第67話
名取さんは、私達の働くお店『BabyKiss』に行きたがったが、生憎今日は日曜日なので店は店休日だ。残念なのか、良かったのか正直よく解らない。
美味しいと評判のパスタ屋に入り、席に着いた。私の隣りが青だというのは当然と言えば当然なのだが、私の目の前には奈緒さんが座っている。ふとした拍子に視線が合うのが、堪らなく居心地が悪い。奈緒さんが青を好きだと知ってしまったからに他ならない。だが、あれから大分月日は流れた。彼女の想いがまだ続いているのかは解らない。彼女の視線を注意深く探っていれば解るかもしれないが、知りたいと思う半面知りたくもない。知ったところで自分が追い詰められるだけなのだ。
「紅は何食べる?」
「えっ、う〜んと、じゃあこれにしようかな。青は?」
「俺はこれ」
「それも美味しそうだね」
「じゃあ、紅にも食べさせてあげるね」
私が選んだのは、キノコのスープスパゲッティ、青が選んだのはボンゴレロッソだった。
「青って本当にベニちゃんが好きなのねぇ。傍から見たらデレデレもいいところね」
メニューを見て、これは美味しそうだとか、今度来る時にはこれを頼むなどと議論していた私と青を見て、奈緒さんは言った。
「この間、俺、二人の濃厚ラブラブキッス見ちゃったのよ」
何てことバラしてんのよ、名取さんはっ。
名取さんが余計なこと言うから、見ちゃったじゃないの。奈緒さんが傷ついた表情をしたその瞬間を。見たくなかったのに。バラされた恥ずかしさなんかよりも、そのことへの衝撃の方が強かった。
「ベニちゃんが色っぽかったんだよねぇ。青のキスに酔いしれてるって感じで。キスしてる時の女の子の表情って素敵っ。青は青で激しかったよなぁ。ベニちゃんが青に食べられちゃうんじゃないかってちょっと心配になったくらいだよ。あんなに強引なキスするとは思わないから、見てるこっちがドキドキしちゃった」
「「名取(さん)それ以上言ったらただじゃおかないぞっ(からねっ)」」
私も青も我慢の限界に達するのが同時だった。立ち上がり、言い放った言葉も同じだった。
「双子みたいに息ぴったりね」
奈緒さんがクスクスと肩を揺らして笑っている。先程の傷ついた表情はもうすでにない。切り替えが早いというのか、はたまた立ち直りが早いというのか。
周囲の視線と羞恥心に耐えられず、ストンと腰を下ろせば、そのタイミングまで一緒だった。青と見合って苦笑する。
「本当に仲がいい。羨ましいわ。青は幸せね」
「幸せだよ。紅がいるだけで、幸せなんだ。いいだろ」
嬉しそうに語る青を眩しそうに見つめる奈緒さんが、幾らか寂しそうに私の目には写った。きっとそれは青や名取さんには気付かれない程度のもの。
奈緒さんは大人だと思う。こんな風に気丈に笑っていられるなんて私には到底無理だ。
料理が運ばれて来て、おしゃべりを中断してそれぞれがそれぞれの料理に舌鼓を打つ。噂通りの美味しさにしばし無言で料理と向き合う。
あらかた料理が終わった頃、名取さんの携帯が鳴り出し、席を外した。青はお手洗いに行く為席を外し、テーブルには私と奈緒さんが残され、必然的に二人きりになってしまった。
「そんなに身構えなくても、取って食ったりしないから安心してね」
クスクスと笑いながら言う。
「そんなっ、身構えてるなんてとんでもないっ」
でも身構えていなかったと言えば嘘になる。二人きりになって緊張したのは確かだ。
「きっとあなたはもう気付いているのでしょ?」
何を言っているのかは解っている。だが、奈緒さんの寂しそうに笑う姿を見ていたら何も言えなくなった。
「私は青が好き。幼い頃からずっとずっと好きだった。青には何人も彼女が出来たけど、気にも留めなかった。青にとってそれが本気ではないと解っていたから。気に留める必要もなかった。だけど、あなたは違う。青は本気であなたに恋をしている。ずっと見ていたから解るの。私は完全に失恋してしまった。悔しいけど、青があんなに生き生きと笑うようになったのはあなたのお陰だし、彼がお父さんと仲直り出来たのもあなたのお陰なんでしょ? 安心して、私、二人の邪魔をしたり決してしないから。心配しなくて大丈夫よ」
