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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第2話

「ブルーは何が食いたいんだ?」

「同じのでいいです。面倒でしょ?」

 ブルーの物の言い方にはたまにカチンと来る時がある。今のも例外ではない。マスターが俺達の為に違うメニューを作るのは骨が折れるだろうという気遣いの裏に、全くオムライスみたいなお子ちゃまな食べ物は食べたくもないが、仕方ないからお前(私のこと)に合わせてやるよ、有難く思え、といった言葉が隠れているように思えて仕方がない。そう、いっつも私を小馬鹿にしたような、見下したようなあの目が私は嫌いだ。だからと言って、こっちがあいつの料理に合わせてやろうなんてさらさらないのだが。ささやかな私なりの抵抗である。

 カウンターに座り、さっきのブルーの密やかな苛立ちもころっと忘れ、私はウキウキと足をバタつかせながらオムライスが来るのを待っていた。こんな風に振る舞うからみんなにお子ちゃまだと言われるのだけれど、これが私なんだから別にいいじゃんって思っているので、全く気にしない。ありのままの私をいつか誰かが好きになってくれるって信じちゃったりするわけだ。それが、マスターだったらなおいいんだけど。

 それからすぐにオムライスが出て来て、私は大きな声で、

「いっただきま~すっ」

 と言って、スプーンをオムライスにざっくりと突き刺した。オムライスを一番最初に崩す時は、なんだか勿体ない気もするが、そんな事を気にしていたら、食べられないし、熱々をやっぱり食べたいので、ここは、オムライスちゃんごめんなさいって思いながらざっくりといくのだ。

「うぉぉぉぉう、流石マスター、美味ですな」

 私が感嘆の言葉を述べると、マスターは当たり前だと言いたげににやりと笑った。

 マスターは20代の頃にオーストラリアのホテルでコックさんをしていたことがあり、出てくる料理はどれもこれも恐ろしく上手い。私は、マスターの料理を初めて口にした時、頬っぺたが落ちそうなという言葉を実体験した。その時の料理は、お茶漬け(二日酔いだったのであっさりしたものを)だったんだけど、今まで食べて来たものが何だったんだろうって思うほどのものだった。ご飯に鮭と海苔とあと何が入っていたか忘れたけど、本当にそれはシンプルなオーソドックスなお茶漬けだったのに、それは、感動的なものだったのだ。

 ニコニコしながら、大袈裟にマスターを褒めちぎりながらモリモリ食べている私の隣で、ブルーは静かに黙々とスプーンを口に運んでいた。

 こういう気取った感じが凄くイヤなんだよねぇ。と、ちらりと横目で窺いながら食べていたが、不快に思いながら料理食べていたら、折角の美味しい料理が不味くなってしまうと、ブルーのことは完全に無視することに決めた。

「ねぇ、マスター。今日のお通し何?」

 私の食べる姿をカウンターの中の正面に立って、腕を組んで見ていたマスターに声をかけた。

 マスターは私が食事中は、必ず私を見ている。それは1年前から変わらない。私の食べる姿を見るのが好きなんだと、家出中の頃に言っていた。

「今日は角煮だ」

 この店のお通しはバラエティーに富んでいる。何が出てくるかは、マスターの気分次第で、私の個人的な意見では、冬場に出てくるおでんは最高だ。しかも、お通しというものは、大抵小鉢で出てくるものだが、この店では、普通のお皿で出てくる。一品料理がぽんと出てくるのだ。お通しだけで、つまみは十分という人も多々いる。このお通しを楽しみにしている人も。楽しみにしている人の一人に私も入っているのだが。

