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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第20話

「ねぇ、ブルーのこと教えてよ。私、まだブルーのこと全然知らないよ」

 手を繋いで歩きながら、こんなに近頃接点が多いのに、私は未だにブルーのことを何も知らないことが、何だか不自然なことに思えてならなかった。

「いいよ。何が知りたい?」

「そうだな。じゃあ、自己紹介してよ」

「今更、自己紹介って恥ずかしいな。でもまあ、紅が言うならしましょうか、自己紹介」

 苦笑を浮かべてそう言ったが、ちらっと私を見た後、ブルーは再び口を開いた。

「杉田青21歳。M教育大学4年。趣味は紅をからかうこと。特技は紅を困らせること。好きなタイプは、勿論紅。将来の夢は紅と結婚して、紅にそっくりな娘を持つこと。それから……」

「ちょっとちょっとちょっと。あんた、いっぺん殴ってやろうかっ。もう一回趣味からやり直しっ。私のこと言ったら本気で殴るよっ」

 信じられないっ。結婚とか言ってるしっ。これってさらっとプロポーズされたのと同じことなのかな? って娘とか気が早すぎでしょ、いくらなんでも。一体、どこまで本気で、どこからが嘘なの?

 ちらっとブルーを見ると、不満げに唇を尖らせていた。

「え~、この後、好きな食べ物は紅って言う筈だったんだけどな」

 いっぺん死ねっ。

 私の右ストレートがブルーの顔面に入る筈だったんだけど、避けられ、腕を左手で掴まれてしまった。

「残念でした。……あっ、なんか紅が食べたくなってきた」

 右腕はブルーに掴まれ、左手はもともと握られていた。お互い正面を向いて、両手を繋いでいる(片方は腕を掴まれているのだが)ような状態になっていた。

 見上げるとそこには、舌なめずりする野獣が一頭、もとい、ブルーがニタニタとイヤな笑顔をして笑っていた。高慢ちき男のお出ましのようだ。

 ああ、食われる。助けてっ。

 ぎゅっと強く目を瞑った瞬間、鼻の頭に痛みが走った。

 驚きに鼻を押さえて、目を見張ると、間近にブルーの顔があった。

「紅の鼻頂きました。ご馳走様」

 可笑しそうにケタケタ笑うブルーを見て、何か言ってやろうと口を開いたら、その口をブルーに塞がれてしまった。

 そう、ブルーに食べられたのだ。野獣のように激しく、私は食べられたのだ。今までのキスがまるでままごとのように感じるほど、そのキスは大人なキスだった。

 キスって運動なんだってその時感じた。そう、言うなれば持久走のようなもの。私もブルーも息を切らしていた。ブルーが私を解放した時、私は立っていられず、その場に崩れ落ちた。

 ブルーは、そんな私をさっと抱き留め、見上げる私の視線から目を逸らし、「ごめん」だなんて、しおらしく謝った。

 悪いなんてちっとも思ってないくせに、そんなに恥かしそうにしたって騙されないんだから。あんなに激しい大胆なキスをしておいて、そんな照れた態度は卑怯だ。

 ……全て許してしまうじゃない。

「悪いなんて思ってないくせにっ。だったらしないでよっ」

「悪いと思ってるよ、本当に。でも、次の瞬間には、また、キスがしたくなる」

 そんな少年みたいな笑顔も卑怯だよ。

 そんな顔されたら、怒りたくても怒れないじゃない。

「許してくれる?」

 その切なそうな瞳は、反則だよ。

「馬鹿っ」

 私のその態度が、私がブルーを許したのだということをブルーは既に知っている。満面に笑みを拵えて、悔しそうに唇を噛んでいる私のおでこにそっとキスをした。

 ずるい奴っ。

 土手を再び歩き始めた二人は相変わらず手を繋いでいて、ブルーは今度こそ真面目に自己紹介を始めた。

「趣味は、本を読むことかな。特技はピアノ。好きな食べ物は、和食全般。好きな色はやっぱり青かな。自分の名前と一緒だからね。将来の夢は一応教師になること。こんなもんでいいかな?」

