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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
43/104

第43話

 まゆが飽きるまでボール遊びに付き合い、くたびれた私たちは丘の上に上った。

 公園内を一望出来るその丘をブルーも一目で気に入ってくれたようだった。

 まゆは丘の上に着くなり、丸くなって寝始めた。さすがにあれだけ走り回れば、幾ら犬でも疲れもするだろう。

「まゆも疲れたんだね」

「うん。ブルーも疲れたんじゃない?」

 ちょっとね、とブルーは鮮やかに笑いながら言った。

「はいっ、ブルー。おにぎり作ってきたんだ。食べる?」

 私は二人分のおにぎりを用意していた。まゆと休日に散歩に来るときはいつも一日がかりで、こうやってここでおにぎりを食べるのが私の習慣になっていた。

「ありがとう。紅が作ったんだ?」

「うん。まゆと散歩する時はいつもここでおにぎりを食べるんだ」

「一人で?」

「そう。でも、ここで食べると一人でも楽しい気持ちになるから寂しくないよ」

「そうじゃなくて、誰か違う男と来てたのかなって思ったんだけど」

「えっ、いつも一人だよ」

 一人でこんな所で寂しくなかったのかを聞かれているのだとばかり思っていたが、ブルーはそうではなくて、他の男の子の存在を意識しての質問だったようだ。

 二人は黙々とおにぎりに齧り付いた。

 私にいたっては、隣りにブルーがいるというだけで、緊張して、おにぎりの味さえ感じられないほどだった。

 美味しいといって食べてくれるブルーに、複雑な想いを感じていた。味が解らなかったので、本当に美味しかったのかと疑問に思ったのだ。

「あの人……。何も言ってなかった? 俺のこと」

 あの人……。言って……。俺のこと……。

 その三つの単語が導き出す人物は。

「お父さん?」

 ブルーを覗き込んで尋ねれば、少し困った顔で頷いた。

「うん。何も言ってなかったよ」

 沈黙が続いた。

 ブルーの気配から、何かを伝えたいと思っていることが解る。そして、それを躊躇している戸惑いもまた感じる。だから、私はただひたすらに待った。ブルーが話したい時に話したいタイミングで話し出せば

いいと思ったから。無理矢理に聞き出すつもりはない。だが、聞く準備はこちらはすでに整っていた。

「俺は……」

 それだけ言うと、ブルーは再び押し黙ってしまった。

 私は芝生に投げ出されたブルーの大きな手をギュっと握った。

 ブルーが驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。私は微笑み小さく頷いた。

 ゆっくりでいいんだよ。焦らず、ゆっくりで。私はちゃんと待っているから。

 言葉を紡がなくとも伝わる言葉がある。私の心の言葉はブルーに届いたようで、小さく頷き返してくれた。

「俺には、3つ離れた兄貴がいる。兄貴は幼い頃から優秀で、うちの両親は教師だったから、兄貴にも教師になって貰いたかったんだ。それが、うちの両親の俺達が産まれる前から抱いていた夢だったらしいんだ。兄貴は確かに優秀だったけど、本当は勉強が大嫌いで、優しくて、気が小さかった。だから、兄貴には両親の期待に逆らうことは出来なかった。兄貴は教師になんてなりたくなかったんだ。毎日毎日、友達と遊ぶことも出来ずに勉強ばかりやらされていた。両親はいつも兄貴にかかりきりだったよ。仕事から帰れば兄貴の勉強具合にしか気にかけない。幼い頃は、それが寂しくて親の気を何とか引こうと色々子供なりにやってみた。甘えてみたり、腹が痛いふりをしてみたり、悪さしてみたり。だけど、どんなことをしても結局兄貴と比較されるだけだって解った」

