ふざけてそう言うと、アホかっ、と首を絞められた。

「いひゃいいひゃいっ」

 必死に訴えて、漸く首が解放された。

「マスター。ありがとね。愛のムチ、私も青も感謝してる。だから、今日は感謝のしるしに肩揉みしてあげるよ。座って」

 マスターがいなかったら、私達はずっと離れたままだったかもしれない。もしかしたら、終わってしまう恋だったかもしれない。

 だから、そんなマスターに感謝を込めて、肩揉みをプレゼントします。

「痛っっってぇ! てめぇ、わざとだろっ」  

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