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赤青鉛筆  作者: 海堂莉子
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第13話

 その日の夜、再び顔を合わせたブルーが相変わらず無表情で無愛想なのを見て、私は吹き出すのを堪えなければならなかった。

「何笑ってんだ、ベニ?」

 マスターに問われ、何でもない何でもない、と手を顔の前で大袈裟に振って見せた。

 マスターは腑に落ちないといった顔をしていたけれど、そうか、と言っただけだった。

 その夜は、吉井さんが一人で訪れた。先日の安田さんの無礼を私に詫びた。

 別に吉井さんが悪いわけじゃないのに、吉井さんはペコペコと私に頭を下げた。本当に気のいい人なのである。

 私は吉井さんに、気にしていないからまた安田さんを気軽に連れて来て欲しいと伝えた。吉井さんは、ありがとう、と微笑んでいたが、恐らく吉井さんが安田さんを連れてくることはないような気がする。

 10時を過ぎた頃、2人組の女性客がやって来た。2人とも常連客で、私とも顔なじみだ。

「よぉ、子ザル。相変わらずお前はちっけえなぁ。飯食ってんのかぁ?」

 マスターが嬉しそうに2人連れの背の小さなほうの女性の頭を撫でながらそう言った。私の頭を撫でる時と同じやり方で、その女性を慈しむ。

「あんだってぇ、余計なお世話じゃっ」

 その女性は、当り前のようにマスターの手を払い除ける。

 マスターが「子ザル」と呼んで可愛がっていた女性は、成崎麻衣子さんという短大生で、パチンコ屋でアルバイトをする二十歳の女性だ。小柄でショートカットで、おさるの縫いぐるみそっくりだからと、マスターがそう呼ぶようになったのだ。まあ、彼女を「子ザル」と呼んでからかっているのは、マスターだけなのだが。他の人は皆彼女を「ナル」と呼んでいる。

 もう一人の女性は、李恵美りめぐみさんといって、ナルと同じパチンコ屋でアルバイトする29歳の韓国人だ。離婚経験(元夫も韓国人だ)があり、息子が一人韓国の元旦那の所にいるそうだ。

 実は、吉井さんはこの李さんのことが好きなようなのだ。吉井さんから直接聞いたわけでも、誰かからそんな話を聞き入れたわけでもないが、李さんの姿をちらりちらりと目で追う吉井さんの姿を見れば、間違いないように思う。

 吉井さんとこの二人はこの店でもよく一緒になるので仲が良い。

 マスターも私も二人がくっ付けば面白いなどと無責任に囃し立てたりしている。

「で? お前ら何飲むんだ?」

「ちょっと、こちとらお客なんですけど。少しはお客らしく丁重に扱ってくださる?」

 ナルが大して怒ってもいなそうに、かえってマスターをからかっている感じに笑いながらそう言った。

「ああ、悪かったな。さるがさるさる言うなよな」

 マスターも口では謝っているものの、決して悪いとは思っていないような口調でそう言った。

 私は、ナルをとても良い子だと思う。明るくて、ちっこくて(自分も小柄だから人のこと言えないけど)、ちょっと生意気な感じだけどそれは皆を楽しませる為にわざとそうしているんだって解るし、可愛らしい。だけど、私は時々ナルが嫌いになる。私はただ、ナルにやきもちを妬いてるだけなのだと知っている。マスターと仲良く口喧嘩をしているナルに、ただ、やきもちを妬いているだけなのだと。

 マスターがナルを可愛がるのは、娘を可愛がる親、若しくは、妹を可愛がる兄のような感情なんだというのは、解っているつもりでいる。私への扱いと同じなのだ。それに、ナルにだって彼氏(あんまり上手くいっているとは言えないが)がいることも知っている。それでも、私の心は、二人の楽しそうな会話を聞いたり見たりするだけで、暗く沈んで行くのだ。

 カウンターの和気あいあいな空気から抜け出したくて、私はトイレに行くふりをして、その場から逃げ出した。別に尿意を催したわけでも、化粧を直したいわけでも(基本ノーメイクだけど)、トイレ掃除をしに来たわけでもない。ただただ、あの場から、あの空気から、ナルの笑顔から、マスターの笑顔から、その二人を見て笑っている吉井さんと李さんから、そんな私を無表情ながら窺っているであろうブルーの視線から離れたかっただけだ。

