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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
55/104

第55話

「俺、さっき嫉妬した」

 沈黙を破る青の低い声。

「え?」

「さっき、紅の隣りに俺じゃない男がいるの見た時、堪らなく嫉妬した。紅が父さんを桔梗さんって呼ぶのも正直ヤだった」

 青、桔梗さんに嫉妬してたんだ。私と一緒だ……。

「あのね、あの……。私も、凄くイヤな気持ちがした。青の隣りに私じゃない女の子が立ってるの見た時。幼馴染で昔から仲が良かったんだって聞いても、イヤな気持ちは変わらなかった。逆に増えた。私の知らない青を知っている。私ね、青が私以外の女の子に笑顔を向けたりしないって勝手に思い上がってたの。青と奈緒さんが仲良く笑い合ってるの見て、大学内では二人が付き合ってるって噂があるって知ったら、堪らなく不安で、悲しくて、苦しかった。私もヤキモチ妬いたんだよ」

 私がそういうと、青はさも驚いたように目を見開いた。

「紅が?」

「私だってヤキモチくらい妬くよ。青、奈緒さんのこと本当は私なんかより好きなのかもって思ったら……」

「それはないよ、紅。奈緒は幼馴染なだけだ。そこに恋愛感情はないんだよ。妹みたいなものなんだ。それに奈緒とだけいつも一緒にいるわけじゃない。いつもはもう一人幼馴染の男がいる。今日はたまたまそいつが休みなだけだったんだ。今度紹介するよ」

 私を諭すようにゆっくりと言い聞かせた。

「もう一人?」

 青には幼馴染が二人もいたんだ。

「そうだよ。だから、なにも心配いらないんだ。俺には、紅だけなんだよ」

 たまたま今日は二人だった。もう一人、青には幼馴染がいた。そういうこと。

 事実は解った。それでも、近くに奈緒さんがほぼ常にいるんだと思えば胸が苦しくなる。

「私、青のこと何も知らないんだね。もっと知ってるつもりでいた」

 だからだろうか、こんなにも不安になるのは。私は本当に青のことを何も知らない。

「誰よりも知っていることもあるだろ? ゆっくり行こうよ。俺達はこれからもずっと傍にいるんだから。ね?」

 目を細めてしまうほどの眩しい笑顔。全ての笑顔は私のものじゃないかもしれない。だけど、私だけに向ける特別な笑顔がある。それは私だけが独占してもいいんだよね。

「うん」

 青を信じていいんだ。不安になる必要はない。

 それでも、奈緒さんといる青を見れば不安は募るのだろう。それがイヤでも解る。でも今はそれを見て見ぬふりをしよう。


「ねぇ、マスター。一つお願いしたい事があるんだけど……」

 そう口火を切ったのはカウンターに座って生ビールを豪快に煽っている富ちゃんだった。

 今夜は彼が電話出来ない(同僚の結婚式で遅くなるそうだ)為、ゆっくりとお酒を楽しんでいた。

 私が青の大学に侵入して、奈緒さんを目撃し激しい動揺を示してから早いもので、1週間ほどが経過していた。それ以後の私と青との関係はいたって良好で、表だって何の問題もなかった。あれ以来桔梗さんとも連絡を取っていなかった。

「ああ? しおらしくて何だか気味が悪いな。断るっ」

 話を聞かぬうちからマスターは富ちゃんの申し出をバッサリと切り捨てた。

「ちょっと、まだ何にも言ってないでしょ? 聞いてからにしてよ」

「ああん? お前の頼みなんて碌でもないことに決まってる。そんなしおらしいお前が言いだすことだからな。でも、まあ仕方ねえな。聞くだけ聞いてやるから、話してみろ。場合によっちゃきいてやらんでもないしな」

