②火を囲めば
昨夜、活動報告にて「夜中に次話更新する」的なこと言った作者がいたらしいんですが、奴は突然の睡魔に襲われました。割烹ご覧になった方すみません、我はうそつきになりました……
「うちの子たち、私の管理下にあるんだから瘴気とか出てないはずなのに」
鈴麗が不思議だったのは、男がなぜ一行を襲ったのかということだ。
最初は単純に鈴麗がキョンシーに襲われていると勘違いしたのだと思ったのだが、そもそも鈴麗たちの姿を見る前から彼はまっすぐ鈴麗一行を目指して来たのだから、その説は消える。
「すごく嫌な空気あっただろ、感じなかった?」
「いいえ」
魔物は、時に自らの気配を最小限に抑えて行動することがある。
しかし鈴麗は自分の道士としての力にはそれなりの自信を持っており、大抵の魔物はどれだけ気配を消そうと鈴麗から逃れることはできないはずだ。
その自分が、この山に嫌な空気など感知できなかったのだ。それならばこの男の勘違いであり、不幸にもキョンシーを連れて居合わせてしまっただけだと、自らを納得させる。
少し黙って歩くと、村の明かりが見えて来た。
夜とはいえ、まだ全員が寝静まるような時間でもない。宿が空いていればよいのだが。
「ねぇ、あなたのお名前はなんです?」
「それに答えるとどんないいことがある?」
「あなたには何も。私は、村に到着したときにさよならを言いやすくなります」
「ルイ。胡睿」
胡睿は前を向いたままぼそりと答えた。
村に向けて歩を進める毎に光が届いて明るくなり、男の美貌をさらに暴き立てる。
鈴麗はその顔を眺めているのが恥ずかしくなって、同じように前を向いた。
「胡睿、あなたも村では宿に?」
「ああ」
「ではそこまで一緒に行きましょうか」
「君の名は?」
「……羅鈴麗」
*****
炊き立ての白米を椀によそって、李斯と路炎の前に差し出した。
キョンシーが人の血を求めるのは空腹によるものではなく、仲間を増やすためだというのが、最近の道士界隈の見立てだが、実際、道士の元にいるキョンシーは血液を摂取しないまま存在している。
何かしらの食べ物を与えておけば、だが。
「魔物がこんなに行儀よく食事する姿は一周回って現実感がすごいな」
「そんなことより、どうして貴方までいるんです?」
鈴麗は釜に残った少々の白米を、釜から直接箸で掬って食べ始めた。オカズになりそうなものは何もないので、勿体ないながらも塩を少々振ってみる。
「君ひとり野営させるわけにいかないだろ」
「慣れてます」
「君が野営に慣れてることと、俺がそれをよしとすることは別問題だ」
宿は、部屋は空いているようだったが、それは人間用だと断られた。キョンシーたちを連れて入室することも、キョンシーたちを宿の敷地内のどこかに置いておくことも許されなかったのだ。
加えて言えば、鈴麗の瞳の色が緑だったのも良くなかった。いやもしかしたらこっちが本当の拒否理由かもしれない。宿屋の主人と目が合ったときに空気が変わったのだから。
もちろんそんなことは慣れっこだ。村から出て、いつものように外で寝るだけ。星空を眺めながら明日の吉兆が占えて一石二鳥というやつである。
「キョンシーがいますから」
「あと数時間で使い物にならなくなる」
朝が来る前に、キョンシーたちには黒布をかけてやるのが野営の鉄則だ。そして、人間たちにイタズラされないように昼の間中見張っていなければならない。
宿がとれないことの辛さは、外で寝ることではなく、昼間に寝ずの番をしなければならないことだった。
森の中なら結界でも張っておいて侵入者があったときだけ対応すればいいが、村の近辺では噂を聞きつけた人間たちがぞろぞろと見物にやって来て、昼寝をする隙などない。
あっという間に食事を終えたキョンシーたちが、何も映さない瞳を空に投げかけながらボケっとしている。
道士からの指示がないキョンシーは人形とほとんど変わりなく、だから鈴麗にとって会話のある食事はなんだか久しぶりだった。
「君、まさかいつも白米だけとは言わないよね?」
「ええ、いつも白米だけです。米はキョンシーに必要ですし野営で調理なんて非効率ですから。宿に泊まるときには他のものも食べますよ」
「最後に宿に泊まったのは?」
「さぁ」
この旅に出る直前も、遠方での仕事があったために随分長いこと出ずっぱりだ。最低でも3ヶ月は自宅で寛いでいないし、その間に宿へ泊まれたのは一度だけだった。
「風呂は?」
「山には川も湖もありますから。3日前にちゃんと――」
「食べなよ」
胡睿が大きな溜息とともに鈴麗に投げつけたのは干し肉だった。少々固いし臭みもあるが、腹持ちもいいしなにより豊富な栄養がある。少なくとも、白米だけよりは。
鈴麗が目をぱちくりさせていると、追加で胡睿が荷物から取り出した桃が飛んで来た。
「え、これ」