 仕方がないので便座に腰を下ろして、大きな溜息をついた。

 トイレの中は、静かだ。時折トイレの外の笑い声が微かに聞こえてくるくらいなものだ。

 一体、何をしているんだろう私は。

 そう思うと、なんだか泣けて来て、涙が出そうになった。あまり長く籠っていると、変な誤解をされそうなので、急いで目尻に溜まった涙を拭ってトイレを出た。出た途端、ブルーと目が合い、私は慌てて目を逸らした。もしかしたら、涙目だったのを気付かれたかもしれない。そんな顔を誰にも見られたくはなかった。

 カウンターの中に戻ると、和気あいあいとした空気が私の体を包み込んだ。

「おいっ、子ザル。お前、歌、歌え。もう入れたからな」

 マスターがそう言うと、え~っと言いながらも、それでもマイクを取りに行くナル。マスターはナルの歌声が好きで、ナルが店に来ると必ず歌わせる。マスターは決まって勝手に曲を入れてしまうのだが、ナルは文句をいいながらもしっかりと歌う。それが、演歌だったとしてもだ。子供みたいな外見のナルがこぶしをきかせて演歌を熱唱する姿が面白いのだそうだ。確かに、その姿は私が見ても面白い。

 ナルが歌を歌っている間は、李さんの相手は吉井さんがする。それも考えてのことだということも解っているのに、やきもちは止まらない。

「ベニ。ブルーと休憩入って来ていいぞ」

「は~いっ」

 どんなに心の中が真っ黒な塊で覆い隠されても、表面上は普段通りの私でいれている……と思う。


「やきもち妬く必要なんてないと思うけどな」

 ああ、ブルーにはきっと私の気持ちなんて気付かれているだろうと思っていたけれど、出来ればそっとしておいて欲しかった。

「マスターがあの子を女として意識しているとは思えないよ」

「何で解んのよ?」

「そりゃ誰だってマスターみてれば解るだろ。あれは、女としてよりも家族として見ている感じだよ」

「違くてっ」

 思わず大きな声を出してしまって、恥かしさに顔を伏せる。だが、すぐに顔を上げるとブルーを見据えた。

「違くて。なんで私がやきもち妬いてるって解んのって聞いてるのっ」

 誰にも、こんな思い気付いて欲しくなかった。こんな私を見て欲しくなかった。

「解るよ。紅をいつも見てるんだから。俺には解るよ」

 聞いた後になんだけど、心底聞かなきゃよかったと思った。私は、ブルーを見ていられなくて俯いた。

 どうしてこんな、こっぱずかしい台詞をひょうひょうと言ってのけるんだろうか。そうだ、こんな台詞、ブルーにかかれば、朝飯前に違いない。ブルーはモテるからこんな恥ずかしい台詞だって言い慣れてるんだろうな。

「あのねぇ、恐ろしく勘違いしてるみたいだから言うけど、俺、こんな風に女の子口説くの初めてだから」

 若干、頬を赤らめているように見えるブルーを覗き込み、嘘だぁ、と言った。

「俺、いつも女の子に告白されて付き合うんだ。俺から誰かに好きだって言ったことは今までない。勿論、自分から口説いた事も。紅が初めてなんだ」

 さっきよりももっと頬を赤らめてそう言った。ブルーじゃなかったら、自慢かっ、と突っ込んでやりたいところだが、頬を真っ赤に染めたブルーを見ていたら、何も言うことが出来なかった。

 なんか、可愛い。

 私が微笑みを抑えきれず、そんな風に思っていると、ブルーがびっくりした顔をして私を凝視していた。

「今、なんて?」

 えっ。えっ? ええっ? ええぇぇぇぇっ!!! もしかして、私、声に出してしまっていた?

「私、今何か言ったのかな?」

 びくびくしてそう尋ねると、ブルーが天使のような笑顔を惜しげもなく見せた。普段、無表情が多いブルーなだけに、突然極上の笑顔を見せられると、心臓が動揺する。

 どくんっと大きな音を立てて。


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