第4話
「ねぇ、付き合っていはいないんだけど、好きな人とか、気になっている人はいるんじゃないの?」
またしても富ちゃんがブルーに突っ込んだ質問をし、嘆息していた女性たちが再び息を詰めてその成り行きを緊張しながら聞き耳を立てていた。
「好き……な人はいますよ」
私は丁度注文を取り終えて、カウンターに戻るところだった。ブルーがそう言った時、ふと目が合った。奴は最初に好きという言葉を言った後、奇妙な間を開けたので、まるで自分が好きと言われたようでどきりとした。そんな私の動揺を知ってか知らずかブルーはすぐに富ちゃんに視線を戻した。
「だけど、その子は俺じゃない誰かを好きで、俺のことなんか見向きもしない。もしかしたら、嫌われてるかもしれないですね」
まるでその子に好きな人がいても、それが自分の気持ちには全く左右されないとでもいうように語るブルーを見ていると、その女の子のことを本気で好きなのだと解る。
「ブルー君を嫌いになる女の子なんているのかな?」
どうなんでしょうね、と涼しい顔をするブルーの横で私はカシスオレを作っていた。
「ねぇ、ベニちゃん。ブルー君を嫌いになる女の子なんていないと思わない?」
同意を求められても正直困る。なんせ私はこの男が大の苦手なんだから。はっきりと嫌いとまでは言い切れないけれど、出来ればあまり関わり合いになりたくないと思っている。かと言ってそれを本人の前で公言するほど冷たい心の持ち主ではないと、自負している。
私はさらっと隣りを流し見てから、「そうだよねぇ」と、笑顔で同意しておくことにした。そして、その会話から逃れるようにカシスオレの入ったグラスを手にその場を立ち去った。
テーブル席に座った4人組の女性客にカシスオレのグラスを置いた。彼女達は何度か飲みに来ているが、明らかにブルー目当てであると解る。最近来る頻度がやたらと増えている。
「ねぇねぇ、ベニちゃん。ベニちゃんは、ブルー君の好きな人が誰なのか知っていたりする?」
丁度グラスをテーブルに置く為に屈んだ際に耳元にそう囁かれた。
「私もさっき初めて知ったんだ。お役に立てなくてごめんね」
「ううん、いいのいいの。突然聞いちゃってごめんね。じゃあ、ベニちゃんは?」
へっ? と、私があっけらかんとした声で疑問を投げ掛けると、4人が一遍にどっと笑った。多少酔いが回って来ているのか4人とも極めて陽気である。
「ベニちゃんは彼氏とか、好きな人とかいないの?」
ギクリとしたが、こう言った手合いの質問は案外多く聞かれる。
「うん、残念ながらいないよぉ」
嘘~、と4人の声が見事にハモって私を怯えさせた。
「ベニちゃん。モテそうなのに」
「いやぁ、モテないですよ。悲しいことに」
そうなんだぁ、と4人はそれぞれに呟き、納得出来ないといった風な顔をした。そんな顔をされてもモテないものは、モテないんだけどなぁ。そう思いながらも彼女たちのお喋りにしばし付き合った。
「ベニ。もう上がっていいぞ。ブルーもご苦労さん。悪いがベニを家まで送ってやってくれないか?」
マスターが私達に声をかけたのは、12時をほんの少し回った頃だった。
「別に送って貰わなくても平気だよ。すぐそこなんだからさ」
間違ってもブルーと二人きりになるのは避けたかった。ブルーと二人だと思うとほんの5分ほどの距離も酷く憂鬱なものになってしまう。恐縮しているふりをして、断固拒否を決め込んだ。
「女の子が一人で歩くのは危険すぎる。この辺で若い女性を標的にした痴漢やひったくりが相次いでいると、今日、警官が注意して下さいって来たんだ。ベニに何かあったら困るだろうよ」
そんな事言われたって……。
「マスター、俺、送って行きますから」
私が渋っていると、ブルーが勝手に返事をしてしまった。こうなってしまったら、もう私には成す術もなかった。
誰にも気付かれないように小さな溜息を洩らした。
