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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
69/104

第69話

 その日、お店は12時に閉店した。

 皆帰って行ったお店で久しぶりにマスターと二人きりになった。

「マスター。はい、どうぞっ」

 マスターにチョコレートを用意していたのだ。

「でも、12時過ぎちゃったからバレンタインでもなんでもないね。いつもありがとうっていうお礼チョコ」

 青にもチョコを用意していた。頑張って手作りした力作だったのに、結局渡せぬままバレンタインは終わってしまった。

 仕方のないことなんだけど……。

「ありがとな、ベニ」

 頭をくしゃりと撫でられ、猫になったような気分で目を細めた。

「ねぇ、マスター。例えば今も仲良くしている自分の幼馴染みが天涯孤独になってしまったとしたらどうする?」

「そりゃ、傍にいてやるよ。何にも出来ないかもしれないが、誰かに傍にいて貰うだけで心強いってこともあるからな」

「そうだよね」

 うん、そうだよ。そうなんだよね。

 青はきっと奈緒さんの力になりたいって思ってるんだよね。

 奈緒さんとお父さんがどれだけ仲良かったのかは知らないけど、この間お父さんの事を話していた奈緒さんの穏やかな感じからすると、良い親子関係であったと推察する。ならばお父さんを亡くした悲しみはより深いものだろうと思う。今、奈緒さんを支える事が出来るのは青と名取さんだけ。しばらく、青にまともに会えなくなると覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

「マスター。それじゃ、私帰るよ」

「おう、休みの日なのに働かせて悪かったな」

 黙り込んで考え込んでいた私に何か言いたそうだったが、結局それについては何も言わなかった。

「全然平気っ。じゃ、お疲れ様でした」

 今日、仕事があって本当に良かった。一人じゃきっと余計なことまでぐるぐる考えてしまったかもしれない。

 その日の空気は2月にしては温かく、北風も吹いていなかった。見上げた空に無数の星が輝いている。大好きな美しい星の筈なのに、一人で見る星は味気ないものに思えた。青と二人ということが当たり前になっていて、二人じゃない事が気持ち悪くって仕方ない。その気持ちを振り払いたくて歩き出した。一人で歩くいつもの道は光を失ったようになんだか侘しいものに感じられた。 青のアパートのドアにチョコをかけていこうかとも思ったが、今日青が帰って来ることはないよう気がした。今日は奈緒さんについてあげるべきなのだ。

 自分になんとか折り合いをつけてアパートに戻る。

 青と付き合い始めてから、夜を一人で過ごすことは数えるほどしかない。そんな夜でも大抵電話で夜遅くまで話しているので、寂しいと感じたことはなかった。傍にいなくても、青の存在を身近に感じることが出来ていた。でも、今夜は青の気配があまりにも遠い。ぽっかりと開いた心の穴がスースーと風を通して寒い。

 青、会いたいよ……。会いたい。寂しいよ。

 あげることの出来なかったチョコが入った包装された小さな箱を眺めた。

 思いついたようにバッグの中から携帯を取り出す。着信はない。当たり前、青は忙しいのだから。考えなくても、それどころではないことくらい解る。それでも大分期待していた自分に気付かされた。

 その夜、私は携帯を抱いて眠った。何度も何度も目を覚まし、携帯をチェックしていた。だが、青からのコールがなることはなかった。


 私が目を覚ましたのは、遠慮がちなノックの音を聞いたような気がしたからだ。

 コンコンっ、コンコンっ。

 その音は夢でも気のせいでもなく、現実にうちのドアを誰かが叩いている音だった。時計を見ると、5時を少し過ぎた時刻だった。

 こんな早い時間に一体誰が……。

「……紅」

 ドアの向こうから聞こえてきた遠慮がちで少し掠れた声を聞いて、私は飛び上がってドアに向かった。まだ早い時間というご近所さんへの配慮をすることも出来ず、どたばたとドアまで行き、勢い良く開いた。

