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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第54話

 大学の近くにある公園のベンチに並んで腰をおろした。

 青父にここまで支えられながらゆっくりと歩いて来た。歩くことすらおぼつかない。

「怖いですね。凄く怖いです。本気で人を好きになるって、こんなに怖いことだったなんて、私、初めて知りました」

 本当に怖い。苦しくて、痛い。幸せだけじゃない。幸せが大きければ大きいほど、苦しみもまた大きい。それを、思い知らされた。

「君は今、初めて経験しているんだ。誰でもいつか一度は経験するだろう、一世一代の大恋愛ってやつを。大恋愛っていうのはね、幸せであると共に、相当しんどいものでもあるんだよ。どんな事があっても耐えられるだけの強さがなければ、遅かれ早かれ二人の関係は終わってしまうよ。怖いならもう終わりにするかい?」

 終わりに? 青の笑顔が見れなくなるっていうこと?

 また、あの時みたいに言葉を交わさなくなる。そして、きっともう二度と会えなくなるのかもしれない。

「ヤです。それはイヤ。絶対にイヤっ。私は逃げたりなんかしない。絶対にっ」

「そうか。逃げないか」

 その言葉は呟きのようだったが、ちらりと窺った青父の表情は嬉しそうに歪んでいた。

「あの……。有難うございます。私、一人だったらどうなっていたか。取り乱しちゃってすみません」

「私の名前は桔梗といいます。そう呼んでください。まあ、お父さんと呼んでくれてもいいんだけどね」 

 照れ臭そうに最後にそう付け加えた。

「桔梗さん……とお呼びするのは凄く違和感があるんですけど、もしよろしければそう呼ばせて貰ってもいいですか?」

 本当はお父さんと呼んでみたかった。だけど、私なんかがそう呼ぶのはおこがましいような気がした。

 青父は私の言葉に口元を綻ばせて、頷いた。

「……桔梗色。桔梗さんも色の名前なんですね」

「そうなんだ。ちなみにうちの長男は紫苑しおんという。これも色の名前なんだよ」

 紫苑さん。青のお兄さんは、紫苑さんというんだ……。

 紫苑さんがお家に戻って来てくれたら、お母さんは青のことを思い出してくれるんだろうか。

 青のお母さん……。青のお母さんも色の名前なんだろうか。

 聞いてみたい、でも聞いていいものなのか迷った。

 青のお母さんは今、どんな状態にあるんだろう。青が少し話してくれたけど、青はずっと連絡を取っていないと言っていたのだから、今、どんな状態でどんな風に暮らしているといった状況は知らない筈だ。

「私の妻は色の名前ではないんだ。残念ながらね」

 私は目を瞠って桔梗さんを見た。

 私の思考は外にだだ漏れなんだろうか。

「……妻はまだ青を紫苑だと思っている。彼女の中から青は消えてしまった。いや、忘れてしまったわけではなく、心の奥底に仕舞い込んで見ないようにしてしまっているんだ。何かきっかけさえあれば、元の彼女に戻ると思うんだけどね。紫苑が帰ってくればもしかしたら……」

 そんなに苦しそうな顔をしてまで何故私に話してくれるんだろう。

「どうして私なんかに話してくれるんですか?」

「紅さん。そう呼ばせて貰うね。紅さんになら、話してもいいような気がしてね。なんだろうな、今まで周りにひた隠しにして来た事を紅さんになら、話しても構わないとそんな気がしたんだ。青の彼女だからかな。まあ、それもあるだろうが、君自身が他人の心を曝け出させてしまう、そんな雰囲気を持っているからなのかもしれない。君にはまた余計な物を背負わせてしまったかもしれないね。迷惑をかけてすまない。今聞いたことは忘れてくれて構わないよ」

「迷惑だなんてとんでもないですっ」

 青に関係する事で迷惑に感じた事なんてない。そもそも私が知りたいと思っていたことなんだ。

「私、絶対桔梗さんと青を仲直りさせてみせますからっ。知って貰いたいんです。ちゃんと愛されてるんだって。青はちゃんと皆から愛されてるんだって」

 拳を硬く握り、掲げて見せた。

「ははっ。頼もしいな」

 桔梗さんもきっと沢山苦しんだと思う。もう、苦しむのはおしまいにしようよ。

 

