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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第19話

 あの母とよく行っていたプラネタリウムがどこであったのかは解らないが、あの人工の星だけはよく覚えている。あまりに私は小さかったものだから、私は天井に映し出されたそれらの星達を本物だと思っていたし、あれは作り物なのよと母に言われた私は、世の中には星を作れる人がいるんだと思って感動していた。

 星が作れるってことは、星を掴むことが出来るんだ。どうやって星を掴むのかな、長い虫網で取るのかな、それとも、ロケットに乗って取りに行くのかな。星を作ることを職業にしている人に会ってみたいな。

 そんな風に本気で思っていた。星に憧れに近い感情をも持っていたように思う。星を見れば、星を作る職人さんのことを思い、嬉しくなった。

 だから、私は今でも星を見るのが好きだ。都会では、殆ど見ることは出来ないけれど、一つでも輝いている星を見ると、嬉しい気持ちになる。


 私達は店を出ると、店のおばさんが教えてくれた図書館を目指した。相変わらずこの町には人の姿は見えなくて、あまり物音がしない街中を歩いていると、この世界には私とブルーのたった二人しか存在しないんじゃないかと思えてくる。

 もし、本当にこの世界で、ブルーと二人きりになってしまったら、私はブルーを好きになるのだろうし、ブルーと子孫を残し生きて行くんだろうな。そうしたら、その子供達がまた子供を産み、さらにその子供達が子供を産んで行く。最初は数人しかいなかった人間がどんどん増えて行って、そのうち私達の血も薄くなっていく。でも、そうやって産まれて来た人々は皆、血の繋がった家族なんだよね。

 なんて、壮大な話をついつい頭で考えていたら、あっという間に図書館に着いてしまった。

 あの店からは思っていたよりも近かった。

 その図書館に入って、私は漸く複数の人間を目撃した。おばさんが言っていた通り、年配の人ばかりで、私達くらいの年代の人を一人も見ることは出来なかった。 

 プラネタリウムは、その図書館の別館になっていて、私達はそちらに向かったがプラネタリウムを見ようと考えているような人は誰もいないようだった。

 まるまると太ったと形容したくなるような体型をした係のおばさんが一人、受付の小さな椅子に退屈そうに座っていた。

「見るのかい?」

 おばさんはつまらなそうにそう聞いた。私達が頷くと、ぞんざいに中にはいるように顎を動かして促した。話しをすることも体を動かすことも面倒臭いといった態度だった。その態度に気分が悪くならないわけじゃなかったが、あの体型じゃ動きが鈍くなるのも仕方ない。気にするだけ無駄だ。

 中央にある柱に貼られていた案内に開始時間が書いてあって、それによると、次の回はどうやらすぐに始まるようだった。

 私達は中に入って行ったが、やはりそこにも誰もおらず、貸し切りの状態だった。

 私は中に入った途端、懐かしい思い出に包み込まれた。

 幼い頃に、母と二人訪れていたプラネタリウムはここだったのだと、私の記憶が教えてくれていた。

 楽しかった思い出を懐かしみ、不覚にも涙が出そうになった。私の記憶の中で、思えばあの頃が一番楽しかったように思う。幼くて気付かなかっただけで、あの頃から母と父の溝は少しずつ広がっていっていたのかもしれない。

 あの頃のプラネタリウムには、少なからず今よりも観客がいて、この図書館もずっと賑わっていた。

「紅。どうした? 具合悪くなった?」

 心配そうに覗き込んで来たブルーが今にも泣きそうな私の表情を見て、自分も泣き出しそうな顔をした。

「違うんだ。ごめん。ここ、昔、お母さんと来たことあって。その頃のこと思い出しちゃっただけだから。私、ここで星を見るのが大好きだったんだ。だから、凄い楽しみ」

 目をごしごしと乱暴にこすると、明るい声音でそう言った。

 ブルーは何も言わず、私の頭を撫でてくれた。

 その頭の手の温もりが再び母の記憶を呼び戻した。


 私はいつもプラネタリウムに来ると、何度も何度も見たがった。プログラムは同じものなのだから、一度みれば十分なのだが、私は何度だってあの星達を見たくて仕方なかった。

 そして、何度目かを見た後、もう帰ろうと優しく語りかける母に、私は、イヤだイヤだと駄々をこねて困らせていた。泣きじゃくる私を今のブルーのように優しい大きな手で頭を撫でながら、また来ようね、と優しく宥めるのだ。