「ええっ、角煮! 食べたいっ食べたいっ食べたいっ。マスター」

 大抵甘えた声でそう言えば、マスターは仕方ねぇなと苦笑しながら出してくれる。でも、私はマスターが私のおねだりを心待ちにしているのを知っていたりする。そして、私を娘のように思っていることも、私の想いが通じることがないことも、全て知っている。じゃあ、見込みがないならこの気持ちをなかったことに出来るのかと言われれば、ノーなのだ。私は、今の関係に満足している。そこには、恋がなかったとしても、愛がある事を知っているからだ。それは、私の望んでいるものとは明らかに違うものだけど、それでも想われていることを実感できるからそれでいいのだ。今のバランスがいい。もし、私が自分の気持ちをマスターに伝えたら、今のバランスはすぐに崩れてしまう。それが私には耐えられない。だから、私から想いを伝えることはないだろうと思う。

 食事を終え、自分のとブルーの食器を洗っていると、一人目のお客さんが現れた。

 「富ちゃん」と言われている常連客で、富田さんという人だ。下の名前は以前聞いたのだが、忘れてしまった。この近所に住んでいるらしい富ちゃんは、礼儀正しいОLさんだ。仕事帰りにここに立ち寄るのだが、仕事のストレスが大分大きいのか、酔うと性格が一変してしまう危険人物でもある。

「あっ、富ちゃん。いらっしゃいっ」

 カウンターの一番端に腰を沈めた富ちゃんに声をかけた。富ちゃんは、席に着いた途端、ふぅと溜息を吐いた。大分、お疲れのようだ。

「ベニちゃん、今晩は」

 富ちゃんは確か24歳だったと思う。仕事が辛いのか、今日は肌が荒れている感じを受けた。

 私は洗い物の手を一旦止めて、注文を聞く為富ちゃんの正面に立った。マスターは何やら料理を作っていたし(マスターは料理を作っている時が一番生き生きしている)、ブルーは外の掃き掃除をしに行っていた。

「取り敢えず、ビールで」

「は~い」

 私が富ちゃんにビールを出すと、マスターがお通しを持って来た。

「何だ、富。今日はやたらと疲れてんじゃないのか?」

「うぅん、まあね」

「まあ、ゆっくりしてけよ」

 そう言って、マスターは再び厨房に戻って行った。

「この角煮、超美味いよ」

 私がそういうと、ビールを一口ぐいっと飲んだ後、早速角煮をぱくりと口に頬張る。

「うん、凄く美味しいね」

「でしょでしょ」

 私はマスターが作った料理を褒められると、自分のことのように嬉しくって堪らなくなるのだ。マスターがそんな私を見て、普段鋭い目を潜めて、にやりと笑った。急に恥かしくなったけど、そう思った事を悟られたくなくて、私はニカッと笑って見せた。

 私が再び流しで食器を洗っていると、富ちゃんが口を開いた。

「ベニちゃんはさ、今、好きな人とかいたりとかする?」

「えっ? 私? どうかなぁ、今んとこはいない……かなぁ」

 いきなり尋ねられて、ちょっとあたふたしてしまった。ここでいるなんて答えたら、厨房でこっそり聞いているマスターがこっちに乗り込んできて、根掘り葉掘り聞こうとするだろう。それは、さながら、娘の父のように。そんな姿を見るのは、私としてはちょっとしんどい。

「何で、突然どうしたの?」

「う~ん、なんかさ。私、遠距離の彼がいるんだけど、最近連絡があんまり取れないんだよね。遠距離になってから半年くらい経つんだけど……。もしかして、浮気でもしてるんじゃないかとか変に疑っちゃって」

 今日の富ちゃんの肌荒れは、どうやら仕事のストレスだけじゃなかったようだ。きっと昨夜は負の連鎖に潜り込んでしまって、抜け出せなくなってしまったのだろう。

 遠距離恋愛の経験がない、どころか大した恋愛経験がない私には、どう言ったらいいのやら解りかねた。と言っても、富ちゃんは私みたいなお子ちゃまに意見なんか求めているわけじゃなくて、ただ、誰でもいいから自分の不安な想いを聞いて貰いたかっただけなんだろうけど。

「そんなのイヤならとっとと止めちまえよ」


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