⑥陰陽の狭間をともに ★
2020/02/27:匿名希望さまよりFAをいただきました。冒頭に貼ってます!
2020/06/14:神望喜利彦山人さまよりFAをいただきました。おわりに貼ってます!
匿名希望さまが胡睿を描いてくださいました!
「羅鈴麗」
人込みの中から、よく通る――けれども固い声が鈴麗を呼んだ。
鈴麗が声のしたほうへ顔をあげると、神の特別な造形物が不安げな様子で人をかき分けながら近づいて来るところだった。
若い娘が何人か、卒倒した音がする。
「起きたんですね、寝坊助さん」
返事をすると、胡睿はふっと息を吐いてから、わかりやすく安堵した様子で目じりを下げて笑った。
それを見て鈴麗を取り囲んでいた村人たちがひとりまたひとりと離れて行き、あっという間に広場には鈴麗と胡睿だけとなる。
鈴麗はまた爪牙を取り出して削り出す作業に戻り、胡睿が横に座ってその手元を眺めながら口を開いた。
「それは?」
「……胡睿、悪いニュースと悪いニュースがあるのですが、どちらから聞きたいですか」
「どっちがどっちかわかるようにしてから聞いてくれるか」
ゴリゴリゴリと、爪牙の削る音が響く。鈴麗は何も言わずにただひたすら手を動かし続ける。
「羅……」
「胡睿は、遅かったのです」
「なにが?」
「郷科試。受験の受付締め切りは今朝だったそうです」
またゴリゴリゴリと爪牙が削られ、一陣の風が爪牙の粉を飛ばそうとするのを、鈴麗が慌てて手近な布を翳して風を遮った。
が、その布が胡睿の衣類の裾だと気づいて、ひとりでパニックになる。
「今週末では」
「そっ、それは試験日です。えっと、先に受験者のうけ、受け付けがあって」
さっさとこの手を離して胡睿が気づく前にその裾を解放してやればいいのだと頭ではわかっているのに、風は鈴麗を弄ぶかのように吹いたりやんだりを繰り返し、裾を手放す決意をさせない。
この粉は滅多に手にはいるものではないのだから、なんとしても風に散らすわけにはいかないのだ。
「それ、本当か?」
「え、ええ。あの、えっと王おばさんが……敏敏のお母さんが、教えてくれました。弟さんが郷科試を受けるらしくて」
次に風がやんだら胡睿の裾を手放して、自分の裾で覆いをしよう。そう自分に言い聞かせながら、手を離す練習のために拳を緩めたり握ったリする。
「……羅鈴麗、その手は何を」
「へぁっ?」
胡睿の訝しげな声に、緊張感が最高潮に達していた鈴麗は思わずその手を離してしまい、同時に強く吹いた風が爪牙の粉を無情にも吹き飛ばしてしまった。
「あぁぁぁ……粉ぁ……」
「はぁ?」
「ひっ。ごめんなさい!」
初夏だというのに雪でも降りそうなくらい冷たい声が聞こえて来て、鈴麗は思わず身を固くする。
美形はずるい。一睨みが普通の人の百睨みくらいの威力があるのだから。と心の中で溜め息を吐く。
「で、もうひとつの悪いニュースは?」
「え? 郷科試の話はもういいんです?」
「終わったものはどうしようもない。落第したわけではないから、来年もある」
「ソウデスカ。もうひとつは、私の……養父の情報がありました。今日か明日にはここを出発します」
もう一度気を取り直して爪牙を削り始める。
ゴリゴリと音を響かせながら、鈴麗は胡睿が無反応であることに少々落胆している自分に気づいた。
なぜ落胆するのだろう。残念だとか言ってほしかったとか? いやいやいや、昨夜偶然会っただけの、顔がいいだけの男ではないか。そんな風に自らに言い聞かせて、一心不乱にゴリゴリする。
「それは……いい話、ではないの?」
「えっ? あ、ああ、まぁ、そうですね」
ゴリゴリゴリゴリ。
「……」
「……」
