第57話
「ブルー君って、見た目と違って案外熱い男だったのね。それも、ベニちゃんの前だけなの?」
「察しのとおりです。紅の前だと感情のコントロールも出来なくなります」
「そう。ベニちゃん、相当愛されてるのね。それは兎も角、良かったわね。おめでとう。合同パーティも実現するのかしら?」
「いえいえいえっ、そんな急に結婚したりしないって。いくらなんでも早過ぎるよ」
一向に放してくれない青の腕の中で、慌てて声を上げた。
「俺はすぐにでもいいのにな」
青が拗ねたような声をあげる。
「だって、自分のやりたいことも見つけられなくて、それじゃ結婚に逃げてるみたいでイヤなんだもん」
「いっそ俺に永久就職してくれればいいのに」
「だからっ」
「解ってるよ、紅。でも、今日から紅は俺の恋人であり、婚約者だからね」
弾んだ声でそう言う青があんまりに無邪気で、私の不安は一気に消し飛んでしまった。
確かに、奈緒さんは青を好きなのかもしれない。だけど、青は私をこんなにも強く想ってくれている。そして、何より私自身が青をこんなにも好きなのだ。
何を恐れる必要があるだろうか。青の真剣な眼差しには一点の嘘偽りも感じられない。
「お~い、お前ら。いつまで休憩してんだっ。女共はいい加減泣きやんだか?」
マスターがドアからにゅっと顔だけ出し、言った。
「うんっ。もう大丈夫。すぐ行くっ。ごめん、迷惑掛けて」
慌てて立ち上がり、三人連れだって出て行く。
「マスターにはさっきの暫く黙っておくわね。流石にまだへこんじゃうと思うから」
富ちゃんが私にそっと耳打ちした。
「うん。ありがとう」
マスターが今まで通り普通に接してくれているからと言って、すぐにマスターの気持ちがなかったことってわけにはいかないよね。
自分のことばかりに気を取られていて、周りのことが見えなくなりかけていた。
富ちゃんの言葉が私の目を覚ましてくれたのだ。
「ほらっ、男って案外引き摺るっていうからね。マスターは特に前の奥さんのことも大分引き摺っていたみたいだから。案外、粘着質なタイプなのかもしれないね」
酷い言われようである。でも、こうゆうことマスターの前でもばっさりと言ってのけるのが富ちゃんなのだ。決して蔭口ではない。
そんな風に面と向かって言い合えるほどの信頼感が二人の間にはあるということだ。私が店に来るずっと前から富ちゃんは常連さんだったのだから。
カウンター内に戻ると、カウンター席に見覚えのある顔があった。
「えっ……、あれ? もしかして……ななちゃんっ?」
そこにいたのは中学も一緒で、高校時代のクラスメイトで、部活も同じだった、私の一番仲良しで親友と呼ぶべき相手、名波亮子、皆からはななちゃんと呼ばれていた。
高校を卒業してから、暫く後に音信不通になってしまったのだ。
一瞬、あれっと思ったのは、高校時代にはかけていなかった眼鏡をかけていたからだ。
「紅ぃ、久しぶりっ。ずっと会いたかったんだよぉ」
久しぶりの大親友は、眼鏡こそかけていたが、それ以外は何も変わっていなかった。
「突然連絡付かなくなって、心配したんだよ。どうしたの?」
「それが、携帯壊しちゃって。水没させちゃったんだよね、携帯。それで、携帯に入ってたデータ全てパーになっちゃった。紅、引っ越したじゃん? だから、自宅の番号も解らなくなっちゃったんだよ。でも、良かった。偶然にしろ会えたから、また番号教えてくれる?」
「ああ、やっぱり。そんなとこじゃないかとは思ってたんだけどね」
番号を交換し合った。
「紅は確か短大行ったんだったよね? 就職は決まった?」
「はははっ、それがまだなんだよね。ななちゃんは大学だったっけ?」
就職の質問は、今の私にはとても痛いものだ。
