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車はガスタウンに入った。ガスタウンは、バンクーバーの発祥の地って言われているらしい。ガシー・ジャクソンっていう人の銅像がある。それと5分ごとに蒸気があがる蒸気時計が有名。たくさんの土産店が並ぶ。
そのパウエル通りをどんどんいくと旧日本人街があるそうだ。やがて、古いレンガの街並みが見えた。
「ここが日本語学校だったところ」
サリーが説明をしてくれた。車もゆっくり走る。ちょっと寂れている感じに見える。物悲しさがあった。車は公園に横付けして止まった。
「ここがオッペンハイマー公園です。戦前まで朝日軍っていう野球チームのホームグランド」
ああ、たしか、大人と子供ほど違う体格の白人チームと対等に戦い、頭脳プレーで人々を魅了したと言われている朝日ベースボールチーム。日系人のヒーローたち。
「歩いてみます?」
思ったほど大きな公園じゃなかった。向こう側が見渡せる。ここで野球が行われていたとは思えない.学校の校庭の方がずっと大きい。
僕は目の前に広がる芝生を見ていたが、その心は過去へと飛んでいた。焼けつく痛い記憶がよみがえっていた。
暑い夏の練習。汗まみれになっていた僕は、あいつのサインを見てうなづく。ストレートのど真ん中か。この状況でだ。それだけ僕のことを信用してくれているから、そんなサインが出せるんだろう。内野手も外野手も信頼できるメンバーたち。たとえここで、僕が打たれてもみんながいてくれる。けど、僕の真正面に座っているはずのあいつの顔が見えない。のっぺらぼうの顔、口元だけが笑っていた。チリチリと焦げ付く音がしそうな記憶だ。
「ここで八月の始めにお祭りがあるんです。ダンスをしたり、空手、剣道、弓道なんかも見られる。かき氷やたこ焼き、バーベキューのサーモンの出店も出ます。すごいにぎわいですよ」
僕はそんなサリーの声に我に返った。
「でもね、その準備が大変なんです。大勢のボランティアを募って、まずこの公園のごみ拾い。そして芝生の中に注射針が落ちていないかチェックするんです」
「注射針ですか?」
なんで? なんで、こんなところに。
「この辺り、麻薬常習者が多いんです。どこでも薬を打つから、その針もポイって捨ててしまう。そんなものがもし、芝生の中にあって、そこで子供が転んだら・・・・」
「うわっ、それ、大変だ」
こんなに綺麗に芝生が植えられている公園に、そんな危険があるんだ。こういう会話をしながら歩いているけど、その脇にはベンチがある。そのベンチの上に寝転んでいる人たちがいる。その目はどこか宙を見ていたり、遠慮のない目で僕たちをじっと見つめている顔もある。
「ここに日系人たちが住んでたんですか」
おっきい祖母ちゃんがこんなところに?
「そうです。戦争が始まって、日系人がここからいなくなってから、ぐっと治安が悪くなったみたい」
「そっか」
もっぱらサリーとばかり話している。クリスは一緒に歩いているが、話に参加するつもりはないらしい。相変わらず目も合わせない。極端な人見知りなのかも。時には会った瞬間から気に入らない奴って思う人もいるかもしれない。それが的中かサリーと明日も会う約束をして、ホテルまで送ってもらった。
ホテルで寝る前に母に電話した。おっきい祖母ちゃんの家族はカスロっていう町にいたらしいと告げると、「そこ、行ってみてよ」と簡単に言う。
僕も大して考えもせず、わかったと返事をしていた。だって、今日、もう日本人街を歩いてきた。写真もたくさん撮った。後は日系プレースで話を聞くだけだ。帰るまで一週間以上あった。妃呂美が一緒だったらよかったって思う。一緒に買い物もできただろうし、食事も楽しいだろう。慣れない異国で、一人飯を食う淋しさはアパートの一人暮らしよりもずっとずっと寂しく感じていた。
翌朝、サリーがまた迎えに来てくれた。あ、詳しく説明すると、また不愛想で僕のこと、嫌いだと思われるクリスの運転で、僕を迎えにきたんだ。もう会わないだろうと思ってたのに、なんでだ。それでも挨拶だけぺこりとお辞儀をすると、向こうも儀礼的に頭を下げた。
日系プレースは広い敷地内に立派な建物。正式にはナショナル日系ヘリテージセンターというらしい。ここでは日系に関するイベント、コンサートを全面的に行うそうだ。結婚式にも利用できるらしい。日本語の幼稚園も入っている。中の展示物に目を向けた。