ゴリゴリゴリゴリ。
「これ、マーフーの爪と牙で双刀を作ろうかと思って削っていたんです」
「双刀?」
「はい。白黒の蛇刀は養父の手によるものですから差し上げられませんので、代わりになるものをと」
ゴリゴリゴリゴリ。
「俺に?」
ゴリゴリゴリゴリ。
他に誰がいるというのだろう。鈴麗は爪牙を削りながら小さく首を傾げた。
「ええ、でも、今日か明日に出発するのでは、間に合わないので……」
「だから悪いニュース?」
鈴麗は自分の言葉足らずを棚に上げて、最初からそう言っているのにと心の中で小さくため息を吐いた。
キョトンとした顔はやはり綺麗で、けれども世間知らずのお坊ちゃんであることをこれでもかというほど主張している。
もしかしたら、郷科試に間に合わなかったのは良いニュースかもしれない。キョンシーを知らないくらい世間知らずでは受かるはずもないし、不足する知識が世間だけなら1年あればどうにかなるだろう。
鈴麗は、胸中に浮かぶ意地悪な言葉を口にしない自らの優しさに酔いしれた。
「ところで羅鈴麗」
「はい」
「なんで君の髪は焦げてるの」
普通の人よりも色が薄くて、細くてふわふわした蛮人の目印のような髪は、いつも頭のテッペンで丸めているのだが……今回はそれが災いしたかもしれない。
鈴麗は起き抜けでまだ一つに結んだだけの雑でボサボサな髪に触れながら、ああ、と呟いた。
「敏敏を助けたときに。火事だったって言いませんでした?」
「聞いてない」
突然目を吊り上げた胡睿の意図がわからず、身をすくませる。よくわからないが、話題を変えた方が良さそうだと鈴麗の本能が知らせる。
とはいえすぐに別の話題を振れるほど鈴麗も世間を知っているわけではない。
いや、どちらかと言えば道士としての知識以外はほとんど何も持っていないのだから、鈴麗こそ世間知らずと言えるのだが――とにかく、話の引き出しがぴょこんと都合よく開くことなどなく、黙って爪牙を削る作業に没頭した。
胡睿は大きな溜息を吐いてからしばらく鈴麗をじっとりとした目で眺めていたのだが、もちろん鈴麗はそれに気づいていない。というより恐怖によって気づかないふりをしている。
「言っておくが、鈴鈴」
「ひゃいぃっ!?……あっ」
驚きのあまりぼとりと取り落としたやすりを、何食わぬ顔で拾い上げる。
羅鈴麗だろうが鈴鈴だろうが小鈴だろうが、呼び方なんてなんだっていい。いいのだが、その顔面でなんの前触れもなくいつもと違う呼び方をされれば、さすがの敏腕道士だってびっくりしてしまうのだ。
この男は自分の顔面の攻撃力についてもう少し学ぶべきだ。これも世間知らずがなせる技に違いないのだから、やはり郷科試は受けなくてよかった。
「やすり、逆だぞ」
「あっ! わざとです」
「なんの意味が? まあいいけど。……俺は君の言う悪いニュースをどっちも悪いニュースだと思ってない」
「……」
世間知らずである自覚を持っているのだろうか。それは素晴らしいことだ。けれども、早ければ今夜にでも鈴麗が出立してお別れになることについては、少しくらい悲しい表情をしてくれてもいだろうに。例え演技でも。
蛮人にとってはそれすらも求めすぎなのかもしれない。だから鈴麗は笑うことにした。
「それならよかったです。伝えた私もほっとしました。では、私は夜まで自室で作業しますので」
爪牙を一旦脇に置いて、今度こそこぼさないように粉をしまう。
2人で協力して魑魅を討伐するという経験は、鈴麗に今まで感じたことのないような充足感や達成感を与えていた。相手に多少の絆を求めてしまう程度には。
明日と言わず今夜出よう。
