第27話
「ところで、ベニ。お前、ブルーと付き合ってるのか?」
「なっ、何突然っ。今、そんな話してなくない?」
突然、ブルーの名前を挙げられてぎくりとした。
「あんまりしんみりした話ばっかりしていると気が滅入るかと思ってな。どうなんだ?」
「だから、違うって言ってんじゃん。そんなんじゃない」
何で、わざわざブルーの話をしなきゃならないんだ。
「ふ~ん、そうなのか。でも、ベニも恰好良いとか思うんだろ?」
何なんだ一体。今日のマスターはやたらとブルーについて聞きたがっているようだ。
「まあ、騒がれるだけあって整った顔をしているよね。でも、私はあんまり整った顔の人は好きじゃないからねぇ」
私は別にミーハーではないから、ブルーを見て、キャーキャーと黄色い声を上げたりしない。そもそもキャーキャーなんて普段から言ったりしないけど。
最初はブルーが苦手だったし、あの顔にも興味もなかった。そもそも、私は美しすぎる男にこれまで興味を持った事がない。テレビで出てくる若いアイドル達よりも、ちょっと年上の渋い俳優の方に断然目が引かれる。
あれ? 考えてみれば、私って年上の渋みのある人が好みだったのかな。
マスターだって、一回り以上も歳が離れているのだし。
それでも、何度か間近で見るブルーの表情に見惚れたことはある。
「そうか」
マスターはふぅと一つ息を吐いた。心なしかホッとしているようにさえ見える。
「やっぱり、ベニはいいな」
まるで独り言のようにぼそりと呟いた。
「え? 何が?」
私がキョトンとマスターを見ると、普段あまり見せることのない優しすぎるほどの笑顔を浮かべ、私の頭をポンポンと叩いた。
何かを慈しむようなマスターの態度に戸惑いを隠せずにいた。
やっぱり、今日のマスター、なんか変。いつもよりも何十倍も優しいし、私を見つめるその瞳は、何処かしらブルーの切なげな瞳を思い起こさせる。
もしかして……。まさかまさかっ。そんなわけないよね。まさかマスターが私を好きだなんてこと……。なんて、あるわけないかぁ。自惚れ過ぎでしょっ。
自分自身に突っ込みを入れて、マスターが私を好きなんじゃないかという疑惑を払拭した。
マスターはその後もぽつりぽつりと昔話なんかをした。マスターはお酒を結構飲んでいたようだが、少しも酔った気配はなかった。
マスターの話を聞きながら、私はそのうち船を漕ぎ始めた。ほんのりと薄暗い店内の照明と、マスターの低い声が子守唄のように眠りを誘い、そして、意識はぷつりと途切れた。
私が目を覚ました時、人の温もりを感じた。
またブルーに抱き締められてるのかな。本当、油断出来ない奴。また、殴ってやらないと……。
半分眠りの中でそんな事を考えながら、ゆっくりと目を開けると私の目の前には、ブルーの寝顔ではなく、マスターの寝顔がっ。
「うえぇぇぇっ? なんでっ?!」
がばりと起き上がり、マスターが寝ているというのに、思わず大声で叫ぶと、マスターがパチリと目を覚ました。
「ああ、ベニ。早いな」
まだ寝ぼけているのか、マスターの夢見るような表情は、何とも貴重だ。
何と言っても、そんな寝ぼけ眼のマスターはとても可愛らしく見えた。
「えぇっと、マスター? 何で私達は一緒に寝てたんだろう?」
私達が一緒に寝ていたのは、マスターがいつも寝床にしている休憩室のソファベッドだった。
何だろこのデジャブ感。相手も場所も全く違うというのに……。
「んあ?」
締まりのない返事をして、目を擦る様はまるで寝起きの悪い子供みたいだ。ふぁっと大きな欠伸と、精一杯の伸びをした後、やっと目覚めたような顔をした。
「んん? 何だ、ベニ。どうかしたか?」
まるで、私の質問など聞いていなかったような、その返答に呆れて嘆息した。
「だから、何で一緒に寝てたのかなって聞いてんの」
