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 僕はボールをケンに投げた。ショーンと違って、僕はやろうと思えばやれるんだ。束縛されることなく、自由にやれる。

 本当は野球が好きだ。あんなに頑張っていたのに、野球をやろうという気力を失われてしまった。

 いつも一緒につらい練習にも耐えた。牧野、そう牧野雄太だ。あいつとは中学からのバッテリーだ。普段は気が弱いくせにグローブを持って座ると人が変わる。テキパキと指示するし、なによりもこの僕の女房役だった。野球が好きっていうことより、あいつと一緒にやる野球が大好きだったと気づいた。


「おい、ぼうっとすんな」

 パッと顔を上げると目の前にボールが飛んできていた。かろうじて受けた。危ない。けど、ケンは笑っている。

「グローブをつけたらぼやぼやすんなっ。気を引き締めていけ」

「はいっ」


 すごく久しぶりだった。四年ぶりかもしれない。ケンに投げる。二、三回、キャッチボールをする。ケンがあちこちにわざと投げてきた。高いボールや低めのボール、左右に振られる。試されてるってわかった。思ったより体が動いた。時々速球や高く上がるボールも投げられる。それらも取ることができた。いつの間にか夢中になっていた。しかし、後ろに誰かが立っていることに気づいた。そっちに気を取られて一つボールのはじいてしまった。それを取ったのはもう一人の朝日の選手、ダグだった。


「ボールから目を放さない。集中しろっ」

「はい」

 ダグが僕にボールを放る。それをケンに投げた。つい勢いで投げていた。ケンがパッシンといういい音を立てて取った。誰かがヒューという口笛を吹く。皆が僕を意外そうな目で見ていた。


「やっぱり君は野球をやっていたね。フォームが整ってる。素人じゃない。そうだろう」

「はい。実は中学の時、やってました」

 正直にそう言った。

「じゃあ、とりあえず、ライト、やってみる?」

 ここまで来たらやってみる気ありあり。うなづいた。

 そのダグがケンのいる方へ歩いていく。そして座った。ドキッとする。それはもしかして・・・・。

「思い切り投げて」

 そんなことを言われても、もう投げられないかもしれない。キャッチボールはできても本格的なボールが投げられるわけじゃい。全然練習していないんだ。

 けど、皆が注目していた。他のチームのメンバーも何が始まるんだと言わんばかりにこっちを見ていた。

「いつでもいいぞ」

 やらなきゃ、ダグはそのまま僕が投げるのを待ち構えるつもりらしい。しかたない。


 ドキドキしていた。ボールを握る。あの頃のことじゃなく、中学の時の牧野へ投げるようにすればいい。振りかぶって投げた。あっしまった。肩に力が入りすぎてとんでもないボールになった。ダグが立ち上がって取った。皆がなんだと失望するため息が聞こえた。けど、僕の緊張はそれで一気にほぐれた。期待されると緊張するんだ。


「大丈夫、ミットだけを見て」

「はい」


 ダグの華奢な体が大きく見えた。突き出されるミットも近くに見える。この人、うまい。あいつを思い出していた。そのミットをめがけて投げた。パッシンという音が響く。

 今度はストライクゾーン。皆がまた注目していた。いや、僕の投げた球はそれほど速くなかった。ダグがわざといい音をさせて取っていた。これは相手にすごいピッチャーだと思わせるキャッチャーのテクニックだ。

 ダグの指示通り、動かされるミットの位置に投げていた。すごく投げやすい。

 そして試合が始まった。約束通り、僕はライト。ピッチャー役の少年が僕を意外そうに見ている。てっきり僕がピッチャーをすると思っていたらしい。周りもそうだった。

 ダグはショートに入った。ケンはファーストだ。打たせて取る作戦なんだ。二、三塁間に打てばダグが動く。頭を抜けないとヒットにならない。ケンも二塁ギリギリまで取るからすぐにアウトにされる。


 相手チームは投手が上手だった。次々と三振。ケンが打ってもすごい外野手がいて、観客の中に飛び込んで取っていた。

「あれはホームラン級だろう」

 観客の一人が言った。

 フェンスがないから、追いかければとれてしまう。僕はなんとかヒットを打って塁に出たが、得点が取れずにチェンジしていた。


 五回に入ると、うちの投手に疲れが見える。なかなかコントロールがきかなくなっていた。一人、デッドボールを出した。がっくりきていた。僕の方をちらちら見ている。ダグになにか言っている。僕と交代させろと言ってるらしい。いや、まさかだろう。僕だってすごく久しぶりに投げたんだ。きっとすぐにへばるに決まってる。

 ダグが僕にピッチャーをやるように指示してきた。しかたがない。マウンドに立った。痛いほどの視線が集まっていた。この緊張感、知っている。逃げ出したくなるほどのピリピリ感と共に湧き上がる興奮。 

 練習玉を投げる。けど、キャッチャーが見えなくてボールは地をこすった。ミットがかすんで見える。目が悪くなったのか。いや、ちゃんと見えてる。ミットの中におさまらないボール。皆がまた失望のため息をついた。大丈夫かという声も聞こえた。僕も無理だと思う。ダグに助けの目を向ける。さっきはあんなにうまく投げられたのに、なんでだろう。ダグが走ってきた。

「どうした。さっきのように投げればいい」

「そのつもりなんですけど、キャッチャーが見えないんです。遠いというか」

 ダグがくすっと笑った。

「君はかなり甘やかされたピッチャーだったみたいだね」

 そう、そうかもしれない。僕はいつだってあいつのミットだけに投げていた。お互いのことをなんでもわかっていた。お互いの機嫌もわかる。そんな切り離せないコンビだった。

「よし、僕がキャッチャーをやる」

 その決定に皆が驚いていた。キャッチャーをやっていた少年はセカンドへ入った。

「いいか、あいつはセカンド、初めてだ。打たせるなよ」

「はい」

 これで打たれて負けたら僕の責任だ。ダグが座った。さっきの少年とそれほど背丈も変わらない。それなのに大きく見える。そう、ミットが近くに見えるんだ。これなら投げられる。

 ボブたちが囃し立てていた。笑いものにしたいらしい。ヤジはつきものだから、気にしないで振りかぶる。思い切り投げていた。

 ボブたちのバカにした笑いが止まった。僕の投げたボールは見事にストライクだ。直球で我ながら速いと思う。

「翔さん、がんばって」

 マギーと玲子たちの歓声。隣の父親たちが黙ってみていた。

「よし、その調子だ」

 試合再開して、僕は難なく三振、スリーアウトをとった。皆から喜ばれた。いや、なによりも僕自身がうれしかった。また投げられるこの興奮、あの時の感覚がよみがえった。

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