第59話
「紅。どうした?」
玄関にいつまでも佇んだままの私に青が声をかける。二人はとおに部屋の中に入っていた。
「ううん。何でもない」
慌てて答える。
「ほら、紅おいで」
こうやっていつも青は私を呼ぶ。少し子供を呼ぶ父親みたいな気がするけど、そんな青の呼び声が私は堪らなく好きだ。
「ほぅら、ベニちゃん。俺の隣りにおいで」
向かって右側に名取さん、左側に青。名取さんは青との間、つまり真ん中に座るように促し、青は自分の左側、名取さんの反対側に座るように促した。
勿論私は青の左側に座ろうとしていたのだけれど、その途中で名取さんに腕を掴まれて、強引に真ん中に座らされた。
「ベニちゃんはこ~こ。ねっ」
呆気に取られていると、左から私を守るように青の腕が私の体に回る。
「お前、それ以上紅に触ったら絶交だかんな」
絶交って……。青が子供みたいな事を言ってる。しかも本気で。
「紅はここに座って」
青が指し示したのは、青の胡坐の上。
そりゃ、二人の時はいいとしてもよ、今は二人きりじゃないのに。
「ちょっとそれは恥ずかしいから、遠慮しとく」
「駄目だ。ここに座らないと危険だから」
いやいや、名取さんってどんだけ危険人物なんですか。
「どうしても、そこに座らなきゃ駄目?」
青を見上げて窺いを立てれば、力強く頷かれてしまった。
見なけりゃ良かった。青の瞳に訴え掛けられてしまったら、こちらが弱い。
そこに座り直すと、まるでシートベルトのように青の腕が回る。
名取さんに(会って間もない人に)こんな恥ずかしいところを見られていると思うと堪え切れず、両手で顔を隠した。
「ベニちゃん?」
「はっはい」
指と指の間から、名取さんにじっと見られているのが解る。
「あのっ、見ないで下さい。恥かしいんですからっ」
「うぉぉぉう、なるほどなるほど。青が好きになるのも解る気がするよ。いじりがいがあって、反応がめちゃくちゃ可愛いっ」
いじりがいがあるってどういうことですか? 名取さんも青と同じタイプの人ですか? 勘弁して下さい。
「手、出すなよ」
「いやぁ、そこまで言われると、人間だしたくなるもんだよね。ベニちゃん、こっちに来る?」
名取さんが自分の腿を叩いて、ケタケタ笑いながら言う。
「いえっ。間に合ってますから。お構いなくっ」
全力で拒否させて頂きました。
名取さんは一層大きな声を挙げて笑い続けていた。
……類は友を呼ぶ。
そんな言葉が私の脳裏を過ぎった。
「そんなに全力で拒否されると傷つくなぁ、俺。繊細に出来てるからさ」
「えっ、あっ、ごめんなさい。傷つけるつもりはなかったんですけど……。でも、やっぱり私は青の所いがいいので、お断りさせて貰います」
そう言うと、黙って聞いていた青の腕がギュッと強く私を抱き締めた。
「私、やっぱり今日は帰りますね。二人の邪魔になってしまいそうだし」
「紅、邪魔なのはこいつの方なんだよ?」
「もし、仮にそうだとしても、今日の所は帰るよ。明日朝早いし、家帰って寝なきゃ」
ここにいたら一向に寝られそうにもない。下手すりゃ朝までなんてことになりかねない。名取さんに青の小さい時の話とか色々聞きたいのは山々だけど、今日の所は諦めた方がよさそうだ。非常に名残惜しいけど。
「じゃあ、俺が送ってくよ」
名取さんが手を挙げてそう言った。
「却下」
「青、私、名取さんに送って貰うよ。心配いらないよ。うちはすぐそこなんだし、青が心配するようなこと、何かされたら思いっきり叫ぶから。ねっ?」
「解った。紅が言うなら、そうしよう。だけど、今この場所でキスしてくれたらね」
二ヤリと笑う青が恨めしくなった。青はきっと私が人の前でキスなんてしないと思ってる。わざとそんな難題を突き出して、諦めさせようとしている。
でも……。
