丁半草履
宿場に続く険しい峠道を、一人の男が下ってきた。一見して旅の者だとしれるその男は、宿場の入り口に立つ子供に目を留めた。子供の方も旅の男に気づいているようで、目が合うとすぐに近寄ってきた。
「旦那。長旅だったみたいだね。荷物持ってあげるよ」
「おう、すまないね。えらいな小僧。旅の荷物持ちで小遣い稼ぎか? 近くの旅籠まで運んどくれ」
旅籠までの道を、旅の男と子供は並んで歩いた。
「旦那、どこまで旅してるんだい?」
「江戸から帰るところさ。少しばかり歩き疲れたから旅は終わりだよ」
「そうなんだ。ところで旦那、博打は打つの?」
「んん? 方々の宿場を巡りながら、その土地の賭場には必ず顔をだすよ」
「すごいやぁ! 旦那はさすらいの博打うちってわけだね!」
「まあ、房州の銀三っていやぁちっとは知られた名だな」
「格好いい! おいらもいつか旦那みたいな博打うちになりたいよ!」
「ハハ。この道は甘くないぞ」
そのうち二人は旅籠に到着した。
「ご苦労さん。ほら駄賃だ。四文ぐらいでいいか?」
「ありがとう! 宿場を出る時も声かけてね。宿場口まで荷物持つよ。あっちの方は足場が悪くて歩きづらいんだ」
「おう。それじゃあまたな」
「あ、ちょっと待って旦那」
「ん? どうしたい」
「俺も博打うちになりたいから、この四文を賭けて勝負しておくれよ」
「なに? 負けたらただ働きになっちまうぞ。それでもいいのか?」
「そりゃ、四文をすってしまうのは恐ろしいけど、粋な博打うちになるには腹をくくらないとね」
「言うじゃないか。で、どうやって賭けるんだい? 俺は賽も壺も持っちゃいないよ?」
「じゃあ、これで賭けるのはどう?」
そう言うと小僧は自分の足元を指差した。
「その木の枝みたいな脚がどうしたってんだい?」
「違うよ。この草履で賭けるんだよ」
「はは〜ん。草履を飛ばして表か裏に張るって寸法かい。よっしゃ! その勝負受けようじゃないか」
「やった! それじゃおいらが先に張ってもいい?」
「おう。なけなしの四文を賭けるんだ。それくらいは譲らないとな」
「う〜ん……。じゃ、おいら裏に張るよ」
「そうか、なら俺は表だな」
「じゃ、草履飛ばすよ」
「おうよ。勝負だ!」
小僧は空高く自分が履いていた草履を飛ばした。ゆっくりと弧を描いて落ちた草履は、裏を見せて止まった。
「やった裏だ! 当たった、当たった!」
「あいたた。強いな小僧。末恐ろしい子供だなまったく。ほれ、お前の勝ち分の四文だ」
「すごいやぁ! さっきまで文無しだったけど、これで八文になったぁ!」
「おうよ、それが博打ってもんだ。今日は勝ったから倍になったが、次の勝負は誰にもわからねえ。肝に銘じときな」
「うん! 旦那はいい人なんだね。勝たせてくれた上に博打のイロハまで教えてくれて」
「なんだいそりゃ。皮肉か? ハハ、まあいいや。またな小僧」
「うん。じゃあね、旦那!」
そうして男は旅籠に入った。
「じゃまするよ」
「いらっしゃいまし。お疲れでしょう。ささ、足元をお流し下さい」
「すまないね」
男は荷物を降ろして、足を洗い始めた。
「お客さま、これはまた大層なお荷物ですなあ。長旅でございますか?」
「江戸への買出しついでに、地の物を求めて方々を廻っていてね。ずいぶんと品が貯まったものだからそろそろ帰るところさ。こっちを周って帰るのは初めてだがね」
「それはそれは、ご苦労さまです」
「ところでご主人、ちょいと聞きたいことがあるんだが」
「はい、何でございましょう」
「あんまり大きな声では聞けないんだが、……ここら辺じゃ賭場は開いてるのかい?」
「はい、特に何もない宿場でございますからね。あまり大きくはありませんが、この先を少し行ったところにひっそりと開いておりますよ」
「そうかい。いや、博打に目が無くってねえ。といっても下手の横好きなんだが。さっきもそこらの子供と一勝負して四文持っていかれちまった」
男の言葉を聞いて主人の顔つきが変った。
「お客様、それはここらで悪名高い”いかさま童子”に仕組まれたんですよ」
「いかさま童子? なんだいそりゃ」
「旅の人を狙って博打を持ちかけるんです。草履の表裏で賭けをしようと言うんですが……」
「そいつだ! そいつに四文持っていかれたんだ」
「その草履には細工がしてあって、飛ばすと鼻緒が取れるようになってるんです」
「何? てことは……」
「はい。必ず裏が出るんです」
