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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第29話

 ドアをこっそりと開けて、中に入るとブルーを起こさないように部屋に入る。まるで何か悪いことでもしているような、罪悪感のような、でもちょっと楽しくて高揚感のような変な気分だった。

 わざわざ自分のうちまで着替えやタオルまで取りに行って、こうやってブルーのうちに戻って来る。何となく非現実的な感じがそんな気分にさせたのかもしれない。

 私は、ブルーが私の侵入で目覚めていないかを確認してから、風呂場に向かい、湯が温かいうちに体を湯に沈めた。

「んにゃぁぁ」

 と、何ともまあ締まりのない声が出て来てしまったが、誰が聞いているわけでもない。

 両手にお湯を掬い、手の中のお湯が流れ落ちるさまを見送りながら、

「私何でここでお風呂なんか入っちゃってんだろう……」

 と、呟いた。

 この壁1枚向こうでは、ブルーが風邪の病魔に侵され、ぐったりと寝ている(実際はそこまで酷くはない)というのに。しかも、その原因は、明らかに私にジャケットを貸したせいだと思われるというのに。私は風呂でぬくぬくと寛いでいていいものなのだろうか。

 まあ、今更悪いなって思っちゃっても、現にこうして寛いじゃってるわけですから……。

 ブルーが病魔に侵されながらも折角用意してくれたお風呂ですから、寛がなきゃ悪いですから……。

 などと、都合よく解釈して、寛ぐのであった。

 体を芯まで温め充分に寛いでから、風呂から上がり、若干迷いはしたがブルーのドライヤーを拝借し、洗面所を出た。ブルーの枕元に行き、様子を窺った。薬が効いているのかぐっすりと寝ている。寝顔も昨日より随分穏やかなものになっている。だが、多少顔色が悪いせいかやつれて見える。

 私は手の甲でそっとブルーの頬に触れた。触れた瞬間に、我に返り自分の行いの突飛さに慌てて手を引っ込めた。無意識の行動とはいえ、自分のそんな行動に疑問を感じた。

 逃げるようにその場を立ち、台所に行き、気を落ち着かせる為に紅茶を飲んだ。

 一昨日は気付けばブルーと一緒に眠っていた。昨日は昨日でマスターと共に寝ていた。そして、今現在、ブルーの部屋におり、ついさっきまでお風呂に入っていて、風呂上がりには紅茶なんか飲んでしまっている。

 私って、なんかやばくないかな?

 自分で望んでそうなったってわけじゃないけど、ブルーともマスターとも一緒に寝て、勿論いかがわしいことがあったってわけじゃないけど、私ってもしかしたら警戒心が無さ過ぎるんじゃないのかな。男の人の前でこんなに容易に隙を見せるのは良くないんじゃないかな。

 マスターに限って何かするってことはないとしても、ブルーには前科があるわけだし、ブルーに何かされても文句は言えない。でも何故だろう、ブルーの部屋はとても落ち着く。下手をすれば自分の部屋よりも居心地がいいかもしれない。

 この居心地のいい雰囲気を創造しているのはブルーなのだ。ブルーの優しさだけが滲み出ているようだ。そう、ブルーに抱き締められている時にふと感じる安心感を常に感じる。

 

 紅茶を飲み終え、一息つくとブルーの寝ているリビングに移動した。バッグの中から問題集と筆記用具を出し、テーブルの上に置いた。

 来週、学校でTOEICのテストがあるのだが、全く勉強せずに今日まで過ごしてしまった。そろそろ本腰を入れて取り組まないことには、かなりまずいことになりそうだ。

 それは解っているのだが、問題集を前にして、腕を組んで睨みつける。気の進まない作業というものは、始めるまでに中々の時間を要する。学習も然り、始めようとするのだが、一向に問題集を開こうという気になれないのだ。

 低い唸り声を上げて、自分の中の何か(勉強したくないという気持ち)と格闘したが、それに負けた私は問題集を仕方なく開いた。

 あんなに渋っていたのが嘘のように、問題を始めてしまえば、すらすらと集中して解いて行くものだ。

 そもそも私は、英語がそんなに得意ではない。たまたま推薦が取れたのと、当時の担任教師がしきりに短大に行くように勧めたので、特に希望のなかった私は、抵抗することもなく今の短大に入った。ただ、4年制の大学にだけは入らないと断固拒否した。理由は簡単、勉強が嫌いだからだ。そんな長いこと勉強してられますかっての。

 推薦だった為、受験勉強も一切していないので(書類選考と小論文のみだった)、落ちこぼれもいいところなのだ。母校の推薦枠に影響を与えているんじゃないかと内心冷や冷やしていたりする。

「ああ、こりゃ全く解らないね」

 暫く集中してやっていたのだが、私の苦手な分野に差し掛かると途端にやる気をなくし、ひとりごちた。

 私には将来の夢と言われるような立派なものがない。英文科に所属していながら英語が出来ないので、英語関係の仕事になんて就きたくもない。自分が何になりたいのか、何がしたいのか、何が好きなのかさっぱり解らない。

 短大の友達は皆、就職活動の真っ盛りで、もう既に内定が決まっている子も中にはいる。卒業後は日本を出て留学やワーキングホリデーに参加すると決めている人もいる。

 それに対して私ときたら、何にも決まっていない。何にもしていない。何にも考えていない。

 就職すべきか、就職するのならばどんな業種が良いのか、考えたくが無い為にここまで放ったらかしにし、挙句皆から大幅に出遅れたことになる。

 取り敢えずはフリーターとして働き、じっくりと自分を見つめてみるのもいいかもしれない。

 でも、ちゃんと自分を見つめられるのかな。いっそどこでもいいから就職しちゃった方が良いのかな。

 そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、ノートの隅に落書きをしていた。

 この間からずっと書き続けているパラパラ漫画が、完成間近なのだ。クマがハードルを飛びながら近付いて来て、最後にゴールをするっていう単純なストーリー展開になっている。どうしてもノートや教科書の隅にパラパラ漫画を書きたくて仕方なくなってしまうのだ。友達には私のパラパラ漫画が大好評で、調子に乗って何個も作っているうちに止められなくなってしまった。

 このクマはクマゴローというベタな名前が付けられているのだが、私のパラパラ漫画によく登場する人気キャラクターの一つなのだ。その他にも、ウサ山さん(ウサギ)やゴン造(犬)、タマ美(猫)なんかがいたりする。基本的には登場人物は動物がメインなんだけど、一度だけ恋愛を取り入れた物を書いた事がある。

 女の子が男の子に好きって想いを告げるのだけれど、男の子は何も言わずいなくなってしまう。フられたのだと悲しみにくれた女の子がシクシクと泣いていると、男の子が戻って来る。驚く女の子に大きな花束を差し出して、「好きだよ」と、照れながら告げる。そして、頬を真っ赤にした初々しい二人は唇を重ねる。

 そんなストーリーだった。これは友達にリクエストされて作ったお話だったんだけど、書いている間中、なんだか気恥かしくて、上手くいかなくて何度も書き直したものだ。特に最後のキスしている絵を書くのは恥ずかしくて仕方なかった。

 そのパラパラ漫画は友達の間で大絶賛された。それ以来恋愛が絡むものは書いていない。気恥かしくてかなわない。

「上手いんだな、紅。絵が上手い」

「ぅわっ」

 突然耳元で呟かれ、ペン先があらぬ方向へ走った。ゴールテープを切って両手を上げながら走っているクマゴローの腕が右だけえらい長さになってしまった。


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