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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第65話

 家に着くと、健二さんがリビングで本を読んでのんびりとしているところだった。

 母によって桔梗さんと健二さんが引き合わされ、形式張った挨拶がすむと男性陣はリビングで談笑を始め、私と母はキッチンでお茶の準備を始めた。

「あのさ、お母さん。青が何を言っても早まった真似だけはしないでね」

「な〜に、突然。何のこと?」

「何でもいいから、とにかく早まらないでってこと。いい? 絶対だよ、絶対っ」

 キョトンとした瞳で首を傾げる母は自分の親ながらちょっと可愛い。

「よく解らないけど、解ったわ」

 母が頷いたからといって、安心は出来ないけれど、ほんの少しだけホッとした。

 お茶とお茶菓子も出揃い、私も母もソファに身を沈めた。

「杉田さんも教師をなさってるんですか」

「ええ、そうなんです」

 当たり障りのない親同士の会話。なんか妙に居心地の悪さを感じるのは私だけだろうか。

 今日は私の隣りに母と健二さん、向かいに青と桔梗さんという並びで座っている。お見合いの席を想像してしまうのは、こんな風に親同士が当たり障りのない会話を繰り広げているせいだからだろうか。もしかして、この後、あとは若い者同士で、なんてさすがに言わない……か。

「お母さん、健二さん。俺、一生紅を大事にします。だから……」

 突然立ち上がった青が何かを言おうとしている。その表情はとても真剣で、覚悟に満ちていた。

 まさかこれって……。

「ちょっ、青っ」

 青が頭を下げ、叫んだ。

「娘さんを下さいっ」

 すると、青の隣りに座っていた桔梗さんも立ち上がり、

「娘さんを息子の嫁に下さいっ」

 と、頭を下げた。私は驚きのあまり口をあんぐりと開けて、二人を見ていた。青がもしかしたら、それらしいことを言うかもしれないというのは想定内だったのだが、まさか、桔梗さんまでもが頭を下げるなんて思いもしなかった。

「んふふっ。素敵っ」

 呆けていた私を現実の世界に引き戻したのは、母の声だった。

 私は隣りに座る母を見た。夢見る少女のような瞳。一体何を妄想しているの?

「娘を宜しくお願いします。快く差し上げますわ。持ってけどろほうっふふっ」

 再び呆然とする私。

 持ってけどろぼうって、こんな場面で母親たるものがそんな発言をするものなのか?

 隣りに座っていた母がすくっと立ち上がり、どこかへ行こうとしている。

「お母さん、どこに行くの?」

「え? お友達に結婚式場で働いている人がいるから、早速予約が取れるか聞いてみなくちゃ。それから知り合いのデザイナーさんにドレスを作って貰わなきゃならないし。それから……」

 ウキウキと自分のこれからの計画を語りだす母に、私は焦りを感じた。

「ちょっ、待ってお願い。早まらないでっ。結婚するって言っても今すぐとかじゃないからっ」

 やはり母は暴走しようとしていた。しかも娘の意向を聞くつもりもないようだった。自分の妄想する結婚式をそのまま実行するつもりでいるようだ。今すぐに。

「あら、どうして?」

 きょとんした顔でそう返された。

「だって、私まだ就職決まってないし」

「そんなの青君に永久就職してしまえばいいじゃないの。ねぇ?」

 そう言われるのは想像ついていた。いつまでも就職先を決めない私が悪いのだけれど。でも、だからといって青に同意を求めなくてもいいじゃないか。青も桔梗さんもしっかりと頷いているし、私が悪いみたいな雰囲気は止めて欲しい。

「まあまあ。そんなに急がなくてもいいんじゃないのかな? 俺なんかが口出すことじゃないかもしれないけど、二人が結婚したいと思った時が一番だと思うよ。それに、君がそうやって全て進めようとしては行けないよ。二人が、二人のペースで決めていく事なんだから。そうでしょ?」

「そうだけど」

 叱られてしゅんとなっている母を見て気の毒には思うが、私としては健二さんに助けられてホッとしていた。心の内で、健二様様〜、と拝みたい思いで一杯だ。健二さんがいなかったら私は母の言われるがままに、母の暴走を止められずに流れに身を任せたまま結婚していたに違いない。

 私だって今すぐにだって青と結婚したいよ。その気持ちは青と同じくらい。もしかしたらその気持ちは青よりもうんと強いのかも知れない。だけど、就職出来ないから青との結婚に逃げるみたいで、自分が好きなことや、やりたいことが見つけられないから青との結婚に逃げるみたいで、イヤなんだ。ちゃんとしたい。ちゃんと探して、見つからなかったら見つからないでいいけど、自分が満足するまであがきたい。

 今まで全く何もしてこなかったわけじゃない。母にどやされて、私なりに調べてみたりしている。学校にある求人を探してみたり、図書館にいって資料を集めたり、街を歩く際には色んな人が働いている様子を観察したりもした。ただ、今のところ成果は現れていないのだが。

「俺は紅を待ちますから大丈夫です」

 青が母に優しい声をかける。

「紅の相手が青君のような人で本当に良かった。いざ結婚ってことになったら言ってね。これでも、帽子職人をしている関係で色んな所に顔がきくほうだから」

「はい。その時はよろしくお願いします」

 どうやら丸く納まってくれたようで安心した。

「ああ、こんな時間だ。私はそろそろ失礼しなければなりません」

 桔梗さんが時計を確認して、残念そうに言った。

「あら、ご一緒に夕飯でもと思っていましたのに」

「申し訳ありません。妻が家で待っているものですから」

 妻という言葉に青がぴくりと反応した。青はきっとお母さんのことが知りたいんだ。本当はもっと、お母さんの今の状態を知りたいんだ。でも恐いんだ、知るのが。今も尚、自分のことを消し続けているであろうお母さんのことを知ることが。

「そうですか、残念ですね。また、今度は改めていらして下さいね」

「ええ、そうさせていただきます」

「じゃあ、私達も帰るね」

「そう、青君、また来てね」

 明らかに残念そうな母に、その背中をそっと摩る健二さん。この部屋は私達がいなくなれば一気に静かになるだろう。淋しがり屋(本人は認めないだろうが)な母だが、健二さんがいれば大丈夫だろう。


 母のマンションを出た私達は、桔梗さんを送るため、駅に向かって歩いた。桔梗さんの家、青の実家でもあるが、は駅の向こう側にある。だから、駅まで送っていこうということになったのだ。

「それじゃあ、また」

 青が桔梗さんに声をかける。長い間わだかまりを感じ続けてきた親子は、ぎこちなくお互いの距離感を計っていた。この先、少しずつ絆と呼べるものが育成されていくのだろう。

 桔梗さんと別れ、アパートへ向かう道中、青は私の手を放すことはなかった。

「青、怒ってる?」

 青の顔を見上げ、尋ねた。

「どうして?」

「だってお父さん、勝手に連れて来ちゃったから」

「ああ。お節介だなって思ったよ。だけど、怒ってはいない。むしろ呆れてる」

 痛い言葉を受けて、俯く。自分でもお節介であると自負している。青のことになると特に。

「ホントは感謝してる。ちゃんと話せて良かった。ありがとう」

「へへっ」

 どんなものよりも青の笑顔が私にとっての表彰状で、その笑顔が何よりの褒め言葉だった。照れ臭くって俯いたが、口元が綻ぶのを止めることは到底出来なかった。

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