 母はいつだって優しくて、怒鳴ったところなんて、あの頃一度だって見たことがなかった。

 いつ頃からだろうか、母があまり笑わなくなって、取り乱した声が夜中聞こえてくるようになったのは。

 今の母は父と離婚して、再婚間近の恋人と幸せにやっているせいか、あの幼い頃のような穏やかさを取り戻していた。

 でも、あの頃には戻れない。それだけ、私も大きくなってしまったのだ。

 苦しかった日々が私の中に記憶としてある。それを忘れたふりをして、母に甘えることは出来るかもしれない。だが、あの頃のような純粋に母が好きで、無条件で信頼していた私には戻れない。

 ただ、どんな思いをして来ていたとしても、私は父も母も大好きだ。


「紅。本当に大丈夫? 始まるよ」

 優しいブルーは嫌いじゃない。こんな風に優しくされると、マスターと重なるところがある気がする。そんな事を言ったら、ブルーは怒るだろうか? いや、怒りはしない筈。きっと、切なそうなあの瞳で微笑むんだろうな。

 あの瞳を私は苦手だと思う。それと同時に、苦手だと思うのと同じ分だけ愛おしさを感じ、そして、その瞳に強烈に惹かれる。

 ふっと会場内が暗くなり、天井のスクリーンが動き出した。

 やはりあの頃感じたほどの高揚感はもはや感じられない。幼い頃持ち得ていた純粋さが大人になるにつれ、失われてきているのだと知る。

 天井に浮かび上がる星達は奇麗だ。だが、私はそれが人工的な光なのだと知っているし、本当の星を人が作ることが出来ないことを知っている。

 知識を得るということは、持ち得ていた純粋さを少しずつ削り取って失うことと繋がるのだと考えると、酷く悲しいことのように思えてくる。それでも、私はその小さな町が、恐らく昔と何も変わらず続けられてきたプラネタリウムが愛しいと思う。それは、ここが私の思い出の場所であると共に、私の幸せだったころを知る場所だからなのかもしれない。

 隣りに座るブルーは私の手を始終握ってくれていた。

 それは、私が想い出の住人になってしまわぬように、現実に引き留める為にそうしてくれているような気がした。それとも、ただ単に私に触れていたかっただけなのかもしれないが。どんな理由でも、今、ブルーの手の温もりが凄く有難かった。

 プラネタリウムが終わって外に出ると、ほんの少しひんやりと冷たい秋の風が頬を撫でた。

 ほんの30分程度のプラネタリウムだったが、1時間以上見ていたような、そんな気がした。

「これからどうする?」

「散歩でもしない?」

 ブルーの問いに私はそう返した。今日はのんびりと景色を見ながら歩くのもいいんじゃないかなって思ったのだ。

「よしっ。じゃあ、行こう」

 くいっと引っ張られ、私はブルーの後について行った。

「ねぇ、どこに行くの?」

「あっちに土手があるんだって」

 いつの間にそんな情報を仕入れて来たんだろうと不思議に思ったが、恐らく定食屋のおばさんに私がトイレに行っている間に聞いていたのだろう。

 その土手は、金八先生がオープニングでいつも歩いているような土手だった。ダンボールでソリ滑りが出来そうなそんな所。土手からは、川が見える。こんな近くに川が流れていることすら私は知らなかった。

「ねぇ、ブルーのこと教えてよ。私、まだブルーのこと全然知らないよ」


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