第52話
青も一杯一杯なんだ。自分の心臓は自分で守れってか。
じゃあ、頑張ろうじゃないの。青の隣りにいてもやられる事のないほど、丈夫な心臓にしてやろうじゃないの。
でも……、
「私の方が絶対青よりドキドキしてるよ」
何気なく呟いた言葉だった。
「んん? それは聞きづてならないな。俺の方が紅といる時のドキドキ度は上回っているし、好きって気持ちも強いよ」
「そんなことないよ。私の方がよっぽどドキドキしている。好きって気持ちだって絶対青に負けないよ」
「いやいやいや、俺だって。俺の好きって気持ちはそんじゃそこらのとは比べものにならないくらい強いんだ。それに紅よりずっと前から好きって気持ちはあったんだから」
「時間なんて関係ないでしょっ。私の方が絶対好きなんだからっ」
「いや、俺だって」
「私」
「俺」
「私」
気付けば抱き締められていた腕を振り解き、青と対峙していた。睨み合って、自分の方が気持ちが強いと言い合っていた。そのうち、どちらからともなく吹き出し笑い合った。なにせ不毛な言い争いだ。第三者が見たら、バカップルだと呆れられるに決まっている。気持ちなんてどっちがどれだけ強いかなんてはかれるわけがないのだから。どっちがよりドキドキしているかもまた然り。あっ、でもそれは脈を測ればなんとかなるけど、そこまでしたいとは思っていない。
「なんか、私達って馬鹿みたいね」
「そうだね。でも、こんなくだらない言い争いに幸せを感じるのは俺だけかな?」
「ううん。私もだよ」
昨日の朝までは、こんな会話が繰り広げられることになろうとは、思ってもみなかった。
へへへっと笑うとそれに青も返してくれる。そんな当たり前のことが尊くて、嬉しい。
青の手が伸びて来て、手の甲で私の頬をそっとなぞる。
「体、大丈夫?」
「体って? 私はいたって健康だけど? なんせ、健康優良児ですから」
私の返答を聞いて青がクスッと笑った。
「そうじゃなくて。昨日ちょっと無理させちゃったかなってこと。反省してたんだ」
青が言わんとすることに合点がいくと、たちまち昨夜の出来事がまざまざと思い出され、頬を赤らめずにはいられない。
こっちは初めてなんだから手加減してくれてもいいのに、青が何度も求めるから……。
「へっ平気だよ。うん、全っ然大丈夫。はははっ」
正直に白状してしまえば、歩く時に股のあたりに違和感を感じるのだが、痛みというほどのものではない。
「したい……な」
えっ肢体? 死体? 姿態? ……したい。したいって、もしかして、いやもしかしなくてもこの場合やっぱりあれのことですよね?
「えっえっえぇ? でも、もうすぐバイトの時間だよ?」
「イヤ? しんどい?」
いや、イヤってわけじゃないんだよ。しんどいわけでもない。
昨夜だって、あんなに無茶をされたのに私の体にそこまでの負担を感じない。それって青が私を大事に大事に愛してくれたってことなんだよね。痛みも殆どなかったし。寧ろ、青とのそれに心地よさを感じ、永遠に続いてもいいと思ってしまうほどに、私は溺れてしまった。
「イっイヤとかじゃないんだけど……」
「けど?」
その先の言葉なんて何も思いつかない。
青が私の瞳を見つめてにこりと微笑んだ。
ああっ、やっぱり抗うことは出来ないんだ。ううん、少し違う。以前はどうだったかは別として、今、私は青に抗いたくないと思っているんだ。少し強引な青のそんな申し出を受け入れたいと思っているんだ。
「紅……」
愛しい者を見つめる一点の曇りもないその澄んだ瞳で私を少しも動けなくさせる。その瞳で、催眠術でもかけられたように私は何も考えられなくなる。
私は酔っているんだ。その瞳に酔わされている。
「青は魔法が使えるの? 青の瞳に見つめられると、私、何も考えられなくなるよ」
力の入らない声でそう呟いた。
「それは、紅にだけ効く特別な魔法だよ。愛し合う二人だけに有効な魔法」
二人の顔と顔の間に一本の指も通らないほど近い距離で瞳を合わせる。
ぺろりと私の唇を舐めた。
青がふっと一瞬口元を緩ませると、今度は唇を塞がれた。
中学の時に初めてしたキスはこんな激しいものでは到底なかった。青のするキスは触れるだけのキスとは違う。
激しくて、苦しくて、なのに甘くて優しい。
心が震える。
唇から伝わる熱が体中に侵食し、痺れるように熱い。
「苦しいっ。青、苦しい……」
「ごめん。無理させ過ぎた」
違う。息が続かなくて苦しかったんじゃない。胸が苦しかった。
震える胸が切なくて泣いている。震える胸が嬉しくて泣いている。震える胸が興奮して泣いている。
そのどれでもなく、そしてそのどれでもあった。
自分でも整理出来ない程の激情に胸が苦しかった。
優しい手が私の頬をそっと撫でる。
青の顔が横を通り過ぎたと思ったら、耳を軽く噛まれ、続いて舌が耳の中を走る。
「んぎゃっ」
色気とは程遠い無様な声が口をついて出た。
私のそんな反応にケタケタと青は笑う。
「紅らしくていい」
私らしいってどういうことよ? どうせ私には色気ってもんがないとか思ってるんでしょっ。
唇を尖らせ、青を睨みつければ、そんな私を見てくすりと再び小さく笑う青。
私の目の前まで顔を近づけるとこう言った。
「確かに一般的に言って、紅は色気があるタイプじゃないかもしれない」
色気がなくて悪かったねぇっだ。
「だけど、俺には十分魅力的だよ。じゃなきゃこんなに反応したりしないさっ」
反応……? 反応ってまさかあれのことですかっ。
「我慢出来ないんだけど。もう、押し倒していい?」
かあっと足の爪先から頭のてっぺんまで血が沸騰したように逆上せ上がった。
どうしてそんなあからさまな台詞を真顔でさらっと言えてしまえるんだろう、この人は。
「てか、問答無用で押し倒すっ」
私が俯いて真っ赤な顔を隠しているうちに、いつの間に青に組み敷かれていた。
私の返事なんか聞くつもりもない。というよりも、私の返事は決まっていると信じて疑わない。そんな傲慢な所が、じつに青らしい。
「青の……エッチ」
青の長い指が体を這うのを感じながら、悔し紛れの一言。
「それは認める」
指の動きは止めず、苦笑を浮かべるとともに声が返ってくる。
「だけど、俺がスケベになるのは紅の前だけだから。他の女に性欲は感じないよ。それだけは勘違いしないで」
なんか凄いこと言われてる気がする。
「もしかして、私の体だけが目的なんじゃ……」
「なわけないでしょ。紅。あんまりくだらないこと言ってるとお仕置きするぞ。もう知ってるだろう? 俺がどれだけ紅が好きか。好きだから紅の全部が欲しい。紅の全部が知りたい。それの何が悪い」
知ってるよ。怖いくらいによく知ってる。
ただ、聞きたかっただけ。青の口から聞きたかっただけだよ。恋する乙女心ってやつだもの。
「へへっ、知ってるよ」
それからは青に与えられる快楽の波に飲み込まれ、溺れていった。
「紅。今、俺達紫だね」
「紫?」
「そう、紅と青は混ざると紫になる。だから、今俺達は紫だ」
「本当だ。紫だね」
絵の具の違う色と違う色を混ぜ合わせて、全く別の色を作るように、私と青もまた混ざり合って一つの色を作った。私達の作る色は……紫。