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そう、あの日、僕たち野球部は夏の大会に向けて遅くまで練習していた。一年生は基本的に球拾い、球場の整備、先輩たちの使い走りだ。くたくたになっていた。
でもいつでもあいつと一緒に帰った。その途中、いつものコンビニに寄った。僕はサンドイッチが食べたかった。飲み物は外の自販機でかまわない。僕は気づかなかったけど、店の中に先輩たちがいたらしい。奥の方であいつが「お疲れ様でした」とあいさつしていた。奥のクーラーから自販機では買えないサイズのコーラを手にとっていた。
僕はレジに並ぶ。あいつもすぐに来ると思っていた。小銭を集めて払い、袋を受け取った。その瞬間、女性の声で振り向いた。
「君たち、ダメでしょ、そんなことしちゃ」
何かを咎めるキツイ言い方だ。店内の誰もがはっとしてみていた。もちろん、レジをしていた店長らしい人もだ。
窓きわの雑誌が並んでいるところに数人の学生がいた。その中の三人が野球部の先輩。そして、あいつもそこに立っていた。皆が注目すると先輩たちは逃げるようにして店を出ていく。しかし、あいつはそこから動かなかった。そして、中年の女性もあいつを睨んでいた。なにがあったんだ。店長とバイト生がそっちへ行く。僕も慌ててそっちへ向かった。
そこには野球のユニフォームが入っているカバンが広げられ、その中に漫画や週刊誌が数冊突っ込まれていた。そのかばんを持って茫然としていたあいつ。店長が厳しい顔つきで言った。
「このかばんは君のだね」
うなづく。
「お金、払ってないよね」
うなづく。
「どうしようと思ったんだ?」
あいつはただ、首を振るだけ。
僕の大事な親友だった。その状況は誰が見てもあいつが万引きしようとしていたように見える。けど、それを否定しないで怯えた目で見ていた。
「私がここへ来たら、この子たち、雑誌をカバンの中に入れていたの。逃げた子たちがカバンを開けさせていたんだと思うけど」
二年生が新入りのあいつに万引きさせようとしたんだ。中には僕たちの年齢では買ってはいけない写真付きの雑誌まで入っていた。
「ちょっと事務所まできてくれるかな」
店長は抑えた声であいつを引っ張っていった。その姿はまるで犯罪者が連行されるよう。同じ制服を着た僕にも目を向けた。怖かった。
「君、この子の友達? 仲間なのかっ」
そう言ってきた。かなりきつい言い方で。すごく怖かったんだ。反射的に首を振っていた。でもそれは決して友達ってことを否定したわけじゃない。仲間ってこと、万引きをした仲間なのかっていうことを否定したつもりだった。僕はあの時の牧野雄太の悲しそうな顔と悲痛な心の叫びをきいた気がした。
それが僕たちの友達の縁が切れた瞬間だったと思う。
僕はそのまま家に帰れなかった。けど、あからさまに店で待っていたわけじゃない。外の陰から見守っていた。一時間後、あいつが出てきた。その姿はまるで別人だった。制服を着てなければわからなかったかもしれない。それだけ魂を抜き取られた、十歳も年をとった人にも見えた。結局、僕はずっと待っていたけど、声をかけられなかった。翌日、学校へドキドキしながら行く。あいつは欠席だった。そして野球部一年生が万引きで捕まったという噂が広まっていた。警察沙汰にはならなかったはずだ。親も呼ばれていない。だって僕は見ていたんだから。ってことは、あの二年生がいいふらしたのか。
それから僕は思い切り投げて、ノーヒット・ノーランで試合を盛り上げていた。その試合は僕たちのチームの勝利だった。あの時、やりたくてもできなかった野球がやれたってことで興奮している。
僕たちは他の試合を見るために観覧席に座る。そこへマギーが走ってきた。首筋に抱きついてくる。
「すごい。翔さんってすごいっ」
「いや、途中でやめたんだ。ずっとやってなかった」
そう謙遜する。ずっとやっていなかったわりにはスピードがついていたと思う。
その時、マギーは僕が野球をやめたことに、なにか理由があったと感じていることがわかった。ちょっと真剣な顔になったから。けど、すぐにその理由を聞いてはこなかった。普通の人なら「なんでやってなかった?」と訊いてくる。
学校中の噂になっていた。
その後、同じ学校の生徒があの時の現場を目撃していたらしいと発覚。そんなこと、学校が聞き逃すはずがない。火のないところに煙は立たぬということ。
牧野は結局それからずっと不登校になった。そして野球部はその噂が原因で、夏の大会を自粛することにした。僕も牧野の友達だったし、その現場に居合わせていたから、結局退部させられた。それが二か月で野球部をやめた理由。
こんなこと、どういうふうにおっきい祖母ちゃんに相談できただろう。どうすることもできなかった。それを相談しても誰も助けてくれることなんてできなかっただろう。さらに夏休み中、あいつが他の学校へ転校したと聞いた。あれから一言も話さず、会うこともできずにいた。今でも悔やまれる青春の一ページだ。
今なら、言える。
「こいつは万引きなんかできる人じゃありません。絶対にやらされたんです」って。
必死に訴えればよかったんだ。牧野は自分の大好物のから揚げをいつも僕のために一つ残してくれた。自分がすごく疲れていても僕のことを気遣ってくれていた。夜中に眠れなくて牧野に電話して起してしまっても絶対に怒らなかった。もっとある、牧野はすごくいい奴だった。
そうすれば、あの店長も耳を貸してくれたかもしれない。そして、僕はこのことを話したら、おっきい祖母ちゃんに嫌われるかもしれないって心のどこかで思ってた。友達を見捨てるなんてひどい子だとか、なぜ本当のことを言ってあげなかったのかって責められるとびくびくしていた。だから、避けていたんだ。でも、今ならわかる。おっきい祖母ちゃんなら黙って話を最後まで聞いてくれて、こう言うと思う。
「つらかったね。怖かったんだね。わかるよ、逃げたくなった、その気持ち。誰でもそう思う。翔も傷ついた。でも、一番つらいのは牧野君じゃないのかな。今からでも遅くない。一緒に謝りに行こうよ」と。
あの高校一年の初夏、僕は生涯の大事な友とおっきな祖母ちゃんをなくしていた。
なんかわかった。窮地に立ったされた時って、向こう側にジャンプするように、ちょっとした勇気を持つことなんだ。あいつと同じ側に立って弁解できなかったこと、一緒に謝らなかったこと、逃げてしまったこと、後悔してる。謝りたかった。もう遅いかもしれないけどね。
そうすれば、少しだけでも僕の気持ちは救われる。後はあいつが僕を許してくれるのを待てばいいだけ。僕は今までこのことをずっと心の中に引きずっていた。つらくて悲しい、思いだしたくない事。ああすればよかったとか、これがいけなかったって後悔してる方がずっとつらい。
もし、謝ったら、十年後にはあの時さって笑って言える間柄に戻れるかもしれない。