「そっか。大変だよね。私はね、大学行きながら父親の会社手伝ってるんだ」
「会社?」
「そう、うちの父親出版社の一応社長なんだ。主に絵本を出版している小さな会社なんだけどさ」
父親が社長なんだってことは、聞いたことあったけど、職種までは知らなかった。出版会社だったんだ。
「今日は会社の人と飲みに来たんだ」
隣りに座る20代の半ばくらいの男性が、私に黙礼する。私も同じように返した。
「ねぇ、あそこに貼ってある写真の周りの絵って紅が描いたんでしょ?」
「え? ああ、うんそうだよ」
大きな白い紙に写真が貼ってあって、その回りにマスターと私、青の似顔絵だったり、常連客の似顔絵だったりが書いてある。ただ写真を飾るだけじゃ殺風景だったので、マスターに頼んで落書きさせて貰ったのだ。
「相変わらず絵が上手いのね」
「ありがとう」
昔、ななちゃんの教科書にもパラパラ漫画を描いた事があったっけ。
私とななちゃんは昔話に話しが膨らんだ。
ななちゃんの連れの人を放ったらかしておいていいのかと、たまに様子を窺ったが、全く意に介す様子もなく、時折私達の会話に微笑みながら静かにお酒を飲んでいた。
結局私はその人の声を一度も聞かぬまま、二人は帰って行った。
ななちゃんは帰り際に、「また近いうちに連絡するね」、と声をかけて出て行った。
「紅。今日うち来る?」
北風が冷たく、しんと冷え込む夜の道を青と二人歩いていた。
「ごめん。今日は課題やらなきゃ」
「うちでやれば?」
「駄目っ。青、課題やらせてくれないじゃない」
以前、青のうちに課題を持ち込んだことがあるが、朝まで課題のテキストさえ開かせて貰えなかった。
仕方なく学校に行って、慌ててやったという記憶はまだ新しい。
「ちぇっ」
わざと拗ねて見せる。
「明日は一緒にいよう。ねっ?」
唇を尖らせて拗ねる青の顔を覗き込んで首を傾げてそう言えば、がぱりと勢い良く抱きつかれた。
「うわっ、何ぃ?」
「紅、可愛すぎっ。あんな顔で覗き込まれたら、放したくなくなるよ。ねぇ、このまま紅を攫ってもいい?」
さらう? さらうって、あの攫う?
そう考えをまとめていたら、青に抱き抱えられ(米俵のように肩に担がれた)、青はそのまま歩きだした。
「ちょっとぉ、何してんの。降ろしてよ、恥かしいじゃん」
「紅は恐ろしく軽いな。ちゃんと食べてる?」
呑気に呟く青の背中をべしっべしっと叩いた。
「このまま俺ん家まで、レッツゴー」
私が困っているのをいいことに面白がっているのに違いない。
「ふ~ん、青君は私にこんな事するんだぁ。へぇ~、そうなんだ」
私の低い声に青は瞬時に異変をキャッチし、すぐさま私を地面に下ろす。
「冗談だよ、紅。冗談」
「へぇ、冗談。ふ~ん、冗談ねぇ」
「ごめんって紅。怖いよ、その低い声」
普段笑っている人が無表情で普段より低い声で話すとかなり怖い。
いつも青が私をからかって困らせるんだから、たまにはこうやってこちらから反撃しておかないとね。割に合わないもの。
しゅんとした青が可哀想になって来て、堪りかねて笑顔を浮かべる。つくづく私は青に甘い。
「仕方ないなぁ。許してあげる。だけど、一つ条件。課題、手伝ってくれる?」
「それって……」
微笑み頷いて見せる。
「ただ~し、課題が終わるまでキスとか絶対駄目だからねっ」
「終わったらいいってことだよね?」
まあそうなるかな、と曖昧に返すも、青はもう俄然やる気を出していた。
「そうとなったら早く行こうっ。とっとと課題をやっつけちゃおう」
青に手を引かれ、青のアパートへ向かった。
こんにちは。いつも読んで頂き有難うございます。今日は午前中忙しくて、更新する時間がいつもより遅くなってしまいました。すみません。




