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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
28/104

第28話

「マスターは食べないの?」

 カウンターに座って食べている私の正面に立って、煙草をふかしながら、目を細めて私の食べっぷりを見ていた。夜の賄いの時も、こうやっていつも私の食べっぷりを観察している。

「俺はこれでもデリケートに出来てるからな、朝は飯が喉を通らないんだよな」

 デ、デリケート……?

「デリケートって。ぶふっ、デリケートって顔じゃないんですけどっ」

 私が笑いを堪え切れずに吹き出して、そう言うと、マスターはゲンコツを突き上げて殴るふりをした。

「ああっ、嘘嘘。マスターは超デリケートだよ、うん。繊細、繊細」

 頭を両手で隠しながら慌てて訂正した。

 前に何度かマスターのゲンコツを喰らったことがある。あれは、半端なく痛いのだ。マスターは手加減というものを知らない。

「馬鹿だな、お前。俺が本当に殴るわけないだろ?」

 だって、いつも私が仕事中にミスするとゲンコツするじゃんかっ。怨みがましい目で睨み付けると、マスターは苦笑した。

「俺がお前にゲンコツするのは、仕事中だけだ」

 そんなこと言われても、マスターと仕事中以外で話すのなんて1年くらいぶりなんだから、忘れちゃったよ。

「そんなん知らないし」

 マスターは、ちょっといじけた私を見て、くくっと笑った。

 どうせ、ガキだなとでも思っているのだろう。

「ご馳走様でした。これ洗ったら私帰るね」

「いや、俺が洗っておくからいいぞ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えてお願いします」


 私は、軽く身支度をして(いくらアパートまですぐだからといっても寝癖全開で街を歩くのは流石に出来かねた)から、マスターに軽く手を振り店を出て、足早に歩き始めた。

 今日の講義は午後からだから急ぐ必要は全くなかった。だが、その前に様子を見に行きたい。実は、朝目覚めてから、ブルーのことが気になって気になって仕方なかったのだ。もしかして、夜中に急変して死にそうになってたらどうしようとか考えると、私はいつの間に駆けだしていた。

 大した距離ではないが、運動不足のためか呼吸が上手く出来なかった。早く早くと思うのに、そう思えば思うほどに足は縺れ、転びそうになる。

 やっとブルーのアパートまで辿り着いて、呼吸を整えるのも忘れてチャイムを押した。

 暫く待ってみたが一向に出て来ない。いつもいつもブルーの部屋に来ると待たされる。

 もしかして……。

 私は勢い良くドアを開けて中に入ろうとした。

 ガッ。

 ドアは開かなかった。

「……鍵がかかってる」

 私は再びチャイムを鳴らしたが、ブルーは出て来ない。

 風邪が治って大学に行ったのかな? あんなに苦しそうだったのにそんなにすぐに治るものなのかな?

 ブルーの携帯を鳴らしてみたが、圏外を知らせるお馴染みの音声が流れるのみだった。

 力無くドアに寄り掛かり、そのままずるずると座り込んだ。

 何処にいるのか解らないことほど不安を感じることはない。

 何処にいるんだろう……。

 曲げた膝に顔を埋めて大きな息を吐いた。


 寒い……。

 あれからどれくらいたっただろうか。ブルーの部屋の前に座り込んで、ついウトウトとそのまま居眠りをしてしまった。

 寒くて体が凍り固まったように動かない。

「紅っ。何してんのこんなとこでっ」

 急に声を掛けられて、驚いて顔を上げたが、その行動は見事なまでにスロー再生だった。

 そこには、マスクをしたブルーが立っていた。

 居眠りしていたせいで、ブルーの足音にも気付かなかった。

「ブブルゥー?」

 寒さのせいか声が震えて上手く話せなかった。

「いつからここに?」

 ブルーは歩み寄ると私を抱えるように立たせた。

「体が冷たいよ。とにかく入って、早く温めないと」

 鍵を開けると私を部屋の中へ招き入れた。

 部屋に入り、ほんのりと温かい空気に、徐々に頭がはっきりとしていくのを感じていた。居眠りした事と、体が冷えたことで頭の回転まで鈍く(もともと回転が速い方ではないが)なってしまっていた。