「あの餓鬼……。それで先に張りたいと言ったんだな」
「我々としても迷惑しているのですが、神出鬼没といいますか、すばしっこいといいますか、なかなか捕らえることがかないませんで」
「まあ、子供ごときにいいようにあしらわれたのは癪に障るが、せいぜい四文損しただけだ。駄賃の高い荷物持ちに捕まったと思えば気も晴れるというものか」
翌日、機嫌良く旅籠の二階から降りてきた男は、主人に挨拶をすると、懐から財布を取り出して紐をほどいた。
「いやあ、ゆっくりさせてもらったよ。旅の疲れもずいぶんと抜けたようだ」
「ありがとうございます。またお寄りの際には是非ともご利用くださいまし」
そこで主人は小声になると、ひそひそと男に尋ねた。
「ところでお客様、賭場の具合はいかがでしたか?」
「具合も何も、実にいい賭場だねぇ。いつものツキの無さが嘘みたいに当たる当たる。預けていた運がいっぺんに返ってきたみたいだよ」
そう言うと男はにんまりと笑い、手にしていた財布を主人に見せた。それは不恰好なまでに太く膨らんでいた。
「それはそれは。ようございましたな。……しかしお客様、近頃はすりもよく出るといいます。懐が膨らんでいるとよからぬ輩を誘うやもしれません」
「それもそうだな。では財布にはわずかに残すとして、金子は別に隠しておくとするか」
「それがよいかもしれませんな」
勘定を済ませた男は旅籠を出ると、町の出口を目指して歩きはじめた。しばらく歩いて町並みも寂しくなった頃、男は柿の木の下にしゃがんでいる子供に気付いた。よく見てみるとそれは、昨日まんまと四文を騙し取ったあの荷物持ちの子供だった。むっと顔を曇らせ、昨日の勝負に文句を言おうとした男だったが、それも大人気ないとして、声を掛けぬまま通り過ぎようとした。しかし、子供の方も男に気付き、勢いよく走って近づいた。
「旦那、もう町を出るんだね。約束通り荷物を持つよ」
「うん? ああ……」
「昨日も言ったけどこの先は道が悪くて、これまでも荷を担いだ旅の人が何人も足を痛めてるんだ。慣れてるおいらに任せてくれれば安心だよ」
「それはそうなのだろうな。しかし……」
歯切れの悪い男に何を感じ取ったのか、子供は意外なことを言い出した。
「今回は駄賃はいらないよ。博打で勝たせてもらったし、なにより旦那はいい人みたいだから」
子供の申し出に対しても男は警戒を解く事はなかったが、結局荷物を預けることにした。まだまだ続く道中を思うと少しでも楽をしたかったし、なによりタダだ。”いかさま童子”であることを除けば十にも満たない子供相手、何かあったとしても捕まえてしまえばどうとでもなる。
ほどなくして二人は子供の言う足場の悪い道へと入った。
「なるほど、これはひどい道だ。重い荷物を持ったままでは確かに危なかった」
「だろう? ここで怪我して、また宿場に引き返す人も多いんだよ」
「そうだろうそうだろう。いや、良い荷物持ちに出会えたもんだ」
掛け値なしにそう言うと、男は子供の案内で一歩一歩確かめるように歩き、ようやく平らな道に出ることができた。そこはもう町の外で、いつの間にか通り過ぎたのか、はるか後方には町の名を彫った道標が見えた。
「ふう、ようやく落ち着けるな。いや本当に助かった。礼を言うよ」
「礼なんていいよ。でも、一つお願いがあるんだ」
「お願い? なんだい?」
「もう一度、勝負を受けてくれないかな」
「勝負?」
またしても子供はいかさま勝負を持ちかけてきた。さっきまでの感謝が一度に失せてしまった男は、いよいよそのいかさまを窘めようとしたが、すんでのところで思いとどまった。いかさまをただ指摘しても面白くない、どうせやるならば、きっちりと懲らしめてやろう、と思ったのだ。
「いいだろう。で、また草履の表裏で勝負するか?」
「うん。また四文の勝負でいいよね」
「ああ構わんよ。先に張るか?」
「いいの? それじゃあ、験を担いでまた裏に張るよ」
「よし。俺は表だな」
そこまで話して、子供が草履を飛ばそうと足を後ろに振ったとき、男は待ったをかけた。
「言うのが後れたが、勝負を受けるにあたって、一つ条件がある」
「条件?」
「草履は俺が飛ばす。その条件を飲めぬなら勝負は無しだ。どの草履にも表裏はあるのだからな」
