第11話
明朝、私は昨夜早寝したお陰か8時前には目が覚めた。
ブルーが本当に起きているかは解らなかったが、世の中には携帯なしでは生きていけないという人もいるようだし、果たしてブルーがそういう人種であるかは解らないが、なるたけ早く返した方がいいように思えたので、支度が済み次第行くことにした。シャワーを浴びて身支度をして、家を出る時には9時少し前だった。
バッグにブルーの携帯が入っていることを確認して家を出た。
ブルーの家にはすぐに着いて、私は昨日教えてもらった部屋のチャイムを鳴らした。
だが、いくら待ってもブルーは出て来なかった。
もしかしたら、課題が早く終わって寝てしまったのかもしれない。
もう一度チャイムを鳴らしてみるのだが、ブルーが出てくる気配もなく、部屋の中で動く気配もない。
どうしたものか……。
ドアのポストに入れておこうかとも考えたが、落とした時に壊れてしまったり、凄い音がしてブルーが起きてしまうかもしれない。もし、ブルーが今、寝ているのだとしたら、寝かせておいてあげたいと思った。
私がこの時何故そうしたのか自分でも解らないのだが、引き込まれるようにドアノブに手を掛けた。それを回すと、すっとドアは開いた。
嘘っ、開いちゃったんですけど……。不用心だよ、鍵くらいかけときなよ。
そう思ったが、私が今やろうとしていることを思ったら、非難すべきは自分の方であろうと思った。私は今、ブルーの家に家宅侵入しようとしているのだ。
ドアを開けて、中に入ると、部屋の奥のテーブルの上にブルーが突っ伏して寝てしまっているのが見えた。ノートパソコンが開いたままになっていて、恐らく課題の途中でついつい寝てしまったのだと考えられる。
玄関先に置いて、立ち去ってしまった方がいいのかもしれない。だが、私はブルーが寝ているテーブルの上に携帯を置くことにした。
そんな危険を冒してまで、部屋の中に入ろうとしているのは何故か。それは至極簡単なことだ。ただ単に、ブルーの寝顔に興味があったからだ。是非ともブルーの寝顔を見てみたいとついそう思ってしまったのだ。
私は、忍者にでもなった気分で、抜き足差し足で部屋の中を進んで行った。ここでブルーが目を覚ますなんてことになった場合、何をされるか解ったものじゃない。そう思った私は、細心の注意を払ってブルーの部屋を進む。
ブルーの部屋は、男の人の部屋にしては奇麗に片付けられていた。今、ブルーがいる辺りは、教科書や参考資料が散乱しているようだが、それも課題が終わればきちんと元の場所に片されるに違いない。
間取りは大体うちと同じで、1DKといったところだろう。基本、何もない部屋だ。小さめのデジタルテレビと、分厚い本がぎっしりと詰まったラックと今ブルーが突っ伏している炬燵のテーブルくらいなものだ。
ブルーの傍まで来た私は、ブルーの寝顔をまじまじと見た。子供の寝顔は天使の様だと形容したりするが、ブルーの寝顔もそう言ってもいいように健やかだった。その表情は、ほんの少し微笑をたたえているようにも見えた。
いつもお店でもこんな表情していたらいいのに。
勿体ないと思ってしまうほどに、その表情を見るだけで心が温まるような代物だった。
ええもん見れたわ。と、私はどこぞのおばさんみたいな調子で、心の中でこっそり呟いた。
はっ、長居は禁物だっ。
ついブルーの寝顔に気が緩んでしまいそうになり、目的を忘れそうになってしまった。実際、ブルーが起きるまでその寝顔を見ていたいという欲望に惑わされてしまいそうになった。
バッグの中からブルーの携帯を出し(音を出さないようにバッグの中を慎重にまさぐった)、テーブルの上に置いた。
テーブルの上に置いた際に、ことりという小気味良い音がして、内心びくびくしていたのだが、ブルーが目覚めることはなかった。