「青っ」

 勢い余って青の胸に飛び込んだ。

「紅。こんな早くにごめん」

「そんなの全然にいよ。それより、青、体冷たいよ。いつからここにいたの?」

 青を招き入れて、暖房のスイッチを入れた。それから、お湯を沸かし熱々のお茶を出した

「青?」

 黙りこくる青に声をかける。お茶に手を着ける様子もない。

 暫くの沈黙の後、意を決したように顔をあげて口を開いた。

「奈緒の父さんが死んだんだ」

「うん。お父さんから聞いたよ。奈緒さん、辛いでしょうね」

「紅。俺、紅が大好きだ。ずっと傍にいたい。片時だって離れたくない。だけど、今奈緒が苦しんでるんだ」

 青もまた苦しんでいるように見えた。それは、何に対する苦しみなのだろう。

「うん。奈緒さんの傍にいてあげて。私は待ってるから、大丈夫。暫く会えないだけでしょ? 寂しくないって言ったら嘘になるけど、奈緒さんは今もっと辛い思いをしているんだもん。ね?」

 引き留めたい。いくら幼馴染みの辛い時だからといって、青を他の女の子の元になんて行かせたくはない。恋をしている女の子は誰だってそう思うよね? きっと、こんな風に思うのは私だけじゃない筈。だけど、奈緒さんのお父さんが亡くなったと聞いたその時から遅かれ早かれ青がそう言うだろうと予測していた。

 覚悟はしていたつもりだけど……。

「ありがとう。バイトも一週間ほど休もうと思う。名取と奈緒の傍にいてやりたい」

 別にお別れを言い渡されたわけじゃない。なのに、どうしてこんなに胸が痛むんだろう。どうして苦しいんだろう。

 奈緒さんには青と名取さんが傍にいてくれる。

 ねぇ、青。じゃあ、私は? 私は、誰に傍にいて貰えばいいの?

「青と名取さんの友情パワーで奈緒さんを元気にしてあげて」

 落ち込んでいるように見える青を安心させる為に笑顔を向ける。青が堪らずっといった感じで私をぎゅっと抱き締めた。

 笑顔の下は、泣き顔であることを必死に隠して、青の背中をギュッと掴む。

「紅、キスしてもいい?」

 青の弱々しい声が耳元で響く。青、元気出して。これから奈緒さんを元気づけようっていう人の声じゃないよ。

「いいよ」

 青が元気がないのなら、私が元気にしてあげる。青と会えない間、私をいつでも思い出せるような最高のキスと最高の笑顔をあげる。

「大好きよ、青」

 滅多にしない私からのキスは、私の想いをたっぷりと詰めた贈り物。だから、きっと青も喜んでくれる。

 そうでしょ? 青。

「紅、暫く名取ん家に泊まることにしたんだ。毎日メールする。電話もする。毎日紅のこと想ってるから」

「もう、大袈裟。会いたくなったら会える距離にいるんだからね」

 そう、名取さんは実家に住んでいるから、桔梗さんの家の近所。駅の向こう側に行けば大して遠くはない筈だ。ならば何故ここまで大袈裟なのかと言えば、奈緒さんが元気になるまで青が私に会わないと決めているからだ。

 青は知っているのだ。奈緒さんが青を好きだということを。落ち込んでいる奈緒さんを支える為に傍にいると決めたなら、私の存在を消した方がいい。落ち込んでいる時の思考はマイナスに動きがちになる。傍にいると言ったのに、好きな女の所にどうせ行ってしまうと思ってしまったら、情緒が不安定になる。青はあっちもこっちもとするのではなく、奈緒さんだけの為に今という時間を注ぎ込もうと考えているのだ。

 奈緒さんがいつまでも立ち直れなかったら、青は戻っては来ない。私と青は直接的に別れたわけではないが、限りなく別れたのに近い状態にいると言っていいのではないか。お互いを信じ切れなければ、私達はすぐに終わってしまう。そんな細い糸で繋がれた関係なのかも知れない。


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