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 母屋には、父の弟、孝弘と幸弥叔父さんとその奥方たちの顔が並ぶ。おっきい祖母ちゃんの三回忌が春に行われていた。その時にみんな顔を合わせている。その奥の方には、この親族会議の成り行きを見守るかのように、祖父母ともう一人、知らない顔がいた。祖父母の友人だろうか。なぜ、ここにその人がいるのか、その時はまだ考えもつかなかった。

「ようっ、翔、あっちの大学はどうだ?」と孝弘叔父ちゃん。


「うん、順調だよ。おかげさまで青春を謳歌しております」

 するとはじかれたかのように、叔父たちのつれあい、つまり義理の叔母たちが一斉にしゃべりだした。この二人も母とよく似てる。いたいけな少年をからかうってとこが。

「翔ちゃん、またいい男になっちゃって。叔母ちゃん、惚れちゃうわぁ」

「本当よね。かわいい彼女、もういるんでしょ」

 いいか、落ち着け。この手の質問はいつものこと。ここで焦って、妃呂美という存在を顔に出したら母までが質問攻めしてくる。

「いやあ、全然もてないんで、募集中です」

 苦笑いして下を向く。危ない、あぶない。


 母はいつのまにか、台所から湯気の出ているすまし汁をお盆にのせていた。

「さあ、あっちで食事にしましょう。用意できてんの」

 すぐと皆が腰を上げて、テレビの部屋から奥の座敷へ移った。そちらには豪華な船盛りが三つほど並んでいる。今日は豪華だ。こんなおもてなしを受けるとは考えてもみなかった。この地域の船盛りには仕出し弁当のようにいろいろなものが乗せられている。刺身や寿司、揚げ物もバラエティー豊かに盛り付けられていた。酒やビールも注がれ、宴会になる。おっきい祖母ちゃんも昔のラブレターが見つかったことで、僕たちが宴会するとは思ってもみなかっただろうな。


 僕は手紙をじっと見ていた。そこに書かれているのは、知性を感じさせる美しい流れの英文字。


【Into the moon light   Off you go   I`m missing you I think of your smile. ℳ・Suzuki】


 まず、Mっていうのは真紀子っていうおっきい祖母ちゃんの名前。Suzukiは旧姓だ。


【月明かり  あなたを想う  その笑顔】そう翻訳してみた。


 

「ねえ、母さん。どうしてこれが恋文だって思ったの?」

 僕の投げかけた言葉は、全く関係ない話に盛り上がっていた女性群を黙らせた。

「どうしてって、アイ ミス ユーとか、スマイルとか、どう考えても誰かを思う単語でしょ。それが隠すように野球のグローブの中に入っていたのよ。どう考えてもそのグローブの持ち主に対する思いでしょ」

 母の、私の英訳が間違っているのかという抗議するような目つきから目をそらす僕。

「間違ってないよ。でもさ、ラブレターだったら、もっと具体的な言葉が入ると思うんだ。あなたの笑顔が大好きですとか、いつ頃から好きだったとかさ、これってちょっと違うよね、シンプル過ぎる感じ、するんだけど」

「その人のことを思って、詩を書いたんじゃない?」と叔母が言う。

「うん、でもさ、これってもっと決められた型にはまってると思うんだけど」


 そこまで言えば、誰かが気づいてくれると思った。

「俳句だろ、それは」

 それは祖父母と一緒に座っているご老人の言葉。さっき、ちょっと紹介してもらっていた。高橋伊三郎さんという。

「そうです。英語も音節で五七五におさめられます。日本語にしたらわかったんです」

 そんな発見に母たちが騒ぐ。

「英語で俳句? 誰かを想う心を俳句にしたってこと?」

「ますます意味深よね」


「あなたを想う、その笑顔ってすごく好きって言ってる」

 そういうと、母たちは指折りしながら口ずさんでいた。我ながら鋭い発見だと思う。そして今度はグローブに目を向けた。消えかかっているがわずかにその持ち主のイニシャルが読み取れた。

