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昨日、ここを訪れた時には、なにもない草原地帯だった。それが今は所狭しとばかりにバロック小屋が立ち並び、その周辺には子供たちが遊んでいた。脇にはたくさんのトラックが止まっていた。
「もう他のキャンプから来ている。さあ、ランニングして肩慣らし」
マイクだった。確か他の収容所から来ていたはず。でも今日はカスロチームに入るらしかった。
選手たちが先に着いて、試合場の整備や準備をする。女たちはギリギリまで残り、選手とその応援団たちの昼ご飯と夕飯のおにぎりを作るということがやっとわかった。
「収容所から出てもいいんですね」
そうだ。こんなに大勢が収容所から出て行けるなんて・・・・。戦争中は収容所に閉じ込められていたはず? 違うのか。
マギーの父親は目を細める。
「うちの所は憲兵に許可さえもらえれば、隣町へも行き来が許されています。この野球の試合でももう何回かやってますけどね。うちら、応援団も移動させてくれて」
そっか、そうだった。確か、この辺りの農家の仕事ももらえたって聞いてたぞ。
「束縛の中だけど自由をさせてもらえたんですね」
そうつぶやいた。
「束縛の中の自由ですか。なかなかうまいことを言う。憲兵も政府に命令を受けて我々を見張っているが、それが仕事というだけで、気のいい人もいますよ。自給自足の生活なので、かなり自由にさせてもらってます。それにカスロでは、生活する住居まで提供してくれました。ここのように自分たちで小屋を建て、一から始めなければならないことはなかったんです。国同士は戦っていますが、日本人とカナダ人ではなく、一個人としてつきあえば、なかよくできるんです。ほうら、あそこでふんぞり返っている頑固そうな憲兵がうちの町の担当者で、大の野球好きなんです。若者たちが練習をしているとあんな怖い顔をしながらずっと見ていてアドバイスもしてくれるし、人数がたりないと自ら参加したこともありまして」
そうか、白人たちって言っても、日系人を収容所へ入れると決定したのは政府のお偉いさん、数名だけだ。ここに住む白人たちは政府のやり方に従っているだけ。少なくともここに集まっている白人たちは純粋に野球を応援しに来ている。
確か夕べ、八十歳くらいの白人女性が言っていた。子供の頃、日本人が去った後の収容所の片づけを手伝ったらしい。建物を撤去され、その跡地に残ったわれた茶碗やら、壊れたおもちゃなどを穴に埋めたらしい。政府はすぐにでも強制収容所という事実を隠したかったと考える。
彼女たちは「その時は何も考えないで、土の中に埋めていた。そうしろって言われたから」
今はなにかを残しておくべきだったと語った。
やがて、マギーたち女性が到着。その後からボブたち白人の車がやってきた。その一番後ろからパトカーがついてきていた。二人の警察官が降りてくる。僕はギョッとしたけど、みんなはあまり気にしていない。警察官もニヤニヤしていた。
試合が行われる球場ではもうすでに他のチームが練習をしていた。順番に使う。その周りを走りだしていた。
『ほら、君も走れよ』
警官の一人が僕に言う。
「えっ」
なにも言い返せず、走っていた。選手たちと一緒に走るだけならいいだろう。他の若者たちが笑顔で迎えてくれた。マイクが僕の隣について走る。
「マギーのボーイフレンドなんだってね」
「え、いや」
夕べのこと、なぜか知れ渡っているらしい。でまかせだってこと、わかると思うけど。
「マギーはかわいいし、うらやましいよ」
他の若者たちも言う。
「マギーはボブとつきあうんだと思ってた」
「いや、嫌がってただろう。あいつ、しつこいしな」
いつの間にかマギーの彼氏にされていた。二周ほど走るとみんなそれぞれグローブを取り出した。本格的に肩慣らしをするのだろう。僕がつきあうのはここまでだ。女性たちは観戦する場所に古い毛布を敷き、座り始めていた。その隣にマギーの父親たち男性が座る。そしてさらに白人たちのグループ。
僕はマギーたちと父親たちの間に座ろうとした。そこへ声がかかった。
「なんだ、君は試合に出ないのか」
朝日チームのケン。
「僕は見学です。まったくの素人ですから」
ケンが意外そうな顔をする。
「そうか? 走りも素人って感じじゃなかったけど。マイクと同じで野球をやりたくて来たのかと思った」
「いえ、そんなんじゃありません」
否定する。そうだ。僕は野球をやめたんだ。
「せっかくだから、キャッチボールだけしないか。ちょうど僕があぶれててね」
こっちを見ていたおじさんたちの団体から、ケンが自らキャッチボールしてくれるだと特別だというどよめきが起こっていた。けど、僕の中では心の痛みがとれていない。それどころか、周りに野球少年たちが大勢いて、昔の心の傷がじくじく痛み始めていた。また、あの時のことを思いだしてしまいそうだ。
「いえ、グローブがないんです。だから、今日は見学させてください」
そうきっぱりと言った。そうすれば仕方がないとあきらめてくれるだろう。しかし、ケンは肩をすくめて言った。
「なんだ、そんなことか」
「だれか余分なグローブ、持ってないか」
ケンの呼びかけにマイクが手をあげる。鞄を探り、取り出したグローブを僕に投げてきた。反射的に受け取る。
「弟のだ。貸してやる」
「弟さん?」
それじゃ、弟さんが困るだろう。
「いえ、弟さんが使われるんでしょう、僕が使うわけにはいきません」
マイクは宙を見つめた。
「弟は・・・・、昨年の冬、肺炎で亡くなったんだ。それは持ち主のいないグローブなんだよ。つい持ってきちゃってね」
それを聞いて周囲もしんとなった。かなり使い込まれているグローブだ。野球が好きでたまらなかった人だったってわかる。
「君と同じくらいの年でね、僕と同じ朝日に入るつもりでいたんだけど、戦争が起こってしまった」
「ショーンも君に使ってもらえたら本望だと思う」
ショーンって言うんだ。そうか。ここにイニシャルが入ってる。S・Sって、このグローブ、見たことあるぞ。いや、まさか、あ、やっぱり?
ケンはボールを投げてくる。慌ててグローブをつけるとその球を受けた。しかたがない。ここまで言われたらやるしかない。ショーンのために。朝日に入るために希望を燃やしていたショーン、戦争ですべてが台無しになった。そしてこの収容所からも出ることなく、亡くなった。さぞかし無念だっただろう。