私が奈緒さんの気持ちに気付いていることに、奈緒さんは気付いていたのだ。そして、私を気遣ってくれている。
「奈緒さんは青のこと諦められるんですか?」
「解らないわ。正直、私にも解らない。だけど、積極的に彼氏を探そうとは思ってるの。青よりもっといい男見つけなきゃね」
凄くいい人なんだと思う。心から青を好きだと思っていて、そして、青の幸せを一番に考えることが出来る人。
今は青のことがあるから難しいかもしれないけど、いつか、友達になれるかもしれない。
青が戻って来て、話しは中断を余儀なくされた。
もし、奈緒さんがはっきりとものを言うタイプの女性で、私など青には釣り合わないのだから手を引けと言われていたとしたらどうだっただろう。私は手を引くだろうか、いや引かないだろう。自ら手を引けるほど半端な気持ちは持ち合わせていないし、負けず嫌いなので、喧嘩を売られたら必ず買ってしまう。手を引けと言われて大人しく手を引くほど私はいい子ではないのだ。
「私、そろそろ行かなきゃ。面会時間に間に合わなくなっちゃうから」
「ああ、そうか。親父さんによろしく」
「うん、伝えとく。優も一緒に連れて帰っちゃうから、あとはごゆっくり。ベニちゃんまたね」
「あっはい、また」
手を振り去って行く奈緒さんに、小さく手を振り見送る。
「面会時間って、奈緒さんのお父さん、入院してるの?」
「うん。末期ガンなんだそうだ。余命を既に越えている。奈緒は母親が中学生の頃に亡くなっていて、親父さんと二人なんだ。もしその親父さんまで亡くなったら、あいつ一人になっちゃうんだ」
余命を既に過ぎた末期ガン。それは、この先いつ死んでもおかしくないということだ。そんな重病のお父さんがいるのに、あんなに笑っていられるなんて。奈緒さんは強い。奈緒さんの心の内が本当のところどうなのかは解らないが、あの笑顔を滅多に崩しはしない。笑顔の下では泣いていることもあるだろうに。それを他人に悟らせない強さがある。とことん気丈な人だ。
「一人は辛いね。奈緒さんにも支えになってくれる人、見つかればいいのに」
「そうだね。俺にとっての紅のような存在があいつにもいてくれたらいいんだけどね」
テーブルに置いていた手に青の大きな手が添えられ、ニッコリと上目使いで見つめられたら、私の心臓は急に速度を上げて走り出す。付き合い始めてから1ヶ月はとうに過ぎていた。毎日毎日少しずつ青への想いが積み重ねられ、重くて重量オーバーな筈なのに、膨れ上がる想いは衰えを知らない。私は一体何処まで青を好きになればいいんだろう。
「青。そろそろ帰ろう。わっ私、青と早く二人になりたいな」
俯き、額に汗をかきながら言った。こんな直接的に自分の気持ちを伝えることはあまりしない。
「ねぇ、それって天然? こんな所でそんな可愛いこと言われたら、俺は色々と大変なんだけど。この場で押し倒したくなっちゃうでしょ? どうしてくれんの」
「えっちょっ待ってよ」
どうやら私はむやみに自分の気持ちを伝えない方がいいようだ。
「早く帰ろう、紅。今夜は手加減出来そうにないよ」
耳元で囁かれ、ふぅっと息を吹き掛けられた。気をしっかりと保つことさえ苦労させられる。私を苦しめて楽しんでいる大好きな青を恨めしい気持ちで睨みつけるが、それも上手くいかなかった。
皆さんこんにちは。いつも読んで下さり、誠に有難うございます。
わたくし事ではありますが、携帯を失くしてしまい、その中に入っていた小説のデータ、およそ5話分くらいを失くしてしまいました。とっととサイトの方に移しておけばいいものを、と後悔している今日この頃です。
そんな事情で、来週からもしかしたら平日毎日更新が難しくなるかもしれません。
恐らく大丈夫だとは思いますが……。ご迷惑おかけします。