踏切
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大学生の頃、目の前で人身事故を見たことがある。
酷く蒸し暑い夏の日だった。友人数名と遅くまで飲んでいて、解散した頃には終電には間に合わず、徒歩圏内にあるコウタの家に泊めてもらうことになった。
他愛もない話をしながら歩いていると、道中に古びた踏切があった。警報が鳴り響き、遮断機が降りたため待っていると、いつの間にいたのだろうか、一人の女が突然遮断機を乗り越えて線路内に飛び出した。
「え?」
一瞬何が起きたのか分からなかった。ドン!と大きな音がして、それから数秒。ようやく女が撥ねられたのだと気づいた。
人の息のような生温い風で運ばれる血の匂いに気分が悪くなり、思わず道端で嘔吐した。
胃の中のものを全て出し終え、コウタの様子が気になり目をやると、彼は一心不乱に事故現場をスマホで撮り続けていた。
まるで何かに取り憑かれたようなその様を見てぞっとした。
「お前、何してるんだよ!?」
「こんなレアな状況、記録しとかなきゃ損でしょ!」
俺は様子のおかしいコウタを無理やり引きずって現場を離れた。店に入る気にもなれず、道端にしゃがみ込む。
先ほどの光景が目に焼き付いて離れなかった。少しでも落ち着きを取り戻そうと深呼吸を繰り返していると、隣から笑い声が聞こえてきた。
「見ろよ、すげえバズってる!」
なんと、コウタは先ほどの写真をSNSに投稿していたのだ。
見せつけてきた画面には『初めて死体見たwwヤバすぎ!』という文章とともに、線路に転がる女の遺体と思しきものがはっきりと写っていた。その損傷は激しく、ほとんど人の形を保っていなかった。一瞬でも見てしまったことを後悔した。
「お前、どうなっても知らないぞ」
「何ビビってんの?お前アレか?幽霊とか信じてる系?」
真面目に諭してもコウタは茶化してばかりでまともに聞く気はないようだった。
彼は確かにお調子者な一面もあったが、人の死をネタにして笑うような人間ではなかったし、そんな人間だったら最初から友達になどなっていない。
彼は変わってしまったのだ。
これ以上コウタに関わると自分まで面倒ごとに巻き込まれるだろう。これから就活も控えているのに。そんなのは御免だった。
本当に彼のことを大切に思うなら、それでも諦めず説得すべきだったのだろうが、結局俺は薄情な人間だったということなのだろう。コウタとは距離を置くことにした。
そして翌日。コウタの投稿は案の定大炎上し、ネットもテレビもこの話題で持ちきりだった。
投稿はいつの間にか削除されていたが、おかしなことが起きていた。
コウタの投稿写真全てに写っているのだ。――踏切が。
海に行った時の写真にも、渋谷のスクランブル交差点の写真にも、カラオケルームの写真にも、くっきりと。
俺は非科学的なことなど信じないし、心霊番組も馬鹿にしているタイプだったが、この時直感した。彼は呪われてしまったのだと。
それがあの女になのか、あの踏切になのかは分からないが。
ほどなくしてコウタは学校に来なくなり、連絡もつかなくなった。
正直もう関わりたくはなかったのだが、流石に心配になりコウタの家を訪れた。
コウタは実家暮らしで、チャイムを押すと彼の母親が出てきた。以前お邪魔した時には若々しくて綺麗な印象だった彼女だが、すっかりやつれて老けこんでしまっていた。
そして玄関に入った瞬間、ふと、聞き覚えのある音が耳に届いた。
カンカンカン……
踏切音だ。嫌な予感をひしひしと感じながらも、俺はコウタの部屋に足を踏み入れた。その瞬間、血の気がひいた。
カンカンカンカンカンカン……
大音量で鳴り響く踏切音の中、壁一面に黄色と黒の縞模様がクレヨンで乱雑に描かれていた。テレビとパソコンでは、踏切の映像が永遠と流れている。
異様な光景の中、すっかりやつれて髪も伸び放題、無精髭を生やし別人のようになったコウタが、部屋の中心に棒立ちになり、にたにたと笑いながらぶつぶつと何か呟いていた。
「カンカンカンカン……」
それが、彼を見た最後になった。
コウタが遺体となって発見されたのを知ったのは、それから一ヶ月後のことだった。葬儀は家族のみでひっそりと行われたそうだ。
人伝に聞いた話だが、あれからコウタは踏切に吸い寄せられるようになり、遮断機を乗り越えて線路内に立ち入ろうとするようになったという。
周囲が止めに入ってことなきを得たが、何回かそういったことが起きたため、コウタの両親は離島に住む親戚宅に彼を住まわせることにした。
踏切のない環境に置いて、しばらくは落ち着きを取り戻したように見えたようだが、ある日親戚がふと目を離した隙にコウタが行方不明になり、海で溺死しているのが見つかったのだそうだ。
――まさか、泳いで踏切のある場所にまで行こうとしていたとでも言うのだろうか。