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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
21/104

第21話

 たった今まで微笑んでいたその顔が、苦虫を噛んだように奇妙に歪んでいた。

 ブルーのこんな顔初めて見た。

 お店にいる時の無表情は本当に何があっても表情の変化が見られないのに対して、今のブルーには恐ろしいほどに表情があり過ぎた。

 聞いちゃいけなかったんだ……。家族のことは聞いちゃいけなかったんだ。

「あの……ねっ。私の実家にはさっ、犬がいるんだけど! 私が小学校の高学年の時に拾って来た犬なんだけど、雑種で、まゆって名前なんだっ」

 慌てて話題を変えたため、かなり不自然だったと思う。でも、話し始めてしまったからには最後まで話さないわけにはいかなくなった。

「白い犬なんだけど、丁度眉毛があるあたりだけ見事に毛が黒いの。真正面から見たら、ぶっとい眉毛がすっごい存在感があって、不細工なの」

 私は身振りや手振りを加えて、必死にまゆの話をした。

 なんでこんなに私は一生懸命なんだろうって思うと不思議だった。だけど、ブルーのあの苦虫を噛んだような表情をこれ以上見ていたくはなかったのだ。どんな理由であったとしても、あんな表情のブルーを見ていたくはなかった。

 そんな必死な私を見て、ブルーはぷっと吹き出した。

「ごめんな、紅。気を使わせてしまった。ありがとう」

 ブルーにぽんぽんと頭を優しく叩かれ、私は激しく頭を振った。

 こっそりとブルーを見上げると、いつもの優しい微笑みを浮かべていて、私はホッと息を吐いた。

「紅はまゆが好きなんだ?」

「うん、大好き。まゆを見てるとついつい吹き出しちゃうんだ。どんなにイヤなことや、辛いことがあっても、まゆを見ているとどうしても笑わずにはいられなくなるんだよ」

 まゆは今も母の所にいる。母はマンションに住んでいるが、ペット飼育OKなマンションなのだ。

 父がいた頃は、一軒家で、まゆは庭に繋がれていたが、今は室内犬として、部屋の中を我が物顔で闊歩している。

 私がいた頃は、私が散歩係だったので、たまに顔を出すと勢い良く飛び付いてくる。その顔が不細工で、それが中々可愛くて、そうそうブサ可愛いって感じなのかな。

「今度、ブルーも一緒にまゆを見に行く? まゆを見ていたら、本当に可笑しくて笑っちゃうんだから。高校の時はね、友達が悩み事があったりすると必ずまゆを見に来てたの。あれでまゆも人気者なんだよ。あっ、そうだ。それに、うちにはピアノがあるから弾いて貰えるし。アップライトだけどね」

 そこまで言って、自分が口走ったことの重大さに気付いた。

 まゆを見に行く? と誘ったってことは、実家に遊びに来る? と誘ったのと同じことで、それって私の母に会ってって言っているようなものなんじゃないだろうか。

 ブルーは私の発言の意味をどう捉えるべきか悩んでいるように見えた。

「いやっ、あのっ、ほらっ、ねっ。深い意味は全くなくて、ただ、まゆを見せたいって思っただけだから。うんっ。だから、本当に変な誤解しないでっ」

「誤解って、例えば、紅が俺を好きになってくれたんじゃないか……とか?」

 私が何も言えずに言葉に窮していると、苦笑してこう続けた。

「解ってるよ。紅がまだ俺を好きじゃないことくらい。ちょっと暗かった俺にまゆを見せたいって思ってくれたんでしょ? 俺もまゆに会いたいな。別に紅の実家に行くんじゃなくても、まゆを外に連れ出して二人で散歩とかすればいいんじゃないかな。一緒に散歩しよう、紅。紅の実家は確か近いんだよね」

「うん、私もブルーにまゆを会わせたいな。きっと二人(一人と一匹だけど)仲良くなると思うよ」

 ブルーのさりげない優しさが私は好きだと思う。

 いつもこの多重人格者もどきに振り回されっぱなしだけど、私が落ち込んでる時や、困ってる時はさりげなく気遣ってくれる。今も、実家にはいかずに散歩だけしようと私の気持ちの負担にならないようにしてくれた。さっきまで私がブルーを元気づけようとしていたのに、いつの間にか逆の立場になってしまっているようだった。

