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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第7話

「ごめ~ん、マスター。うたた寝のつもりがすっかり本寝しちゃった。お願いっ、何でもするから許して~」

「仕方ねぇな、ベニは。んじゃ、客がいない時にでも肩なんぞ揉んでもらうとするかな」

 店に顔を出し、マスターに両手を合わせて謝ると、マスターは大して怒っている様子もなくそう言った。

「任してっ。私、肩揉みは得意中の得意だからさ」

 それじゃあ、そのうち頼むとするか、と呑気にマスターは言った。私は減給にならずに済んだとホッとしていた。

 ああ、マスターと喋るのはやっぱり落ち着く。誰かさんとは大違いだよ。

 ちらっとブルーを見ると、向こうも丁度こちらを見たのか目が合って、私は慌てて目を逸らした。逸らした後、なんで私から視線を逸らさなきゃならないんだと一人苛々した。

 私がその苛々を何とか霧散させた頃、一組目のお客さんが入って来た。

 吉井さんという常連さんだ。メガネが似合うお兄さんと言った感じのふんわりと柔らかな雰囲気を醸し出す吉井さんは、宝物酒造に勤めるサラリーマンだ。吉井さんは今日はもう一人男の人をお供に連れて来ていた。その人も眼鏡をかけていた。ちょっと暗そうな、真面目そうな感じの人だった。

「あっ、吉井さんいらっしゃい。今日は一人じゃないんだね」

「そっ、同じ会社の同僚なんだ。取り敢えず、生……2つね」

 同僚さんにお前も一緒でいいって感じで目配せをして、吉井さんが言った。

 は~い、と軽く返事をしてビールを出す。

 今日のお通しはもやしのナムルだった。

「吉井さんって宝物酒造で働いてるんでしょ? お酒作ってるの?」

「いやいや、俺達は二人とも営業なんだ。酒屋さんやスーパー、レストランなんかを回ってうちのお酒を置いて下さいって頭を下げるんだ」

「へぇ、営業って凄く大変そうだよね。ご苦労様です」

 テレビとか、周りの数少ない大人の知り合いとかを見ると、営業職についている人はとても大変そうだ。頭を下げるのが仕事のようなもの。

「そうなんだよねぇ」

 しみじみと吉井さんは言い、隣りの同僚さんに、なあ、と同意を求めていた。同僚は無言のままこくりと頷いた。あまり、この同僚さんはお喋りな方ではないようだ。

 それから二人は「お疲れ」と、グラスを軽くあてて小気味いい音を出し、乾杯して飲み始めた。

 暫く二人は会社の同僚の話や噂話、独身寮(二人は独身寮に住んでいる)での話、取引先の話などをしていた。私はその話を何の気なしに聞きながら、ブルーの方を見た。別に見たくて見たわけではなくて、つい目がそちらに向いてしまっただけなのだが。

 ブルーは、吉井さんと同僚(名前を安田さんといった)さんのすぐ後に来た女性3人組を接客していた。ブルー目当てなのがよく解る瞳をハートマークにしているような女性達は、我先にと質問攻めにしていた。

「どんなタイプの女性が好きですか?」

「誕生日はいつなんですか?」

「今、お付き合いしている人はいますか?」

「大学で何を勉強してるんですか?」

「今、いくつですか?」

「スポーツは得意ですか?」

「趣味は何ですか?」

「結構願望とかってありますか?」

「料理はしますか?」

「兄弟はいますか?」

「猫派ですか? 犬派ですか?」

「寝るときはパジャマですか?」

「ブリーフ派? トランクス派?」

 そんなの聞いてなんになると突っ込みたくなるようなどうしようもない質問のオンパレードだったような気がする。ブルーは無表情ながらもその一つ一つに応えているようだった。答えた後に少しでも頬を緩めれば、女の子達は絶叫するに違いない。それこそ、若いアイドルの男の子達が現れた時の黄色い声のように甲高い悲鳴のような絶叫が。