「名取さん、申し訳ないんですけど、暫く目を閉じていてくれませんか?」
青の友達に見られながらなんて冗談じゃない。
青が私の発言に、小さく目を見開いた。
「いいよぉ」
名取さんは軽い返事をして、大人しく目を閉じた。
私は名取さんが目を閉じたのを確認してから、体の向きを変え、青の方に手を添えた。
「青は意地悪だ」
私がそう言うと、青はへへっと笑った。
惚れた弱みというものだろうか。許せてしまう自分がちょっと憎い。
ちょっと背伸びをして、青の唇にチュッと音を立てた。
「まだ」
青の催促にもう一度、唇をあてる。
「足りない」
「まだ?」
頷く青に三度目の口づけを与える。
「全然足りないよ」
唇を放したその瞬間に引き戻されて、今度は青に唇を奪われた。
青の施す深いキスに翻弄されそうになりながらも、名取さんの存在をなんとか意識していた。気を抜けば、そこに人がいるということを忘れそうになる。私達二人きりではないのだということを。
このまま押し倒されて、流れのままに突き進んでしまいそうな濃厚なキスを、私は振り切れずにいた。この場に第三者がいると解っていても。
「……青」
ほんの少しの合間に文句の一つでもと思うのだが、それを阻止する様に青に呑みこまれる。
「これくらいで勘弁してあげる」
青が少し頬を染めながら上目がちに私を覗き込む。
キュンと胸が締め付けられる。
何か言ってやりたいのに、何か言ってやろうと思っていたのに、青のそんな表情に見惚れることしか出来なかった。
「いやぁ、いいもん見せて貰っちゃったなぁ」
その声にバッと振り向けば、生暖かい目を私達に向ける名取さんがそこにいた。
嘘……、目を閉じていてってお願いしたのに。
「おっおっお前っ、みっ見たのか?」
珍しく青が動揺している、いや、怒りでうち震えているのか。
「えぇ、だってこんな貴重な場面見ない方が馬鹿でしょ。青のキスシーン。俺の永久保存版にしておくからっ」
「……」
青が俯いたまま何やら呟いたが、何を言ったのかよく聞こえなかった。
「ん?」
名取さんも聞こえなかったようだ。それもそうか、名取さんの方が私よりも青から離れてるのだから。私が聞こえないのに、名取さんが聞こえていたんだとしたら、どんだけ地獄耳なんだって感じだものね。
「……忘れろっ。今見たの全部、お前の記憶から抹消しろっ!」
「ええっ、やだよ。だって、ベニちゃん、青のキスにうっとりしていて凄く奇麗だったし。普通にしてるとどちらかというと幼い印象を受けるけど、キスをしている時はこう、色っぽいっていうか、とにかく奇麗だった。そんな表情、中々見せて貰えないもんねぇ。これは、保存しておくに決まってるでしょ」
ぎゃぁっ、何言ってんの名取さん。色っぽいなんて、色っぽいなんて、今まで言われたことないよ。
「名取ぃ。お前を今すぐ抹殺したい。ていうか、この場で抹殺する。いや、その目くり抜いてやる」
今にも掴みかかろうとする青の腕を引きとめた。
「青、喧嘩は駄目っ。そもそも人がいる前で、キスの催促をしたのは青なんだから、文句は言えないんだよ。見られるのがイヤなら、あんなこと言わなきゃよかったんだ。解った?」
そりゃ、私だって見られて恥かしいけどさ、こんなとこでキスなんかする方が悪いんだし、見られて文句は言えないんだよ。
青は悔しそうに唇を噛んでいたけど、私がギュッと腕を抱き締めると、私の頭を撫でてくれた。
見上げればいつもの笑顔がそこにあって、私はホッとして笑顔を返した。
こんにちは。いつも読んで下さって有難うございます。
昨夜、私の住んでいる地域では初雪が降りました。2年ぶりの積雪なんてテレビで言っていたけど、こんなちょっとじゃ、雪だるまも作れやしない。もっと降って欲しかった(お前は子供かって感じですけど)。