 そこでブルーは一呼吸置いた。

 淡々と語るブルーの口調は、自分の家族の出来事を語るのがどれだけ苦しいかを物語っていた。

「いつしか俺は親の顔を見て表情を作るようになった。目立たないように当たり障りがないように。俺はこの家でだれにも愛されていない。そう思うようになって、殆ど笑わなくなった。笑うのは親の前だけ。その笑顔も本物のものじゃなかった。俺としては兄貴が羨ましかったよ。親の愛情独り占めだ。子供だったから、嫉妬もたくさんした。だけど、兄貴の方でも俺が羨ましかったようなんだ。勉強しろと言われない。外で遊んでも文句も言われない。ゲームはやり放題。兄貴はこんな俺に嫉妬してたんだ。そういう想いが兄貴の中で募りに募って行ったんだ」

 そこまでしてお兄さんを教師にしたかったのだろうか。そこまでしなくても、教師にはなれるような気がする。ブルーの両親は完璧主義だったんだろうか。

「兄貴の大学受験、俺の高校受験があった時。兄貴は両親の期待を受けて受験したが、志望校全部落ちてしまった。なんの干渉もされていない俺は、それなりに勉強して、兄貴が通っていた高校に合格した。兄貴にはそれがショックだったようなんだ。あんなに必死に勉強したのに自分は落ちて、遊んでいた筈の俺が自分と同じ高校に合格した。別に俺だって受験生ともなれば遊んでたってわけでもないんだけど、兄貴には俺が遊んでいたようにしか見えなかったんだ。気の小さい兄貴は、自分が大学に落ちたことで両親に責められていると感じた。実際、両親は兄貴を責めてはいなかった。でも、兄貴にはそうは感じなかったんだ。それを苦に自殺を図った。手首を切ったんだけど、気が小さいものだから思い切りが足りなかったんだ。大事には至らなかった。救急車で運ばれて、2,3日入院しただけですぐに帰って来た」

 お兄さんの自殺。間近の人の自殺はブルーの心にどんな影を落としたんだろうか。確かに命にかかわるほどのものじゃなかったとしても、その事実はとても大きなことだったに違いない。特にブルーは多感な時期だった筈。その頃のブルーの心情を考えると、胸が痛くなってくる。

「退院後が酷かったんだ。兄貴は部屋に引きこもるようになった。たまに出て来たかと思うと、罵声を上げながら母に暴力をふるった。週に一回だった暴力が、日を追うごとに週に二回、三回と徐々に増えて行った。俺がその場にいれば止めることは出来るけど、暫くそういうことが続くと、今度は俺がいない時を狙って母を傷付けるようになった。俺は両親にどこかに相談しようと何度も言ったんだけど、教師をしている手前、体裁を気にしてどこにも相談しようとはしなかった。教師をしている二人なんだから、その手の相談を受けてくれる知人はいた筈なのに、それをしようとはしなかった。父が何度か兄貴と話しをしようと試みたが、駄目だった」

 自殺未遂、そして家庭内暴力。どんどん悪化する家庭環境。

 私が平和に日々を過ごしていた頃、ブルーは辛い日々を送っていたのだ。

「俺が高校1年の夏休み。俺は部活の合宿で家を開けていた。合宿先に家からすぐに帰るようにと電話がかかって来た。電話では何があったのか、何も知らされなかった。ただすぐに帰るようにと。イヤな胸騒ぎを抱えて家に帰ると、リビングはめちゃくちゃで、ソファには大量の血が付いていた。兄貴が母を刺して、重傷を負わせたんだ。兄貴はそのままどこかに姿を消してしまった。両親の懇願で刑事事件にはされず、兄貴の捜索願だけが受理された。入院していた母はいつしか俺を兄貴だと思い込むようになった。事件によるショック症状で、母は兄貴に刺されたという事実と俺という存在をこの世から消した。兄貴の名前を呼ばれるたびに苦しくて仕方なかった。そんな俺を見て、父は俺を暫く親戚のうちに預けた。それきり俺は家に帰ってない。兄貴をあんなにしたのは、両親なんだ。だから俺は……」


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