バッグを持って外に出ると10月の夜の空気がひんやりと冷たく感じた。薄い長袖のシャツだけでは夜の空気は寒く、上に羽織る物を持ってくれば良かったと今更ながら後悔した。
隣りには私の苦手とするブルーが立っていた。私が右に歩き出すとブルーもそれに倣って私の隣りを何も言わず歩く。
空を見上げると真っ暗の中に大きな月が私を照らしていた。満月だろうか。でも、ほんの少し欠けているような気がしないでもない。肉眼ではそこまで確認出来なかった。
「嘘、吐いてたな?」
ぼんやりと月を見ていた私は隣りにブルーがいることすらも忘れ、一人の世界に浸っていた。
「はぇ?」
自分でも情けないくらいの締まらない声を出し、ブルーを見上げた。
「本当は、マスターが好きなんだろう?」
ブルーの口から出てくる言葉。言葉の内容よりもその喋り方に唖然としていた。ブルーは店では無表情で愛想はないが、どちらかというと同じくらいの世代の男の子に比べれば礼儀正しい喋り方をする。今のブルーの喋り方には酷く高慢な感じを受けた。口の端っこを奇妙に上げて、ニヒルな笑顔を浮かべていた。
「なに驚いてんの? 俺のこと、無口で害のない男だとでも思ってた?」
くくくっと何が可笑しいのかイヤな笑い方をした。
「お店では、猫被ってたってこと?」
お店では、ブルーは殆ど笑わない。イヤな笑い方には違いないが、ブルーの笑い顔を見るのは、至極貴重な気がした。
「別に。客がそれを望んでいると思ったからそうしたまでだけど?」
「じゃあ、何で私には見せんのよ。私の前でも猫被ってりゃよかったんじゃないの?」
落ち着きを取り戻し始めた私は段々と腹立ちを覚え始めていた。
何でよりによって私の前で本性見せんのよ。私は、あんたとお近づきになんかなりたくないんだから、放っておいてくれりゃよかったのに。
「紅には、本当の俺を知った上で俺を好きになって貰いたいんだ」
私達はいつの間に足を止めていた。恐らく最初にブルーが口を開いた時から、この場に佇んでいたのかもしれない。細い道で、誰一人として通ることのない寂しい道のど真ん中で、私とブルーは、見つめ合って、いや、睨み合っていた。
「何言ってんの?」
私は静かに怒っていた。気持ち良く月をみて、ゆっくりと散歩がてら歩いていた私に、猫被りなブルーがマスターのことについて言及し、こともあろうが好きになって欲しい発言と来た。私がマスターを好きだと知りながら、訳の分らないことを言って来るブルーへの怒りが胸の奥からふつふつと沸き上がってくるようだった。
「マスターが君に妹を想う気持ち以外の感情が芽生えるのは0%に限りなく近い。そんな望みのない男をいつまでも思っているよりも、近くにいるもう一人の男に目を向けるのも悪くないと思うんだけど。加えて俺は君が好きなんだから」
喋りながら一歩一歩ズイズイと私の方へ迫って来る。私は腹を立てていながらも、ブルーの勢いから逃れられずにいた。それでも、少しずつ後退りしながら距離を保とうとしていた。
「あんたの言っていること解んない。なんで、私があんたに目を向けなきゃいけないのよ」
後ずさりしながらも強気でそう言った。近所迷惑を考えて控えめなボリュームの声を心がけた。少し気を抜くと、大声で怒鳴ってしまいそうだった。
「解らないの? さっきから言ってるじゃないか。好きだからだよ、紅のことが」
もう既に背中には、壁があって後退ることは出来なかった。ブルーの瞳が私の瞳をがっちりと捕らえ、逸らそうにも逸らす事も出来そうにない。左右のどちらかに逃げようと、ブルーから瞳を何とか逸らした時、ブルーの腕が耳の横を通り壁に手をついた。捕らえられた私は、逃げ場を絶たれ、顔を上げてブルーを睨みつけた。ブルーの瞳が暗闇の中で怪しく光っていた。その瞳は、恐ろしいというよりも、美しく、引き込まれそうなほどの輝きを持っていた。
睨みつけることも忘れ、私はその瞳をずっと見ていた。
やっと、ブルーが出て来ました。前置きが長かったかも……。