「まゆは雌でね、イケメン君が大好きなの。散歩するとすぐに男の子の方に行っちゃうんだから」

「紅、それでまゆをだしにして逆にナンパとかされなかった?」

「うん? まあ、話したりすることはあったけど、それだけだよ? あんなのナンパじゃないよっ。可愛い犬ですねっとかそんな世間話程度のものだったし」

 確かにまゆが近寄って行った男の子たちと話したりすることはあったけど、世間話程度のもの。誰も私のことなんか相手になんかしてなかった。そもそも高校時代の私なんてテニスをやっていたから腕も足も太かったし、真っ黒に日焼けしていたから、可愛い感じではなかった。野生児って感じに近かったような気がする。

「紅。無防備すぎ。男は可愛い女の子を前にすると、気を許させていきなり襲いかかったりするんだからね」

 それは、もしやあなたのことでは……。

 そう突っ込みそうになったが、逆襲が怖かったので、そのまま心の中で留めておくことにした。

「その頃も今も私は可愛くないから大丈夫ですっ」

「その頃の紅は見たこと無いから何とも言えないけど、少なからず今は可愛いと思うけど? だから、俺は変な男が紅に近寄って来ないか心配でしょうがない」

 ブルーはどんな色眼鏡で私を見てるんだろう。私なんて別に可愛くもなんともないのにっ。

「だから、今度からまゆを散歩する時は俺を呼んで。すぐ行くから。俺が紅を守るよ」

 また一つ甘い毒を飲まされた気がする。きっとブルーは私を甘い毒で弱らせて抵抗出来なくさせているんだ。

 俺が守るよ。

 そう言われて、嬉しくないわけがない。別に男の子に守られたいって思っているわけじゃないけど。その言葉は私の心には甘い毒だった。

「紅、そろそろ帰ろうか? 日が暮れて来たし、寒くなって来たろ?」

 昼間は温かくなると天気予報で言っていたので、薄着で来てしまった為、肌寒く、先ほどから少し震えていた。

 気付いていたんだ、ブルー。気付かれないようにしていたつもりだったのに。 

 ブルーは自分が来ていたジャケットを私に着せた。ジャケットの下は半袖でとても寒そうに見えた。

「ブルーが風邪引いちゃうじゃん。いいよ、私は平気だから」

 ジャケットを脱いで返そうとしたが、ブルーに呆気なく制された。

「こういう時は、男に恰好付けさせるもんだよ。それに、もし俺が風邪をひいたら紅に看病して貰えるんじゃないかなって期待もあったりする。ま、そんなやわじゃないつもりだから大丈夫」

 そう言った途端にブルーは盛大なくしゃみをした。

「もう、解ったから早く行こう。本当に風邪引いちゃうよ」

 私はブルーの腕を引っ張り土手を早足で走り始めた。

 つと前にもここをこうして、誰かの手を引いて歩いたことがあるような気がした。あのプラネタリウムが母とかつて訪れていた場所であったことを考えると、その誰かは恐らく母なのだろう。懐かしい思いに涙が込み上げて来たが、それを無理矢理振り払った。

 何にもないこの町にまた来たいと思った。それと同時に来てはいけないような気もした。いつまでも美しい思い出を追い求めても何も新しいことは生まれて来ないように思ったのだ。

 駅に辿り着いた時、私は汗だくで息もかなり乱れていた。一方ブルーは全く汗をかいているようには見えなかったし、息も乱れてはいなかった。

 自分の運動不足を痛いほどに感じた。

「なっ、なんでそんなに平気な顔してんのよ」

「えっ? そりゃ、紅が俺のこと引いて走ってくれたからね」

 こいつ……、女の私に引かせて、楽をしていたな。

 どうりで何となく重みを感じると思ったわけだ。

「自分で走んなさいよね」

 お陰で汗だくで体がべたべたする。早く家に帰ってシャワーを浴びたいものだ。


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