第49話
「紅、大丈夫?」
荒い息を上げているのに、真っ先に私を気遣う青。
「平気だよ。青の方こそ大丈夫? 汗びっしょりだよ」
青の体は汗に濡れて、仄暗い部屋の中でも光って見えて、それはとても神秘的に見えた。
「一緒にシャワー浴びようか?」
「えっ、いや。無理っ。先に入って来て。私は後でいいから」
動揺してしどろもどろになりながらそう言い、ちらっと青の表情を窺うと、仄暗い光の中でも解る、私の反応を見て面白がっており、それが解っているのにも拘らず必要以上に反応してしまう自分に何ともまあ悔しさ込み上げて来た。
「まっ、入ってあげてもいいけどぉ? 青がそこまで言うなら」
悔しさ交じりの開き直り発言に、予想以上に反応を示した青は、瞬時に照れ男へと変身を遂げた。
ああぁ、ちょっとそれは来たなぁ。私の萌えどころにぐっさりと……。
そんな私の心情など知る由もない青は、耳まで真っ赤にして、そっぽを向いていた。
この暗さであれだけ赤い顔をしているのが解るのだから、今、電気をつけたらどんなにか赤いことだろう。
「嘘だよ、青。先に……」
入って来てと言おうとしたのだが、腕を取られ、風呂場に連れて行かれてしまった。
「えぇっ、あの……青? もしかして、本当に一緒に入るつもりだったりする?」
「俺が紅の体、隅々まで洗ってあげるね」
わざと「隅々」という言葉を強調して、にっこりと微笑んで青が言う。
私の反応はといえば、絶句、そして、赤面、言葉に詰まり青の思うつぼ。
さっきまでの照れ男の青は一体どこに行ってしまったんだろう。いつ、いつの間に変身したというのだ。
ニヤニヤと私の表情を窺っている。
悔し紛れの発言だったとはいえ、自ら一緒に入ると言ってしまった手前、今更入らないとは言えない。
お互い全裸なのに、一緒にシャワーを浴びるというだけのことがなんだってこんなに気恥かしいのだろう。
恥かしさに悶絶していると、何となく感じる視線に顔を上げた。青が、風呂場の明かりの下、私の体を隈なく観察していた。
「ちょっと何見てんのよっ、スケベっ」
「あのねぇ、紅。男は基本スケベな生き物なのですよ。勿論、個人の差はあるけどね。俺だって、好きな子の体を見たいって思うよ。ほくろの場所や数さえ数えてみたいと思うよ。それが、男の心理ってものでしょ。それに、紅の体凄く奇麗で、つい見惚れちゃった」
男はスケベってことを力説されても、女の私には男の心理なんて理解不可能なのだけど、最後にさらっと付け足した恥ずかしすぎる台詞を平然と言ってのける青をキッと睨みつけた。
女の私だって、好きな人の体がどんななのかって興味がないわけじゃない。正直、見たいって思うよ。恥かしくて口に出したりは出来ないけど。
青の胸板は思ったより鍛えられていたし、筋肉が付きすぎず、かといって弛んでいるわけでもなく、痩せているけど、ガリガリなわけでもない。とにかく安定していて奇麗だった。
「そんなに見つめられると照れるんだけど……」
「ウハッ?」
ついうっかり青の体を凝視していたことに、気付かされた。私が見ていたのは上半身で、それ以上下は流石に見ることは出来なかった。
「風邪引くよ。入ろう」
確かにこんな姿でいつまでもここにいれば、間違いなく二人とも風邪を引いてしまうに違いない。
「うっうん」
戸惑いながらも、青の後ろを追って中に入る。
二人、風呂場に入ったはいいが、元々一人用の浴室、狭いものだから青との距離が異様に近い。
「なんか、狭いよね」
「そうだね」
青の返事が、シャワーの音に交じって、耳元で聞こえ、背中がぞくぞくとした。
宣言通り、青は私の体を洗ってくれた。というか、自分で洗うと言ったが、却下された。
「私も、その……洗う?」
そう尋ねれば、嬉しそうな青の声が、湯気の間をぬって返って来る。
「本当? 嬉しいな」
そんなわけで青の体を洗うことになたわけだけど、ドキドキしちゃって、目のやり場に困って、脳内パニックに陥ってしまった。
こんな心臓に悪い事を、世の恋人達もやっているんだろうか。
そしてこれまた、青の背中がとっても広い。つい、その背中に後ろから抱き付きたくなってしまって、その衝動と戦うのに必死だった。
胸を洗う時なんて、青の視線を全身に受けて、もう逃げ出したいと何度も思った。
「あのさ、あのねっ青。そこは、そこだけは、まだちょっと私にはハードルが高くて。だからっ、そこだけは自分で洗ってっ」
青は私の言葉に笑いを堪え切れずと言った風に笑い出した。
私が憮然とした表情をしていると、
「ごめんごめん。だって、紅可愛すぎる。ふっははは……」
「もうっいい。先に出てるからっ」
だって、……出来ないよ。それは、私にとっては勇気のいることだった。だって、ついさっきまで青のあれが……、私の中に……。キャーっ、考えただけでパニックですっ。
私が浴室から出てからも、青の笑い声は暫く聞こえていた。
先に着替えを済まし部屋で待っていると、青がタオルを腰に巻いた格好で現れた。
「あれ? 服着ちゃったんだ?」
「え?」
「もしかして、帰るなんて言わないよね?」
「そのつもりでいたけど。明日、朝講義あるし」
そう言い終わると同時に青に抱き締められた。
本当はまだ青の傍を離れたくはなかった。だけど、現実問題、明日は朝から講義があって、早起きしなければならない。寝ている青を起こしてしまうのは心苦しい。
でも、それだけじゃない。
「帰るなよ。学校ならここからだって行けるだろ。今日は放さない。放したくない」
低い声がダイレクトに耳に入って来る。それほど、耳に唇を近付けて青は話していた。
「だって、一杯一杯なんだもん」
「何が?」
「心臓が……もたないよ。もう、痛いくらいなんだよ。こんなの生まれて初めて」
一向に鳴り止まない鼓動に私は痛みさえ感じていた。
私はいつか青といたら、心臓が止まってしまうんじゃないかって、そんな風に感じる。
「俺もだよ。だけど、それでも一緒にいたい。駄目かな?」
青に覗きこまれて怯んだ。
くそぉ、その瞳には逆らえないんだって。私を殺す気ですかっ。キュン死にしちゃうじゃん。
それに、何よりも私自信が青といたいって思っちゃってるんだよ。
好きな人と一緒にいて心臓が止まるなら、それはそれで本望だよ。
「じゃぁ、いる」
「本当? やった」
純粋に喜ぶ青を見て、この人を好きになって良かったと心の底から思った。
青が前に、私が青を好きになったら、青自身が幸せになれるから、それを見ている私も幸せだろって言っていたが、あの時はなんだその理屈はって思っていたけど、今なら青が言わんとすることが解る。だって、嬉しそうに微笑む青を見ているだけで、胸がぽわんと温かくなるくらい幸せなんだから。
「今夜は寝かさないよ、紅。覚悟しといて」
油断していた所に突然落とされた爆弾に、まんまとやられた私の反応を見て、またもや青を喜ばせてしまったようだ。
その夜、青は宣言通り、私を寝かせてはくれなかった……。