「ブルー、ピアノ弾けるの?」

 かなり意外だった。

 だけど、ブルーがピアノを弾く姿はきっと様になっていて、さらっとショパンなんかを弾いてしまった日には、それを見た女の子達は、黄色い声を上げるんだろう。

「まあね。幼稚園の時に初めて、高校2年まで続けてたんだ。流石に受験前には止めたけどね」

 それだけ続けていたんなら、かなりの腕前なんじゃないだろうか。

「聞いてみたいな。ブルーのピアノ。ブルーはどんな曲を弾くの?」

「残念。ピアノがないよ。ピアノがあればいつでも弾いてあげられるんだけどね。俺は、クラシックも好きだけど、ジャズやラグタイムも好きだな」

「へぇ、何でも弾けるんだね。ほらっ、駅前に楽器屋さんがあるじゃん」

 私達が住んでいる町の駅前には大きな楽器屋さんがある。ピアノも中古から新品まで、グランドからアップライト、デジタルピアノまで、豊富に取り揃えられている。そこで弾くにはギャラリーが多いし、他の人が弾いている音と混じってしまうという難点はあるのだが。

「まあ、今度、機会があったらね」

 ブルーのピアノ。今からかなり楽しみだったりする。

 こうやって誰かのことを少しずつ知っていくのは、楽しいことだった。

 二十歳を過ぎると、友達が出来てもその関係は希薄なものになっていく気がする。高校までのクラスメイトとの濃密な時間のようなものはどう頑張ってもない。仲が良くなっても本当に知っていると思える人がどれだけ周りにいるのか。私は久しぶりに誰かを本気で知ろうと、本気で知りたいと思っているのだ、と感じた。

「ねぇ、教師になるのが夢って何の教科を教える先生になりたいの?」

「国語かな。古文もいいなって思ってる。昔のものでも現代のものでも、本を読むことが凄く好きなんだ。中学か高校で教えたいと思ってるんだ」

 ブルーが先生かぁ。

 ブルーはもう大学4年生だから、来年になったら本当に先生になってるんだな。

 きっと無表情で愛想がなくて、でも、女子中高生にはそれがまたツボで、キャーキャー騒がれるんだろうな。

 何だろう。容易に想像出来ちゃうよっ。

「きっとモテるんだろうね。ファンクラブとか出来ちゃうんじゃないの? 休み時間には、取り囲まれちゃったりして。それで、可愛い女の子たちから告白とかされちゃうんだよ」

「そうなったら、紅はやきもち妬いてくれる?」

 やきもち? 女子中高生に? う~ん、どうなのかな。

「解んないや」

「そっか。早く紅にやきもち妬いて貰えるようになりたいな」

「普通、やきもちってイヤなんじゃないの? そういうの男の人はイヤなんだと思ってた」

 自分は嫉妬深いタイプではないし、束縛するタイプではけれど、好きな人が他の人と仲良くしているのを見れば、そりゃ人並みにやきもちの一つも妬く。

「紅にならいい。寧ろ、されたい」

 いつもいつも自分の想いをストレートに伝えてくるブルーに、尊敬に似た想いを抱く。

 その表現の仕方はどうかと思うけどね。

 すぐ抱き締めたり、手を握ったり、キスしたり。だけど、そんなに素直に気持ちを堂々と伝えられる人はいないと思う。ブルーは凄いと思う。違う誰かを思っている人に、こんなにもストレートに熱い想いをぶつけるのは、勇気のいることだと思う。まあ、正直言われる方は、恥かしくって、困惑して、どんな態度をとればいいのか解らない。

 私は、ブルーに好きって言われるとドギマギするし、抱き締められるとどうしたらいいか解らなくなる。キスをされると思考能力が低下する。それらは慣れるどころか、徐々に激しくなってきている気がする。

「ブルーの家族はどんな人?」

 もうドキドキさせられる話題は避けたかったので、まるっきり違う話題を振ってみたのだが、違う意味でドキドキした。

 たった今まで微笑んでいたその顔が、一変して、苦虫を噛んだように奇妙に歪んでいた。


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