 S・ Sだけだ。曾祖父は宮崎義弘だから全く別人の物だとわかる。

「おっきい祖母ちゃんの好きだった人ってこと?」


「うん、誰かを忘れられなかったんじゃない?」

 女性群は好き勝手にそんなことを話していた。


「日本へ戻ってきてすぐにここへ嫁入りしたって聞いたよ」

 祖母が言う。それなら曾祖父の恋敵とかじゃないようだ。

「おっきい祖母ちゃんは昔、かなり美人だったみたい。思いを寄せてくる人もいたんじゃない? でも親の決めた結婚に従わなきゃいけなかったとか」

 あり得ない話じゃない。

「そもそも、なんでおっきい祖母ちゃんは日本へ戻ってきたの? そのままカナダにいれば、今頃僕たちもカナダ人として育ってたんじゃない?」

 僕は単純にそう考えた。

「バッカじゃないの! おっきい祖母ちゃんが向こうにいたら、祖父さんもお父さんも向こうで生まれてた。それじゃ、お母さんと知り合わなかったってこと、あんただって生まれていなかったかもしれない」

「あっそうか」

 別の人と知り合って、別の子供が生まれていたんだろうな。


「戦争のせいです」

 ちょっと悲しそうな表情で、高橋ご老人が言った。

「戦争がすべての日系人の運命を変えたんです。直接戦争に行かなくても私達はその被害者だったんです」

 その言葉の重みが、軽率な話になりそうだった僕たちを黙らせていた。


「戦争前、ひどい差別を受けていてもそれなりに生活が成り立ち、大きな工場を持つ人や店を大きくして成功している日本人も大勢いたんです。けれど、あの真珠湾攻撃から私たちの運命は変わった。いや、未来が捻じ曲げられたんです」

 辛そうに語る。

 高橋ご老人はおっきい祖母ちゃんと同じで、カナダ生まれ、戦後日本へ帰ってきた。その頃はまだ10歳ほどだったが、当時のことを鮮明に覚えているという。直接おっきい祖母ちゃんと知り合いってわけじゃなかったらしいが、家族同士の係わりがあったらしい。祖父が知り合いの伝手で今日、このために来てくれていた。

 僕は高橋老人の話を聞く前は、戦争のことをそれほど真剣に考えなかった。遠い昔、この国に起こった悲劇くらいにしか思っていなかった。だって、今の日本にはそれを思わせるような物はそれほど見かけない。まさか、こんなに近くで、いや、おっきい祖母ちゃんがその時代に生きていたことをすっかり忘れていたんだ。無性に恥ずかしくなっていた。無知ってことよりも自分があまりにも関心を持たなかったことを恥じていた。


 高橋ご老人は得々とその当時のことを語ってくれた。それでいつもうるさい女性群が静かに聞いていた。と思ったら、宴会のお終いにとんでもないことを言いだした。僕はそれで、今回の母の企みに気づいた。

「翔は大学が夏休みだから、暇がいっぱいあるでしょ。だから、カナダへ行っておっきい祖母ちゃんの足取りを追ってきてもらいたい」

 「ええ~っ」と絶叫していた。確かに大学はまだ夏休みだけど、僕にだって生活がある。バイトだってしてるし、妃呂美のことも頭をよぎった。

「ね、費用は出す。住んでいた日本人街を見て歩いてほしい。ほんの75年前なのよ。もうそんな面影はなくてもここにおっきい祖母ちゃんの青春があったってところを見てきてほしい」

 僕は親父を見た。とんでもないことを親父の妻は言っている。それを制するのが夫としての務めだろうって。けど、親父はうんうんとうなづいていた。だめだ、こりゃ。叔父たちもゴソゴソと茶封筒を取り出した。なんだ、なんだ。みんなこんなことを言いだす母に驚かないのかっ。