 煙草の煙を燻らせて、マスターは横柄にそう言った。

 富ちゃんはそんなマスターの失礼なふるまい等気にも留めず、その頼みごとについて嬉々として話し始めた。

「実は……、私、結婚することになりましたっ。てへっ」

 満面の笑みで嬉しそうに語る富ちゃん。

 でも、ごめん。一つだけ言わせて。てへっ、はないでしょ、てへっは。

 でも、でも、今……。

「えぇっ、富ちゃん結婚するの?」

「うふふっ、うん。彼が3月になったらこっちに帰って来るから、そうしたら、結婚しようってプロポーズされちゃった」

 お正月休みを利用して、富ちゃんが彼に会いに行ったことは聞いていた。恐らくその時にプロポーズをされていたということなのだろう。

「結婚式とか大袈裟なことはしないで、私達二人ともそういう形式ばったもの好きじゃないの、だから、親しい友達なんか呼んでパーティだけしようってことになってね。で、ここからがマスターへのお願いなんだけど、ここで結婚パーティーを開きたいんだけど、貸し切りとかって出来るのかな?」

 ここで、富ちゃんの結婚パーティ?

 なんか想像するだけで素敵っ。

 富ちゃんも私も期待一杯の目でマスターを見つめる。

「ああ、そういうことか。別にいいぞ」

 その返答に富ちゃんも私もパッと笑顔になった。

「やったぁ、富ちゃんっ。おめでとう、良かったね」

「うんっ。ありがとう。ベニちゃん」

 カウンター越しに両手を繋ぎ、ぶんぶんと揺らして喜びを分かち合う。

「お前ら煩いなぁ。でもまあ、おめでたいことだからな。今日は特別に富に一杯奢ってやるよ」

「えぇっ、いっそのこと今日の飲み代全部奢ってくれればいいのに。相変わらずケチなんだからっ、マスターは」

「ケチとはなんだ、ケチとは。そんなこと言う奴には奢んの止めるぞっ」

「イヤぁ、今のはほんの冗談だよ、マスター。イヤだなぁ」

 ふんっと鼻を鳴らして、厨房にマスターは引き上げて行った。

「ねぇねぇ富ちゃん。プロポーズの言葉は何だったの?」

 女の子たるものプロポーズの言葉っていうのは気になる物でしょう。

「嘘~。ベニちゃん、それ聞いちゃう?」

 テンションが高いのは照れ隠しなんだろう。嬉しくて嬉しくて口元が緩んで仕方ないって感じの富ちゃんを見ていると、私の方も嬉しく感じてくる。

「うん。教えて」

「あのね。『一生俺の為に笑って欲しい。俺と結婚して下さい』って言われたんだ」

 幸せそうに頬を赤らめて照れている富ちゃんはとても可愛らしかった。

「そっかそっか、良かったねぇ。なんか、ごめん、泣けて来た」

 富ちゃんは遠距離で、一杯不安もあっただろうし、寂しさの切なさも苦しさもうんと沢山あっただろう。

 以前に思い悩んでいたことがあったけれど、あれ以来富ちゃんが弱音を吐く姿を見たことがない。

 頑張ったんだよね、富ちゃん。もうすぐ帰って来るんだよね。そしたらずっと一緒にいられるんだよね。

「よ゛がっだよ゛ぉっ」

 なんだか堪らなくなって、富ちゃんの苦しみと喜びが自分のことのように感じて、人目も憚らず、えぐえぐと泣いてしまった。

「何よぉ。ベニちゃん、泣かないでよ。ベニちゃんに泣かれたら、私も……ひくっ……なぎだぐなっぢゃうでぞぉ」 

 富ちゃんも、えんえんと泣き始めた。

「おいおい、お前ら。営業妨害する気か。ったく仕方ねぇな。ベニ、休憩入ってこい。ついでに富も連れて行け。ここで泣かれちゃ困る。泣きやむまで戻って来なくていいからな」

「ま゛ずだー、あ゛り゛がどう゛」

 鼻水を豪快に啜りあげながらそう言って、富ちゃんを伴ない休憩室に入った。

 休憩室に入った二人は、思い思いに泣きだした。

 え~んえん。わ~んわん。グスグス。メソメソ。ズズッズズッ。チーン。

 泣いているうちになんでこんなに泣いているのか解らなくなって来た。

 富ちゃんを見たら、目が合って、何となく気不味くなって笑った。私達は今、泣いているんだか、笑っているんだか解らなくなっていた。


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