何のこっちゃ心臓に悪いと思いながらも、くのいちになったつもりの私は、ちょっと気持ちが高ぶっていた。
さぁて、帰りますかと進行方向を変え、一歩進んだ時、右手首を急に引っ張られ、私は後ろにぐらりと倒れた。
尻餅をついた先は、ブルーの膝の上で、気付いた時には、私はブルーの腕に後ろからすっぽりと拘束されていた。
「えぇっと、あれっ? 起きてたの?」
突然の出来事に、驚き、動揺していた私ではあったが、それだけ辛うじて口に出すことが出来た。
「起きてたよ。紅が入って来た時からずぅっとね。寝込みを襲いに来たのかと思って期待した」
首筋にかかるブルーの息がくすぐったくって仕方ない。腕を放して欲しくて、抵抗してみたが、無駄のようだった。
「違うっ。私がそんなことするわけないでしょうがっ。携帯、返しに来ただけ。寝てたから、勝手に上がらせて貰ったのは、悪いと思ってるけど……」
「何だ残念。夜這いに来てくれたのかと思ったのに」
ブルーの唇が首に押しつけられ、その状態で話をするものだから、キスされてるみたいで落ち着かない。
「放してよっ。私、もう帰る。用は済んだんだし」
「イヤだ。放したくない。このまま傍にいて」
もうっ、誰か助けてっ。
何で抗えないのかな? なんでいつもこうなっちゃうのかな?
「どうしたら放してくれるの?」
「そうだなぁ、紅が俺にキスしてくれたら放してもいいかなぁ」
耳元に聞こえるくつくつという笑い声、完全に私をからかって面白がってる。今日は朝から高慢ちき男のお出ましってことだ。
ていうか、私からキスって一体どうすりゃいいのよっ。
「そっ、そんなにくっつかれたら、キスも出来ないよっ」
私の言葉にブルーは私の体を横向きにした。座ったまま、お姫様抱っこされてるみたいな状態になった。
少しは手を放してくれるかなって、そしたら、その隙に逃げられるかなって、淡い期待を抱いていた私は、ことごとくその期待を崩されがっかりとしてしまった。
恐る恐るブルーを覗き込むと、ブルーはニヤリといとも楽しげに笑っていた。完全に面白がってる。
「目ぇ、閉じてて……よ」
ブルーは大人しく目を閉じた。私は、ブルーの頬に唇を押しつけた。
「納得出来ない」
パッと開いた目を私に向けると、拗ねたようにそう言った。
あっ、やっぱり?
こんなんで許してくれるブルーじゃないわけで、再び目を閉じ、キスの催促をする。
ブルーの腕は、がっしりと私を包み、脱出は不可能だと考えられた。私がブルーから解放されるには、どうしてもキスをしなければならないのだ。そうでなければブルーは許してはくれないだろう。ならば、覚悟を決めるしかないのだ。
女の子が、自分からキスするのって勇気がいるんだからねっ。解ってんのかしら、この男はっっ。
もたもたと、時間だけが過ぎるだけで、ブルーはいつまでたっても催促している。
私は心を決めると、素早くブルーの唇に自らのそれを押しつけ、すぐに顔を背けた。
自分から誰かにキスをするのなんて生まれて初めてで、恥かしいことこの上なく、とても顔を見せられる状態ではなかった。だが、ブルーの手により、あっさりと顔を戻され、見上げたそこでブルーの瞳と出逢った。真っ赤な顔をしているであろう自分の顔を見られたくないのに、顔を背けることは出来なかった。
「違うよ。キスはこうやってするんだ」
ぼそりと呟いて、ブルーは私の唇を塞いだ。
どうしてブルーはいつも、あんなに切ない目をするんだろう。あの目に見つめられて、拒める人はいるんだろうか。
ほんの少し前の高慢ちきの男ではない。いや、いくら高慢ちきであったとしても、あの目はいつも切なげに私を見る。
あの目を拒める人は……いない。