来世は金持ちに飼われる猫になりたい
電車に飛び込めば、もう会社に行かなくていいと思った。
二年前に新卒で入った会社は罵声に怒号に人格否定。サビ残の翌朝には通勤ラッシュ。帰宅即玄関で寝落ち。布団で寝たのはもう何週間前のことだろう。
電車が駅に入ってくるアナウンスが、平日の朝のホームに響き渡る。俺にとってはファンファーレのようだ。
一歩。たった一歩。
白線を越える。
電車の操縦席で悲壮に驚く運転士と目が合った。
来世は、金持ちに飼われる猫になりたいな。
目を覚ますと、高い青空。
雑誌やテレビでしか見たことのないスペイン風の街並み。通り過ぎる馬車。流れる川。
日に当たって暖かいレンガ造りのアーチ橋……の手すりに俺はいた。
あぶねっ!
待て、落ち着け。慌てたら落ちてしまう。俺は、恐る恐る橋の下を流れる川を覗き込んだ。
そして水面に反射する自分の姿に驚愕する。
「にゃあ!?」
俺、猫になってる!?
「にゃ、にゃあ、に……」
人の言葉も喋れない。なんだこれは。本物の猫になっちまったのか、俺は。
なんで、どうして、どうやって人間に戻れる、夢なのか、現実なのか、これからどうしたら。
ぐるぐると逡巡した後、俺は大きくため息をついた。正確にはふすっとした鼻息にしかならなかったけれど。
よくよく考えれば、一度捨てた命だ。これが夢でも現実でもどっちでもいい。クソみたいな労働が強制される人間に戻る必要なんてない。
猫ならやることは一つ。
金持ちに拾われるだけだ。
空を仰ぐと、シンデレラ城のような城が見えた。きっとあそこには貴族だか王族だかの金持ちが出入りするはずだ。その子供に媚びて拾われよう。
俺は四足歩行で城を目指した。
城の前には大きな門と二人の門番が立っていた。
貴族っぽい人が来たら腹を出してゴロニャンしよう。人間の俺と違って耳の生えた俺は超絶プリティだ。何回かやれば拾われるだろ。
門番に追い払われないように、物陰で息を潜める。
「……聞いたか、闘病中の王様に、跡取りがいない話」
程よい気温にうとうとし始めた頃、ずっと仁王立ちしていた門番たちが雑談を始めた。
「聞いた聞いた。王女様が先立ってしまったせいで子供がいないって噂だろ。王家の血筋は体に紋章の痣が出来るって言うけど、そんな人見たことないしな」
「それで、公爵たちが王の座を争い始めて……」
「えっ、そんな……公爵なんて民を税金集めの道具にしか思ってないクズしかいないじゃないか……」
「しっ! 聞かれたらどうすんだ!」
「わ、悪い。……じゃあ、公爵の誰が次期王になっても地獄だし、今、争ってるってことは……」
「……もうすぐ、戦争が始まるだろうな」
かつんっ。
近くの小石を蹴飛ばしてしまった。内緒話をしていた門番たちが一斉にこちらに槍を構える。
「誰だ!?」
「にゃぁ〜」
俺は門番たちの前に姿を現して、走り去る。
「……なんだ猫か」
見逃してもらえた。猫でよかった。
というか、まずいぞ。
戦争になったら金持ちに飼われるどころじゃなくなっちまう。
なんとかして戦争を止めないと。
……でも、どうやって?
「ばうばう!」
「にゃ!?」
路地裏から突然、大型犬が俺めがけて突っ込んできた。猫の瞬発力で咄嗟に避けて逃げる。どうやら腹を空かせた野良犬のようだ。
必死に走っても大型の犬と猫の俺じゃ、足のリーチが桁違いだ。あっという間に距離を詰められてしまう。
食われる……!
「やめなさい!」
大きな声がした。
俺も犬も声の主を見上げる。
高校生ぐらいだろうか。白髪ロングの女の子が犬を睨みつけていた。
「今のうちに行きましょう」
呆気に取られた俺を女の子が抱き上げる。
俺を追いかけていた犬は、石になって、彫刻のように固まっていた。
少女は俺を町外れの彼女の家まで連れてきてくれた。
白雪姫に出てくる小人の家のような、ワンルームのお洒落な木造建築だった。
「私はミラ。メデューサと人間のハーフなの。石化させる意思を持って目を合わせると、少しの間だけ、石にできるの」
ミラと名乗る少女は、メデューサの能力の一つで、動物の言葉が解るらしい。
俺は意思が通じる人物の登場に、鼻息荒く状況を説明した。
「にゃあん!(戦争になったら、金持ちに可愛がられるどころじゃないんだ!)」
「……ごめんなさい」
俺の話を黙ってひとしきり聞いた後、ミラは静かに頭を下げた。
「私は、中途半端なの。完全なメデューサにも人にもなれない。だから、メデューサが住む森からは追放されたし、人間として町にも受け入れて貰えない。人を助けても、気味悪がられる。そんな私が、誰かの役になんて立てない。私には、何もできないよ……」
「にゃあ……(そんな……)」
無言の時間が流れる。
ミラが気を取り直すように、キッチンに向かった。
「もうすぐ、町の子供たちが遊びに来るの。お菓子を作るわね」
長い白髪を後頭部の高い位置で一つに束ねようとするミラ。
そのうなじに、複雑な模様の痣があった。
「にゃ……(ミラ、それ……)」
「ん?」
ヘアゴムを口に咥えたミラが振り向いた時、玄関の扉がばん! と開いた。