 暫く私達は、無言のままただぼんやりと空を見ていた。

「そろそろ帰ろうか。今日もバイトなのかな?」

「はい」

 桔梗さんが何も言わず隣りに居てくれたからだろうか、先ほどまでの強い動揺は和らいでいた。

 二人並んで公園を出ようとした時、今一番会ってはいけない人に出くわしてしまった。

「青……」

「何で? 何で紅が父さんと一緒にいるんだよ」

 青の押し隠した怒りが手に取るように解る。

 その青の隣りには、これまた今は会いたくない奈緒さんという人。奈緒さんは、ぐっと前に乗り出して来た青の左腕を引き留めるように両手を掴んでいた。

 こんな状況にいるのに、私はその青の腕とそれを掴む奈緒さんの手が気になって仕方なかった。

 触らないでっ。お願い……、触らないで。

 初めて感じる醜い独占欲に私は打ちのめされた。

「青。私が紅さんに無理を言って大学まで連れて来て貰ったんだ。紅さんは悪くない」

 私を庇うように桔梗さんが一歩前に出た。

「桔梗さん」

 小さく呟いた私の声に青が鋭く反応した。

「奈緒。悪いけど、今日俺先に帰るわ」

 その言葉を言い割る前に青は私の腕を掴んで引き寄せ、強引に歩き出す。

 私は青に引きづられるまま、後方を振り向き、ぺこりと残された二人に頭を下げた。

 そして、一つ気付いてしまった。気付きたくなかったことに。

 奈緒さんは青が好きなんだということに。あの瞳は全く私など見てはいなかった。悲しそうに青の背中を目で追っていた。これは、疑いようのない事実だ。


 あの二人の姿が遥か遠く見えなくなった頃、私は青の背中に声をかけた。

「青」

 突然、足を止め振り向き、私を強い眼差しで見つめた。

「何であの人と一緒にいるんだよ」

「私が大学に行ってみましょうって誘ったの。でも、行かなければ良かった……」

 あんな光景を目の当たりにするなら、何も知らなければ良かった。何も知りたくなかった。二人が仲がいいことも、奈緒さんが青に想いを寄せているということも。

「何で大学になんか?」

「青のお父さんが青を本当に心配しているのが解ったから。青の姿を見て、少しでも安心してくれればいいと思ったから」

「あの人のこと桔梗さんって呼んでたね」

「だって、お父さんって呼ぶのは厚かましいでしょ? だから、そう呼ばせて貰ってるの」

 青の顔が怖い。

「やけにあの人に構うんだな。もしかして、好きなの?」

「好きだよ、当たり前じゃん。だって、青のお父さんだもん。そうでしょ? 桔梗さんがいなかったら、青はここにいなかったんだよ。青と出会えなかったんだよ。私と青を会わせてくれた。だから、感謝してるの」

 青のお父さんだから、大事なんだよ。大事な青のお父さんだから、大事なんだよ。

「感謝?」

「そう、感謝。青をこの世に授けてくれたことに感謝してる」

「そっか、紅のその気持は解った。ありがとう、あんな親でもそんな風に思ってくれて。だけど、俺はあの人を親だなんて思えない。あの人が親だなんて認めない」

 その言葉は、自分に言い聞かせているように私には聞こえた。

「でも、青っ。どんな親でも、親は親だよ。どんなに逃げても、それは変わらない。桔梗さんはっ」

 青に突然唇を塞がれる。

 それ以上、私に何も言わせない為に。その話を終わらせる為に。もう、何も言わせてはくれない。

 まだ届かない。私の言葉はまだ青に届いていない。

「帰ろう」

 青に手を引かれ、沈黙の中を黙々と歩いた。

 自分の無力さに絶望する。

 青のあの頑なな心を解き解すにはどうすればいいんだろう。

 でも、諦めるつもりはない。絶対に……。


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