 ブルーの返答は声が小さくて、私の耳にまで聞こえてこなかった。

「ねぇ、ベニちゃん。聞いてる? 俺と吉井だったらどっちが好み?」

 ぼんやりしているうちに吉井さんの同僚安田さんは、どうやらほろ酔い気分になってしまっているようだ。見るからに陽気になっているのが解る。陽気なだけならまだいいのだが、ちょっとしつこいタイプのような予感がした。

 隣りで座っている吉井さんの呆れたような笑顔を見ると、安田さんがお酒を飲むとこうなってしまうのは、今に始まったことではないようだ。

「ねぇ、ねぇベニちゃ~ん。どっちなの?」

「どうでしょうねぇ」

 私が答えあぐねていると安田さんは少しやさぐれた感じでこう言った。

「やっぱりベニちゃんも、あっちにいるお兄さんやマスターみたいなイケメンが好きなんだよな。どうせ俺達はぶっさいくだよ。なあ、吉井ぃ」

 確かこの人、まだビール1杯目だったと思うんだけど。どうやら私が考えているよりもはるかに酔いが回って来ているようだ。飲めないんなら飲まなきゃいいのに。

「そんなことないですよ。安田さんだって吉井さんだって不細工なんかじゃないし、二人ともイケてますよ」

 私は、この1年ここで働いて来たのだが、酔っ払いの相手というのが物凄く苦手だったりする。こんな時どんな言葉を返せば酔っ払いが満足してくれるのか私には解らないのだ。

「じゃあ、俺?」

 じゃあって言われても、どっちがタイプって、正直二人ともタイプじゃないのだ。吉井さんは優しいしあのふんわりした雰囲気は凄く好きだけど、タイプってわけではない。

 私のタイプってとくにきまっていないんだろうけど、やっぱりマスターみないな人だったりするのかな。間違ってもブルーではない。

 私はどちらかというと、みんながイケメンと認めるような人は好きじゃない。好きじゃないと言ったら言い過ぎかもしれない。ただ、好きになったことがない。勿論、十中八九ならぬ十中十のイケメンさんの方から好きになって貰った事もないのだけれど。

 私は結局笑って誤魔化し、トイレに逃げようとした。だが、トイレに行くには、カウンター席の横を通らなければならない。二人の背後を横切らなくればならないのだ。いそいそとその背後を通る私を安田さんは腕を掴んで引き留める。

「きゃっ」

「ベニちゃん。別に逃げなくたっていいでしょ。俺、傷ついちゃうな」

「おい、安田。飲み過ぎだぞ、もう止めとけ。ベニちゃんが怖がってるじゃないか」

 吉井さんが何とか間に入って宥めようとしてくれるのだが、安田さんより一層腕を掴む手の力を加え、放そうとはしない。

 あと一分、いや30秒、あるいはもう気付いているかもしれないが、マスターが店の異変に気付いて来てくれる。だけど、マスターが安田さんを止めるより早く私の頭の中で何かがぷつんと切れる方が先だった。

 バシンっと響き渡る痛快な音。その音でお客さんの視線が集中する。人の視線なんて気にしていられなかった。

「ふっざけんなよっ。ここはクラブでもスナックでも、ましてや風俗でもないんだよっ。誰が私に触っていいって言ったよ。女だと思って舐め腐ってんじゃないよっ」

「ベニっ! もういいだろ。お客様に手を上げたことを謝れ」

 私はマスターの声で我に返った。我に返ったことで、自分の掌に感じるじんじんとする熱さを感じた。

 ああ、またお客さんをひっぱたいてしまった。

 私がお客さんをひっぱたいてしまったのは、これが初めてではなかった。何度か同じようなことがあって、マスターに殴るのだけはやめろと口を酸っぱくして言われていたことだった。

「すみません……でした」

「すみませんで済まされるか、このヤロー!!!」

 安田さんが唾をその辺に散りばめながら怒鳴った。

「ベニ、もういい。お前はブルーと一緒に休憩に入れ」

 私は悔しくて泣きそうなのを我慢していた。仏頂面でそれでもマスターの言うことに頷いた。


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