数人の子供たちが息を切らせて立っている。
「お姉ちゃん大変だよ! 戦争が始まっちゃう!」
「なんですって!?」
広場に走ると、既に町の人々が集まっていた。その中心に「東西の行き来を断絶する」と書かれた看板。まるでベルリンの壁じゃないか。
「二つに分かれたってことは戦争だ、ってみんな言ってるよぅ」
「お姉ちゃん、どうしよう……」
幼い子供たちが、ミラのワンピースの裾をかぼそく掴む。
「なんとかしてあげたいけど、私には……」
俺はその看板に描かれた紋章に、見覚えがあった。
「にゃお(戦争を止めよう)」
「でも、どうやって……?」
「にゃおぉ〜ん(君が王になるんだ、ミラ)」
「え……?」
ミラと俺、一人と一匹は城に入った。
「王家の血を引く跡取りを見つけたというのは本当かね?」
王様ではなく、なんとか公爵と名乗る偉そうなおっさんが、階段が左右に二つある広いロビーで、俺たちを出迎えた。
「はい、私が跡取りです。……証拠は、ここに」
ミラが公爵に背を向け、髪を上げてうなじを見せる。
そこには、王族の紋章の形をした痣があった。
覚悟を決めたミラの横顔に、広場でのやりとりを思い出す。
どういう経緯かは知らないが、ミラは王族の証の痣があると伝えると、彼女は自信なさげに俯いた。
「そうだとしても、私に王なんて務まらないよ……」
「にゃあ(子供に好かれる程の慈悲深さと、凶暴な野良犬から俺を助ける勇敢さがある)」
「……それは、」
「にゃ!(人の上に立つ為に必要なものを、ちゃんと持ってる!)」
「…………」
「にゃあああん!!(ミラにしかできないんだ!)」
「なるほどな……。確かに、お前は王族のようだ」
公爵は偉そうな髭を撫でると、人差し指で地面を指した。
「では、死ね」
ずっと周りで直立していた数人の兵士たちがミラに襲いかかった。
「きゃああああああ!!」
「戦を制し、次の国王になるのは私だ。邪魔者がいては困るのだよ」
丸腰の俺たちはあっという間に囲まれてしまう。
「にゃおぉん!(ミラを離せ!)」
俺はミラを捕らえようとする兵士の腕に噛みついた。
「なんだこの猫!」
「にゃあん!」
呆気なく振り払われ、受け身を取る暇もなく、地面に思い切り叩きつけられる。背中から鈍い音がした。いてぇ。
両腕を後ろに拘束されながら、その様子を見ていたミラの目つきが変わった。
「やめてえええええええええ!!!」
白いロングヘアを逆立たせ、光った。
ミラの放つ光に包まれた兵士たちは、一人残らず石になってしまった。
「ひ、ひいいぃぃぃ! 化け物ぉ!」
石化した兵士たちに驚いた公爵は、腰を抜かしながら城の外へ逃げ出した。
「た、助かったの……?」
「にゃ、にゃあ……(そう、みたいだな……)」
俺がチラリとミラと石の兵士たちを見比べていると、ミラがその視線に気づく。
「多分、この人たちもすぐに元に戻ると思う……。なんとかしなきゃって夢中だったけど、私にこんな力があったなんて……」
「め、メデューサ? メデューサの子孫なのか、君は?」
ミラと俺が惚けてる中、サンタクロースみたいな見た目の王様が、階段からゆっくりと現れた。
王様曰く。
若い頃、王になる為の厳しい教育が嫌になり、森の奥深くまで家出をした。行き倒れそうになっていたところを助けてくれたのが、ミラの母らしい。
そのまま二人は恋に落ちるが、唐突にミラの母に別れを告げられ、訳も教えてもらえず傷心のまま国に戻り、その後王妃となる人と結婚した、と。
「母は随分前に亡くなりました。母は……父を、愛していました。あの人に自分は相応しくなかったって、幼い時に一回だけ聞いたことがあります」
「そうか……。きっと、わしが王家の者と気づいて、身を引いたんじゃろう……。優しい女性じゃったからな……」
王様の部屋で、父と娘は邂逅した。俺はどういう顔をしていいか分からず、ミラの肩の上で置き物のふりをしていた。
「名乗り出てくれてありがとう、ミラ」
東西断絶は王様が病で倒れている間に、公爵たちが勝手に決めたものらしい。
王の意思が介入していない為取り消す、と王様は約束してくれた。
「もし次期王になると決まれば、城に入って、わしが逃げ出した教育を受けるが、大丈夫かの?」
「……国の人たちの力になれるのなら、いくらでも」
「ふぉっふぉ。頼もしい娘じゃ」
王様は高級そうな棚から一枚の紙を取り出した。
「ミラ! そなたを次期国王に任命する!」
それは、国王任命書。
王様とミラのサインが書かれる。
俺は安堵した。
王族に知り合いがいるとなれば、城に入りやすくなる。金持ちにアピールする機会がただの野良猫より何倍も増えるだろう。
「……で、なんだっけ? お金持ちの飼い猫になりたいんだっけ?」
「にゃ?」
ミラが俺を肩から持ち上げて、目を合わせた。
「次期王の側近猫なんて、どう?」
「はっはっは! 猫の一匹や二匹、好きにしなさい!」
側近猫、という奇妙なワードに笑い出す王様。
……人生は呆気なく手放した俺だったが、ニャン生はまだまだ捨てたものじゃないかもしれない。
……なんてにゃ。