 ブルーは洗面所に消えたかと思うとすぐに戻って来て、押し入れの中から分厚い毛布を引っ張り出し、それをファサリと私に掛けた。

 ありがとう、と言葉にした時にはすでにブルーは台所にいて、薬缶を火にかけ、再び私の元に戻って来た。そして、小さく丸まって達磨のようになっている私を包み込んで、ゆっくりと背中を摩った。

「寒くない?」

「まだ、ちょっと寒い。だけど、ブルー凄く温かいから」

「まだ熱があるからね」

「まだ熱があるの? なら、そんな体で何処に行ってたの?」

「病院だよ」

 ああ、そっか。

 簡単に考えれば解る事だった。髪を切りたくなったら美容院、本が借りたければ図書館、映画が見たければ映画館。それぐらい当り前に、具合が悪くなったら病院ではないか。何故、そんな簡単なことに頭が回らなかったんだろう。

「で、大丈夫なの?」

「正直、ずっとしんどかったんだ。でも、病院で見て貰って、点滴をうって貰ったし、薬も貰って来たから大丈夫。ただの風邪だからすぐに治るよ」

 きっとまだしんどいのだろう。

 あんなにテキパキ動いていたけど、顔色は悪く、息も荒い。

 私がこんなんだから、横になりたくてもなれないんだ。

「嘘っ。そんな平気なふりして、本当はまだしんどいくせにっ。私のことは大丈夫だから、もう横になって」

 私はブルーを強引に引き剥がすと、敷いたままになっていた布団に押し倒した。

「なんか、これって紅にエッチなことされそうなだよね。俺が元気だったら、逆に押し倒すんだけどな。でも、これもまたありかも」

「もう、馬鹿なこと言ってないで布団ちゃんとかけて」

 私の体の冷えはブルーの体の熱が大分温めてくれた。私も本調子に戻りつつあった。

「紅。薬缶に火をかけてるから、コーヒーでも紅茶でも好きなもの飲んで。それから、お風呂にお湯を溜めてるからお風呂入って。俺、こんなんだから絶対覗いたりしないから、安心して入って大丈夫だから。ああ、ごめん紅。せっかく来てくれたのに、俺、眠いや」

 最後の方は半分目を閉じていて、言葉もあやふやだった。

 おっお風呂……。

 ブルーが風邪引いて寝込んでるっていうのに、勝手に借りちゃって、優雅に朝風呂なんて完全に寛いじゃっていいものなんだろうか。なんて思ったりもしたけど、弱っているブルーが折角私の為に用意してくれたんだから、遠慮なく使わせて貰おう。

 早速、お湯の溜まり具合を確認する為にお風呂場へ。ちょうどいい具合に溜まっていたので、お湯を止めた。

 ブルーのアパートはバス、トイレが別だ。うちのアパートはユニットバスなので、お湯をはったことはない。とても便座の横でゆっくり湯船につかりたいとは流石に思えないのだ。

 風呂場から出てくると、丁度薬缶のお湯が沸いたところで、ピーっっと凄まじい音が響き渡ったので、私はブルーを起こさないように静かに、でも走って火を止めた。火を止めた後、ブルーを窺い見たが、規則正しい寝息を立てているのを見て、ホッと息を吐いた。

 私としては、飲み物を飲む前にお風呂に入りたかった。とにかくお湯の中に身を沈めて、しっかりと体を温めたい。ブルーのお陰で大分体温が戻ってきてはいたが、まだ充分ではないように思った。

 でも、タオルも着替えも持ってないんだよねぇ。って、すぐそこなんだから取りに行けばいいんじゃね?

 ってことで、うちまで一っ走りして、服も下着も着替えてから、バスタオルだけ持ってブルーのうちへ戻った。


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