古い野球のユニフォーム。これが日系人たちの誇り、朝日チームのユニフォーム。どんなに不公平な審判であっても絶対に抗議をしないという紳士的な態度も、白人たちに高い評価を得ていた.本もたくさん出ていて、漫画まで見つけた。一通り目を通していた。ドキュメンタリー映画が一番好きだ。
ここへきて、実感したこと。日系人たちはずっとずっと、白人たちに差別されて生きていたのかと思っていた。けど、いつもそうじゃないって思える。現在でもバンクーバーは日本語で過ごそうとすればできる状況。旧日本人街には日本人経営で、生活するすべてがあった。店、食堂、床屋、他にもさまざまな店が軒を連ねていた。そこでは日本語で買い物をし、日本語で暮らしていられただろう。英語が必要ないんだ。
僕は日本からもってきたグローブを見せた。サリーや他のスタッフも目を輝かせている。あのクリスでさえ、それを見る目が違っていた。
「すごい。よほど大切にしまわれていたのね。古い物だけどその当時のままって感じ」
「はい、ずっと木箱の中にしまってあったそうです」
見つけた時の様子を話した。けど、僕は恋文の俳句のことは言わなかった。それもきっと歴史的な物なんだろうけど、それ以前におっきい祖母ちゃんの私物だった。しかも誰かを想った俳句をさらけ出す気はない。
「S.Sっていうイニシャルを持つ人、割と多いんです」
「そうなんですか」
すこしがっかりした。数人は候補にあがるんじゃないかって思っていたから。
「日系人って英語名と日本語名を持っている人が多いんです。そのうちのどちらを使ったか、調べるとすごく多くて」
なるほど。そうか、そうなんだろう。そう簡単に見つかるとは思っていなかった。じゃあ、やっぱり行こうか、戦時中におっきい祖母ちゃんがいたっていうカスロの町へ。
「まだ僕、時間的に余裕があるので、戦後日本へ戻るまで滞在していたっていうカスロへ行ってみたいんですけど、遠いんでしょうか」
大きな国だから飛行機は飛んでいると思う。予算外だったとしても母に言えばなんとかなるだろう。バスとか電車で乗り継がないといけないかもしれない。それでもその町に泊まり、その町を歩いてみたかった。
意外だったのは、僕がカスロへ行きたいと言ったとたん、サリーの顔が輝き、クリスがうつむいた。なんだろう。
「ちょうどよかった。今週末にクリスがカスロへ行くことになっています」
え、クリスが? ちょっとギョッとしていた。
「その町で日系の75周年のイベントが行われるんです。それには私も招待されていたんですけど、急に仕事が入っちゃって、クリスだけが行くことになったんです。よかったわね。クリスだけで行くのはちょっと心配していたの。翔さんが一緒に行ってくれれば安心」
なんだかもう僕とクリスが一緒に行くって決まってしまった雰囲気だ。
「あ、でもいいんですか。僕なんかが一緒に行っても」
クリスは何も言わないでいる。嫌なら思い切り否定してくれたらいいのに。僕も気まずい。一人で行った方が気楽だ。
「だって、翔さんはカスロへ行きたいんでしょ」
「はい」
「だから、クリスが車で行くのよ。一緒に乗っていけばいい」
「僕、免許持ってないので、途中で交代とかできないし・・・・」
そうだ。一緒に行ってもなんの役にも立たない。
「大丈夫、クリスは運転、慣れてるの。私と一緒に行ってもずっと運転している」
ってことで、サリーは勝手に話を決めていた。
「金曜日の夜、前夜祭があるから、それに間に合うように出発してね」
「ええっ、泊りですか? 日帰りってわけには?」
冗談じゃない。こんなに気まずいクリスと泊まりだなんて苦痛すぎる。
「アハハ、それは無理よ。行きだけでも一日は無理。たとえ、ケローナまで飛行機で飛んでもそこからさらに数時間、車で走らないと行けないところ」
「そんなに遠い所なんですか」
飛行機なら簡単に行けると思ったのに。
「だって、そもそもスパイ容疑で海沿いから日系人たちが追いやられたところなのよ。そんなに簡単に行ったり来たりできるところじゃない。当時、ゴールドラッシュですたれてしまったゴーストタウンに送り込まれたの」
「はい、そうでした」
僕だっていろいろ資料を読んだんだ。日本人を閉じ込めておくのが目的だったんだっけ。
「戦後、日系人がそのまま留まれてたらその町も栄えていたかもしれないけど、その後は日本へ帰るか、東側に移動するかって命令されてたから、今もその町はゴーストタウンなの。夏のキャンプしか賑わいを見せない町」
僕はそれを聞いてもう抗うことをやめた。車の運転ができない僕にはたどりつけそうにない所みたいだ。
「じゃあ、クリスさん、よろしくお願いします」
そう言って丁寧に頭を下げた。
向こうが僕のこと、嫌いでも乗せてくれればいい。