森の姉弟
魔術師の弟子には様々な仕事が与えられる。それは例えば、魔術に関する資料の整理であったり、必要な材料の採取であったり、師匠が行う仕事の補佐であったり――その村で暮らす魔術師の弟子には、そうした仕事の中に『祠掃除』も含まれていた。
「これでよし、っと……」
祠の献花を取り替えて、リコは小さく息を吐いた。
湖のほとりに建つ小さな祠――それは三百年前、恐ろしい獣を打ち倒した一人の魔術師を奉る祠だ。腰ほどの高さに積まれた石の台座に、森の木々で造られた小さな社殿がちょこんと載っている。社殿自体は木製ゆえに定期的に建て直されているものの、石の台座や建立場所は三百年前から少しも変わらない。
リコは束の間、目の前にこじんまりと建つ祠を眺めた。社に積もっていた落ち葉やゴミは先程払い落としたし、枯れていた献花は新たに華やかで明るい色の花束へと取り替えた。そうすることで、祠全体がすっきりと清らかな印象になる。
「……綺麗になったね」
リコは満足そうに祠へそっと呟くと、連れであるもう一人の弟子の名を呼んだ。
「ジン!そっちの具合はどう?もうそろそろ終わりそう?」
リコはそう声をかけながら後ろを振り返った。リコが祠の手入れをしている間、彼は箒で祠の周囲を掃き掃除することになっていたのだ。
しかし――リコが振り返って見たその姿は、どうも真面目に掃き掃除をしているものとは思えなかった。
「やべっ……!」
リコの視線に気付き、ジンと呼ばれた少年は少し離れた場所で小さく声を上げた。今年で十六になるリコよりも小柄で、幼さの残る顔立ちをした少年だ。
ジンは両手でしっかりと箒の柄を握りしめていたが、その穂先は地面ではなくまっすぐに空を向き、まるで剣士のように勇ましい姿勢で箒を構えていた。
リコは一瞬目を見開いたが、すぐに顔をしかめてジンを軽く睨む。
「……ジン、何してるの?」
「えっ、いや……別に!」
ジンは慌てて箒の向きを戻し、取り繕うように辺りを掃き始める。
リコはため息をつき、それから呆れたように小さく笑った。怒っていないと分かったのか、ジンも笑顔を浮かべる。
「姉ちゃん、もう少しで掃き終わるからそこで待っとけよ」
「はいはい」
リコは頷き、ジンの仕事が終わるのをぼんやりと眺めることにした。
リコとジン――二人は同じ魔術師を師にもつ姉弟弟子であり、さらに言えば、血の繋がった実の姉弟でもあった。年齢は五つ離れ、性別は勿論、性格も正反対と自他ともに評するほど似ていなかった。
姉のリコはおとなしく博識で、弟のジンは快活で疲れ知らず。本来ならば相容れないような二人だが、その仲の良さは村の内では有名なものだった。幼い頃から行動する時はいつも一緒で、喧嘩なんて滅多に起こらない。近所に住む魔術師に弟子入りしたタイミングも同時だったくらいだ。
「よーし、掃き掃除終わり!」
しばらくすると、ジンは箒を止めて高らかに宣言した。そして、祠の前で待っている姉のもとへ機嫌よく駆けてくる。
「終わったぜ、姉ちゃん!」
「うん、見てたから知ってるよ」
リコは弟の報告に笑みを浮かべ、祠へと向き直る。ジンもその隣に並び、二人で祠と向き合った。
最後は、掃除の完了を告げるために祠に向かって祈るだけだ。
姉弟は両手を組んで目を閉じた。
「村の守り神様、本日の掃除はこれで終わります。これからもこの地の平和をお守りくださいますよう、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いしまーす」
恭しく述べるリコの後に、ジンが軽い口調でそう続けると――
「そんで、俺たちが立派な魔術師になれますように!」
すかさず願い事を付け加えた。
リコはぱちりと目を開け、隣にいる弟に呆れた表情を向けた。
「ジンってば、もう……」
そんな呟きが聞こえても、ジンは懲りる様子もなく「いいじゃん、別に」と笑う。リコもまた、困ったように小さく笑い返すと――
「立派な魔術師になりたいなら、ジンくんはもっと勉強を頑張らないとね」
頭上からそんな声が聞こえてきて、思わず目を見開いた。
すぐさま上へと視線を向けると、そこにはふわふわと宙に浮く箒とそれにまたがる壮年の男の姿があった。