「これは餞別。あっちでホテルに泊まったりするだろうから、その費用として使ってくれ」と孝弘叔父さん。

「うちも出す。飲食代くらいだけどね。あまり豪華な食事はできないだろうけど、毎日ハンバーガーはダメだぞ。健康によくないから」

 皆、僕が行くという前提でここに集まっていることに気づいた。行かないっていう選択肢はないってことらしい。 母たちはもうあらかじめそういう話をしていたんだ。はめられたって思った。

 祖母までが白い封筒を出す。

「祖父ちゃんとの年金、ちょっとしか入ってないけど」O.M.G.(オーマイゴッド)お祖母ちゃんたちまでがそんな・・・・。


 ってことで、僕は急きょカナダへ行くことになった。

 その夜遅く、僕は自分のアパートへ戻った。おっきい祖母ちゃんの俳句とグローブも預かってきた。できたらこのグローブが誰の物なのか調べられたらいい。でもとりあえずの目的はバンクーバーの街を歩いて、おっきい祖母ちゃんを偲ぶこと。

 

 まず僕は映画館の白石マネジャ―に電話していた。大学が夏休みに入り、今はまだ週二回しか働いていないけど、八月の終わりから九月にかけては連日で入ることにしていた。九月の終わりにカナダへ行くことを伝え、仕事のシフトの調節をしてもらう。そして、妃呂美にもその旨を伝えた。彼女はすぐに僕の所へ来ていた。


 妃呂美の大好物、福岡土産の明太子を渡す。すると僕に抱きつくよりも先に、包装された箱に「愛してる」とキスしている。明らかに不満だったから口を尖らせると、ついでのように僕の頬にキスした。

「こっちも愛してた」

 ついでと付け足しの言葉。

「カナダへ行くんだって、いいじゃない」

 ウキウキしている妃呂美。まさか・・・・というよくない予感。一緒に行きたいって言うんじゃないだろう。そんなことをしたら妃呂美の存在がばれてしまう。

「バンクーバー、バンフ、トロント、ナイアガラの滝、PEI、ウエストエドモントンモールにも行きたい」

「えっ、ちょっと待って、なんだよ、それ。ピイイー・・・・」

「P.E.Iよ。プリンスエドワードアイランドのこと。赤毛のアンで有名な島」

「ああ、なるほど」

 最初からそう言ってくれればわかったのに。

「じゃあ、ウエストなんとかモールって?」

「ウエストエドモントンモール。北アメリカで最大級のショッピングモール、世界でも10番目くらいの規模なんだって。遊園地、プールもスケートリンクもある。し・か・も、しかもよ、エドモントンって街があるアルバータ州は州別の消費税ゼロ」

「州別で消費税が違うの?」

「そう、国全体での消費税は5%、それプラス、州別に何パーセントって税が決まってる。けど、パンとか野菜、肉なんかの食品にはつかない。買い物するならアルバータよ」

 アルバータ州の親善大使かって思う。妃呂美の頭の中にはカナダを横断するような計画表がもう作られているらしい。どうしよう。サイアクの場合、同じ飛行機で行って、別行動か。母たちにお金を出してもらって、彼女とあちこち遊びまわっていたなんて知れたら、おそらく・・・・殺される。

 けど、自分のスマホを見ていた妃呂美が叫んだ。

「ああ、有休、二日しか残ってなかった」

 そりゃそうだろう。新入社員なのに、ハワイに沖縄、確か北海道にも行った。こんなに有休をきちんととる日本人も珍しいに違いない。年末にはスキーに行きたかったと騒いでいた。僕はほっとしていた。妃呂美は一緒に来られない。

「お土産、買ってくるから」

「ホント?」

「うん、メープルの形のチョコ」

 定番のお土産だ。

「あ、そんな甘い物よりスモークサーモン買ってきて」

 酒のつまみね。お安い御用。



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