男はそう言うとにやりと笑った。対して、子供は急に落ち着きがなくなり、着物の裾をつかんでうろたえた。どっちが出るかわからない真剣勝負に、なけなしの金子を賭けるなどはできまい、そう思って男はほくそ笑んだ。いい気になった男は、もう少しお灸をすえてやろうかと考えをめぐらせたが、それを思いつく前に子供が切り出した。
「わかったよ。旦那がそう言うなら仕方ないや。旦那の草履で勝負しよう」
「え? ん? 本当にいいのかい?」
「うん。昨日はおいらが勝ったし、今日は旦那の条件を飲むよ」
予定では、泣いて許しを乞う子供に、説教の一つでもして、世の中の厳しさを教えてやろうと思っていたのだが、まさか勝負を受けると思っていなかった男は、逆にうろたえることとなった。それでもなんとか取り繕うと、引き下がるわけにはいかずに勝負に入った。
「いいんだな? それじゃ、草履を飛ばすぞ」
「うん!」
子供は悲痛な顔つきで頷くと、勝利を願い手を合わせて拝んだ。五分の勝負に違いはないと、男は勢いよく右足の草履を蹴り上げた。高く上がった草履はぽとりと落ちて、裏を見せたまま止まった。
「やった!? また勝った!!」
子供は飛び上がって喜んだ。一方の男は、いかさまなしでも負けてしまったことが信じられず、大人気なく地団駄を踏んだ。子供のいかさまを懲らしめるために受けた勝負だったはずが、結局負けてしまってはその意味がなかった。なにより、昨晩の賭場では玄人相手に負け知らずだったのに、小さな子供には一度も勝てぬまま町を去る自分がどうしても許せなかった。男は人差し指を立てながら子供に迫った。
「まだだ! まだ終ってない」
「え? 旦那、どうしたの?」
「まだ草履は残っている! これで最後の勝負といこうじゃないか!」
そう言うと、男は自分の左足を指差した。しばらく呆気に取られていた子供だったが、すぐに無邪気に笑うと、嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ、最後に十文の勝負といこうよ」
「いいのか? それは願ってもない話だ。そうそう何度も負けんぞ!」
「最後の勝負だ。旦那、思いっきり飛ばしておくれよ!」
「おおともよ! 派手にいくぞ!」
十文の勝負ならば、子供に取られた分を取り戻してお釣りがくる。半ば興奮気味の男は、最後の希望を乗せて左足の草履を思いっきり蹴飛ばした。空に向って勢いよく上がる草履を睨みながら男は叫んだ。
「どっちに張る!?」
「おいらは裏!」
「俺はもちろん表だ!!」
さっきよりもさらに高く空へと舞った草履は、風に流されてずいぶんと離れた所に落ちた。その草履を見るために、裸足で駆けていった男は、表を見せている草履を確認した。
「やった……、表だ……、勝った、勝ったぞ!!」
男は大げさなほどに喜んだ。何度も草履を指差して、狂ったように笑った。いたずらな子供を懲らしめるという目的を完全に忘れて、念願の勝利をこれでもかと噛み締めた。
「ほら見ろ! 表だ! 間違いなく表が出たぞ!」
そう言って振り向くと、子供に対して勝ち誇ろうとした男だったが、さっきまでそこにいたはずの子供の姿がどこにもないことに気付いた。笑顔を貼り付けたまま、子供の姿を探すが全く見当たらない。何事が起こったのかわからぬまま子供を捜し続けた男は、遠くの方から呼ばれていることに気付いた。その方向を見ると、町の道標近くで手を振る子供の姿が見えた。その背には男の大きな荷物が担がれ、金子を隠していた手荷物も携えていた。
「おおい、旦那あ! 博打は最後まで気を抜いちゃいけねえよ。じゃあなあ」
子供はまた大きく手を振ると、あっという間にあの険しい道を引き返していった。
「お、おい! 待て! い、痛、痛た!!」
草履を拾うこともせずに後を追おうとした男は、とがった石を踏みつけてしまい、立ち止まるよりしようがなかった。目の前にはさらに多くの小石や、刈ったばかりの笹などが続き、とても裸足では進めない。その場で滑稽にじたばたしていた男だったが、子供の姿が全く見えなくなったことを知って、呆然とその場に立ち尽くした。
「勝負を持ちかけたのも、俺の条件を飲んだのも、全て計算ずくだってのか。はなから俺の荷を狙って……」
いかさま童子にしてらやれたと気付いた男は、へなへなと地べたにしゃがみこむと、しばらくその場を動く事ができなかった。その背後では、ほっておかれたままの草履が、いつまでも主を待ち続けた。
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