「何も食べないからそんなに貧相な体なんだ。少しくらい栄養をとることも心掛けなよ」
失礼な物言いだとは思いつつも、体が鉄分やタンパク質、それになにより甘味を欲していて、いらないの一言が出て来ない。
いや、貰ったものはもう私のものでいいだろう、と思い直して、干し肉に齧りついた。
「肉だぁ……」
久しぶりの白米以外の食べ物は、思った以上に美味しく感じさせた。臭みがもはや美食の隠し味になるほどに。固いのだって長時間肉を堪能できるのだから大歓迎だ。
このあとに食べる桃はさぞやほっぺがでろでろに落ちることだろう。
「俺は郷科試を受験するんだ」
「……」
郷科試とは、皇宮官吏になるための試験の地方版だ。これに受からないと皇都で行われる科試の受験資格を得られない。
郷科試に落第すればまる2年、科試に落第すれば3年、再受験できない。
能力主義で皇宮官吏を遍く募集するために始まったこの試験は、長く続いた貴族政治を揺るがしつつある一方で、今なお実権を握る貴族に服従を誓ったり金銭を贈ったりと悪習を生み出したりもしている。
それでも、能力のある者が政に関われる門戸はどんどん開いていくべきだと鈴麗は思う。
「少し前に父が亡くなった。父は元官吏で、武術にも長けた人だった。俺は父から父の全てを教わった」
なるほど。鈴麗は肉を噛みしめながら小さく頷いた。
胡睿の身に着けているものは、どれもシンプルだが仕立ても生地も良いもので、供も連れずに山歩きをするような身分とは到底思えない。
しかし一方でその衣類は随分と着込んだようなくたびれた印象があり、恐らく父親のお下がりなのだろう。
「山奥に住んでいて、狩りで生計をたてることはできるが……幼いころから書も詩歌も政治学にいたるまで教わったのは、何か意図があったんだろうと」
「……」
干し肉というのは噛めば噛むほど味が出て、一口で何度も美味しい。
こんなに美味しいものをくれるのだから、胡睿は悪い人間ではないのだろう。いや、女の野営を見過ごせないなど言い出すのだから、そりゃそうなのだけども。
ただ、父親の話をする胡睿の表情に翳りが見えたのは、焚き火が風に揺れているせいだけではないような気がした。
「君はなんのために旅を?」
「……ごふっ! ガッ! げほっ」
「飲み込んでからでいい」
肉に夢中になって聞いていない振りをしていた鈴麗は、胡睿がそのうち会話を諦めるだろうと思っていたので、突然話の矛先を向けられたために肉の切れ端が喉の入ってはいけないところに入ってしまった。
胡睿に手渡された水を一息に飲んで、もう少しだけ迷子の肉を排出しようと咳を続ける。
どうせならこのまま、話題が有耶無耶になってしまえばいいのにと思いながら。
「……養父を探しに」
鈴麗の養父、羅英は、力の強い道士で鈴麗の師匠でもあった。血の繋がりはなく、山に落ちていた鈴麗を育ててくれたのだと聞いている。
道士としてのイロハを叩きこまれた鈴麗にとって、胡睿の話は他人事とは思えなかったが、鈴麗の養父はまだ生きている。だからなんとなく、言いづらかった。
それになにより、蛮人の娘など棄てられたに決まっているのだから、探し出すのは迷惑だろうと言われるのが怖かった。
実際、羅英の出奔は突然すぎたし、命より大切にしていた誰かの形見らしき鏡を持ち出しているのだから、あの家に戻る気がないのだとすぐにわかった。
道士として一人前になったかと思ったらコレだ。
義理とはいえ忌むべき蛮人をここまで育ててくれたのだから、感謝だけしてそっとしておくべきだろうとわかってはいるのだが。
「そうか」
「……」
「見つかるといいな」
思いがけない胡睿の言葉は、一瞬だけ、鈴麗の胸を締め付けた。ほんの一瞬だけ。
あとは、干し肉がさっきより塩気が強くなったかもしれない。
胡睿は、鈴麗が瞳を閉じて俯きがちに肉を堪能する姿から視線を逸らして、ピクリとも動かなくなった人形たちを眺める。
動かなければただの死体だ。
「キョンシーはどうやって生まれるの」
鈴麗は肉を食べ終えてしまい、仕方なく大切にとっておいた桃に手を伸ばした。
ヘタの近くの果肉を優しく突いてみる。この弾力は食べごろだとついニンマリしてしまう。小型のナイフがどこかにあったはずだと荷物をごそごそしながら、ふいに飛んで来た質問へ回答した。
「多いのは他のキョンシーに噛まれてですね。道士が作ることもあるけど、自然発生するのはヒトが生前――」
「作るだって!?」
突然あがった胡睿の大きな声に、鈴麗はぴゃっと悲鳴をあげて飛び上がった。
何を驚いているのだろうか、この御仁は。科試を受けるくらいにはお勉強を頑張っているのではないのか。
「ええ、だってあなただって……」
『きゃああああああああ!!!』
鈴麗が口を開いた時、村の方から大きな悲鳴があがった。
本日中にもう1本あげるかもしれない(断言しないスキルをゲットした)。