どうせどう頑張っても爪牙の双刀を拵えるのは間に合わないのだし、居場所がわかるなら完成してから送ってやってもいいのだが……。
鈴麗は、胡睿の連絡先を確認するもっともらしい理由があることに思い至り、一瞬逡巡してから、目を伏せて腰を上げた。
また自分が蛮人であることを忘れてしまった。自分が周囲の人間にとっては忌むべき存在であることをすぐに忘れてしまう、このおめでたい脳みそをどうにかしたい。
「出発はいつだ」
「今夜」
「明日にするべきだ、その怪我では負担が大きすぎる」
「いやです」
胡睿の言葉は全くもって正しい。
けれども、胡睿と話しているとモヤモヤするし、こうやって理由のわからないモヤモヤを抱えた会話が明日も続くかもしれないと思うと……心のどこかで喜ぶ自分を認め、そしてまたより一層モヤモヤするのだ。
「怪我が治るまで俺に負ぶらせるつもりか?」
「はぁ?」
「なんだ」
「なんであなたが背負うんです」
「君がもし動けなくなったらそうするしかないだろ」
「なんで一緒にいる前提なんです」
「は?」
「は?」
「……ああ、だからつまり、なんだ、俺も一緒に行く」
「どこへ?」
「君の養父上のところへ」
鈴麗は、生まれて初めて時が止まるという事象を体験した。いかに高名な道士であっても為し得なかったことだ。
もちろんそれは、自分自身にしか効果のない事象だったけれども。
視界のどこかで雲がゆったりと流れていくのが見える。土地の空気を感じる。地脈の流れを。
「おい」
「ひゃっい」
「君は道士としてはそこそこ、いや、一流かもしれないが、自分に無頓着すぎる。いつか野垂死ぬぞ」
胡睿が立ち上がって鈴麗を高い位置から見下ろす。身長がどれだけあれば、こんなふうに鈴麗をすっぽり日陰の中へ入れてしまえるのだろう。
「飯は食わない、宿はとらない、風呂は適当、髪が燃えても気にしないし、挙句に簡単に命を粗末にするし、ああ、あと剣術はできないときた」
「できます、苦手なだけです。あと、あなたほどは上手じゃないだけ」
「俺がいれば肉は狩ってやるし、キョンシーと一緒に外にいてやるから、君は宿にも泊まれる」
キョンシーを任せるつもりはないが、しかし、胡睿の挙げた鈴麗の欠点は全て自覚がないわけではなかった。欠点ではない、チャームポイントだと自分では言い聞かせているのだが。
「あなたにメリットがない」
「メリットだと? ……ああ、それなら一流の道士から特定の分野について深く学べるし、旅をすれば世間をこの目で見ることができる。十分だろう」
「……自覚あったんだ」
「何か言ったか?」
鈴麗は胸に抱えた爪牙を強く抱き締める。
一緒に旅をして良いのだろうか。この双刀が完成したとき、直接手渡していいのか。それに……。
「……」
「それに、キョンシーの話も途中だし父の話だってまだ聞き終えてない。聞きたいことは山ほどもあるんだ」
蛮人と共に旅をすることがどう見えるかも知らないとは。
「あなたは本当に世間知らずですね」
「あ?……ああ。だから君の旅に連れて行ってくれ、鈴鈴」
先ずはその顔面の攻撃力を学ぶところから初めてもらわなければならない。
鈴麗は苦笑して、また爪牙を抱き締めた。
おわり
神望喜利彦山人さまが二人を描いてくださいました!
ふたりの旅は続くんじゃよ。おわり。
出会いの物語でした。
これから、養父(羅英)を追っていろんなハプニングに巻き込まれながら旅をする二人です。
羅英はどこへ行ったのか、胡睿は科試に受かるのか、母親おらんのかい問題、そんなアレやコレやはまたいつか、書くかもしません。が、先ずはこれでおわりです。
急急如律令って言いたかったんです。
お読みいただきありがとうございました。