第31話
「ブルー。いいよ……、しても」
ちらっとブルーを見上げると、茹でダコみたいに真っ赤になっていた。
「そんな風に言われたら、理性が効かなくなる。冗談でそんなこと言わないでくれるかな。これでも、抑えるのに必死なんだから」
私はブルーを見つめた。そこには困った顔のブルーがいた。
「冗談で言ったわけじゃないよ。私は、いいよ」
そう言うと、ブルーは私を性急に押し倒した。乱暴な行動だったにもかかわらず、どこも痛くなかった所を見ると、ブルーなりに優しく扱ってくれていることを知る。
「もう、止められないぞ。もう一度聞く。本当に紅はいいのか?」
私はブルーの瞳を見つめて頷いた。
そこに嘘はなかった。ブルーならいいと思えた。自分の感情なんて正直解らない。だけど、私は今この瞬間いいと思えたのだ。後悔することは絶対にないと、そう思えた。怖いとは思わなかった。
ブルーが私の唇を塞ぐ。ブルーの指が私の髪を優しく梳かしていく。唇は首筋に落とされた。
私は、瞳を閉じ、感じることだけに集中していた。やがて、ブルーの大きな手が私のそんなに大きくない胸の膨らみを包み込んだ。
一度も触れられたことのない私の体は、不思議な感覚に包まれていた。
くすぐったいような、それでいて気持ちが良いような……。
ブルーの愛撫は至極優しいが、時折意地悪だった。私の反応を注意深く窺いながら、焦らしたり、追い詰めたりする。肌がブルーが触れた途端に熱を帯びたように熱くなる。
このままいけば体中が熱を孕んで、私は燃えてしまうんじゃないかとさえ思えた。だが、体がそれを喜んでいるのが解る。
「ブルー……」
私が発した声にブルーの手と、唇がふと止まった。
ブルーの顔が私を覗き込み、軽くキスをして抱き起こす。そして、ぎゅっときつく抱き締めた。
「ブルー?」
何も言わないブルーに問いかけると、ブルーは、ごめん、と呟いた。
「どうして?」
「約束破った。紅は、俺をまだ好きではないだろ? それを解っていて、それを見て見ぬふりをして、このまま先に進むわけにはいかない」
私はいいって言ったのに……。私がいいって言ったのに……。
私がそう言ってもきっとブルーは首を横に振るのだろう。
ブルーが求めているのは、私の体だけじゃない。勿論、そういうことをしたいに決まってはいるけど、心を伴わないそれは意味がないと断固として譲らないつもりなのだろう。
「じゃあ、私もごめん。自分の気持ちはっきり説明も出来ないくせにいいだなんて言っちゃって。でも、あの時は本当にいいって思ったんだよ。そこに嘘はないよ」
「解ってる。紅は悪くない。悪くない……」
どうして解らないんだろう。自分の気持ちなのに。私は誰の傍にいることが一番幸せなんだろう。
マスターは私に、幸せになれって言ってくれた。
私にとっての幸せは誰と共にいること?
私はブルーに少なからず惹かれている。これはもう、否定できない事実ではある。そうでなければ、自分の体を、ましてや初めての経験を、ブルーに許すわけはないのだ。だが、好きなのかと聞かれると、首を傾けずにはいられない。
いつまでたっても、何処までいっても中途半端な自分の気持ちに嫌気がさす。
「ブルー。ありがとう」
「どうして?」
「ん、何かいつも私のこと一番に考えてくれてるってそう思うから」
「う~ん。勿論、紅のことも十分に考えているつもりでいるけど、自分の為でもあるんだ。きっと今日、紅とそういう関係になったら、俺は後悔するんだろうなって思うんだ。紅、初めてみたいだし」
「なっ、なんでっ?」
何で解んのぉ? 一っ言も初めてだなんて言ってないのに。
ぱくぱくと口を開け閉めするが、言葉は思うようには出て来てくれなかった。
「何でって、体の力の入れ具合から? う~ん、まあ、何となくかな」
何でそんなことで解っちゃうかな。
初めてだって事が別に恥ずかしいことだと思っているわけじゃないけど、周りの友達はみんな経験済みだったりする。焦っているわけでもない。マイペースでいいと思っている。焦って変な男とイヤな想い出を作るよりも、本当に好きな人ととびっきりの想い出を作る方がいいと思っている。
ブルーは私より年上だし、モテるし、今までだって付き合っていた人が何人もいるだろうから、その人たちと当然……。
そっか、ブルーはもう私じゃない誰かと初めてを済ましているんだ。そっか、そりゃそうだよ。それが自然だよね。だけど、何だろう。胸にチクチクと刺が刺さったように痛むのは……。
私より前にブルーの唇に触れた人がいる。私より前にブルーに抱き締められた人がいる。私より前にブルーの肌に触れた人がいる。
私は手を伸ばし、ブルーの頬に触れた。
当然、この頬にも触れた人がいる……。
私の頬を温かいものがつーっと滑り落ちた。
「紅? 何が悲しいの? 俺が無理矢理あんなことしたから? 怖かった?」
私は激しく頭を横に振った。
解らない。解らない……。
答えられない。どうして涙が出るのか。私が聞きたいくらいだ。
私はどうして泣いているの? この感情は一体何なの?
私は一体誰に問えばいいのか……。
「紅、泣くなよ。ごめんな。紅が泣くと俺も悲しいよ」
本当に泣き出しそうな情けないブルーの声に私は笑った。
「あっ、笑った。やっぱりさっきの俺のしたことで怖くなっちゃった?」
ブルーは、押し倒されたことを私が怖くなって泣き出してしまったんじゃないかとしきりに気にしていた。
私はブルーの頬に触れていた手を下ろすと、ブルーの胸に頭を預けた。
ドクドクと激しい胸の音を私は聞いた。
「怖くなんかないよ。全然怖くない。ねぇ、ブルーが今まで付き合って来た女の子たちとこうしていた時もこんなに胸がドキドキしていた?」
「今まで付き合って来た子達には悪いけど、一度もドキドキしたことなんてなかったよ。紅といる時だけだ。こんなに胸の鼓動が激しくなるのも、時々ぐっと苦しくなるのも。前も言ったと思うけど、本当に好きになって付き合ったことがなかったんだ。今まで付き合って来た子達に本当に申し訳ないって今は思うよ。だから、紅とはちゃんと心を通じ合いたい。好きになってよ、俺のこと」
私は抱き締める腕が俄かに強さを増した。
何も答えてあげられない自分に苛立ちが募る。
「ブルーといたら、私幸せになれるのかな?」
「俺を好きになってくれたら、確実に幸せになれるよ。紅が俺を好きになってくれたら、俺はすっごく幸せだから、俺が幸せなら、俺のことを好きな紅も幸せでしょ?」
「何その理屈。俺が幸せにしてやるとか言わないんだ?」
言いたいことは解るけど、ここは一つびしっと恰好良く決めて欲しいところだったんですけど。
「勿論、もし紅が俺を好きになってくれたならこの命懸けて、全力で幸せにするつもりだよ。それは、約束する」
「ありがとう、ブルー。私のこと好きになってくれて本当に嬉しい。でも、まだ解らなくって。待たせてばかりでごめんね」
ブルーが私の頭を優しく撫でた。
「「私はあんたなんか絶対好きにならない」とは、言わないんだ?」
ニヤニヤと私をからかうように覗き込んでくるブルーから視線を逸らした。
図星だ。確かに少し前まではそう言っていた。そう信じて疑わない自分がいた。そして、今の私は少しずつ変化してきている。