「ああ、お前昨日カウンターで寝ちゃったからな。今にも椅子から落ちそうだったからこっちに運んだんだよ」
「私は別にソファっで良かったのに」
「生憎布団はこれしかない。ベニをあっちで寝かせて風邪引かすわけにもいかないだろう」
当たり前のようにそう言われてしまったら、そうですかと納得せざるを得ない。
「一応聞いておくけど、私とマスターがどうにかなっちゃったってことはないよね?」
勿論洋服は来ているし、多少寝乱れている感じはするけど、何かをされた形跡は全くない。私とマスターは同じソファベッドに寝てはいたが、マスターが私を抱き締めていたりするようなことはなかった。私が目覚めた時感じた人の温もりは確かにマスターのものではあったが、それは、布団から伝わるマスターの温もりで、マスターそのものから直接伝わる温もりではなかった。それでも、一応、確認というべきものをしておきたかったのだ。
「俺が何かしたとでも思ってるのか? ああ、だが、ベニが寝ぼけてせまって来た時には、驚いたぞっ」
一瞬息を飲むほど焦ったが、そう言った後、マスターがニヤリと笑ったので、それが嘘なのだと解った。
「あのねぇ、私がそんな事するわけないでしょっ」
「まあ、そうだな。お前があんまりぐっすり寝てるもんだから、手を出したくても出せなかったよ」
本気とも冗談とも取れる曖昧な態度でそんな事を言い、私を困惑させた。口調は冗談のような雰囲気を持たせているのに、瞳が真剣なのだ。その言葉ぶりを信じればいいのか、その瞳を信じればいいのか判断しかねた。
「朝飯作ってやるよ。今日、講義あるんだろ? 時間、大丈夫か」
私の困惑など知らんふりで、全くいつもの調子に戻ってマスターが言った。
時計を見上げると、8時少し前だった。
「うん、平気」
さっきのマスターの態度には、気にかかる点が残ってはいたのだが、マスターの料理を朝から食べられるなんて何ヶ月ぶりだろうと考えると、先ほどのことなどもうどうでもいいことのように思えて来てしまった。
ああ、朝からマスターの手料理なんて、超ラッキーだ。
マスターは手早く朝食を作り始めた。私も皿を出したり、邪魔にならない程度の手伝いをした。
「マスターと結婚する人は毎日マスターの手料理が食べられるんだね」
そう、本当に不思議なんだけど、マスターにこんなことを言ったりするのに、苦痛が伴わなくなって来ていた。
「まあ、そうだな。でも、店をやってるから、夜は一人にさせちまうんだよな」
確かにそうだ。結婚してるのに、夜一人で部屋で寝なければならないのは寂しすぎる。
「あっ、解った。じゃあさ、この店一緒にやってくれる人探せばいいんじゃないの?」
結婚……。きっと、私にはまだまだ先の話になるのかな。
もし、マスターが私のことを好きになってくれて、結婚なんてことになったら……。
全く思い描けない。結婚どころか、恋人になったところすら想像することが出来ない。
どうやら私には、マスターのことは大好きであるのにかかわらず、こうなりたいとか、ああなりたいとか、具体的な願望が全くないようなのだ。
抱き締めて欲しいとか、キスして欲しいとか、触れ合いたいとか、そんなこと一度も思ったことがなかった。ただ、マスターの笑顔をもっと見たいと思っていた。
「俺のことはいいから。それよりほら、出来たぞ。食えっ」
フレンチトーストとオムレツとオニオンスープとサラダ。オムレツを箸で割ると中からとろりとチーズが出て来た。
「んんっ、美味しいっ!!!」
オムレツを一口口に入れて、その美味しさに思わず叫んだ。
朝は殆ど牛乳と食パンをトーストして、マーガリンを塗って食べるだけで、他のおかずは何もなしというひもじい朝食をとっている私にとって、マスターの朝食は豪華過ぎるほどであった。