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パフォーマンスは奥の劇場内で行われる。
客席が階段式になっていて、中央のステージを見下ろす形式の小さな劇場。そこで日本人のダンサーが強制収容所の嘆きを舞う。さらに尺八パフォーマンス、日本人の戦争の劇、太鼓のグループも出演。今夜は前夜祭だから、ほんのさわり程度だが、明日は本格的に見せてくれる。
「明日は私、パネラーとして話さなきゃならないの。今までこのために資料をまとめてきたんだけど、もうちょっと見直したい。先に帰っていい?」
クリスは落ち着かない様子。そうなんだ。
「じゃあ、僕はもう少しこの町、歩いてみたいから先に帰ってて」
「そう? 一人で大丈夫?」
「そう遠くまで行かないよ。迷うほど大きくないよね。クリスもゆっくりしたいだろうから、11時過ぎまでぶらぶらしてる。その間にお風呂でも入って、明日の準備、がんばって」
クリスの顔が輝いた。同じ部屋でいいとは言ったけど、リラックスするには近すぎる距離。
「ありがと。フロントは早く締められちゃうけど、裏にあるパフの入口から出入りできるって。そっちは十二時まで営業しているそうだから」
「わかった、じゃ」
ホテルの前でわかれた。僕はそのままメインの通りを歩いていた。もうほどんどの店が閉まっている。遅くまでうろつく客がいなければ閉めてしまうだろう。
この町は金、銀、鉛、採鉱の人たちが集まり、作られた所。僕たちが宿泊するカスロホテルはその最盛期、1896年に建てられている。その当時、人口は五千人に膨れ上がり、酒場や醸造所もあった。けれど1029年には人口が減少し、カスロホテルも経営不振に陥ったらしい。修繕もする費用がなく、しばらく閉館していたそうだ。その後、1942年に西海岸から大勢の日系人が強制収容所としてカスロに送られてきた。その数965人。それに対して当時のカスロの人口は日系人の三分の二ほどだったらしい。今、現在では千人ほどが住んでいる。
これらはカスロホテルの歴史に書かれていた。驚くことにあのホテルにも200人ほどの日系人が寝泊まりしていたそうだ。閉館している場所を日系人たちに提供したのだ。何とも不思議な気持ちだった。あの場所に戦時中の日系人が寝泊まりしていたってこと。
おっきい祖母ちゃん、この通りを歩いたんだろうか。そう考えるとここまで来てよかったと思う。
僕は暗い道を街燈たよりに歩いていた。あの日のことが蘇っていた。
僕は高校へ入って、二か月で野球部をやめた。あんなに頑張って入った学校だった。親友だったあいつと約束して、達成したっていうのに。その理由をおっきい祖母ちゃんにも話せなかった。その頃から僕は離れへ寄りつかなくなっていた。そんなある日、いつもなら僕が朝ごはんを食べる時、居間でお茶を飲みながら話しかけてくるおっきい祖母ちゃんの姿がなかった。まだ、起きてきてないらしい。珍しいって思った。寝坊するなんて今までになかったこと。気になったけど、遅刻しそうだったから、ご飯と味付け海苔をかっ込んで家を出ていた。
その昼間、起きてこないおっきい祖母ちゃんの様子を見に行った母。布団の中で亡くなっていたおっきい祖母ちゃんを見つけた。悔やまれた。あの頃、ろくに口を利かなかった自分に怒りを感じる。あんなに大好きな人だったのに、最期に笑顔を向けられなかった。
おっきい祖母ちゃんのいたという所に来ているせいだろうか。やけに感傷的になっていた。いつもならそんなことを思いだしても胸が痛む程度でおさまっていたことが、今夜は目頭が熱くなっていた。一人だからなんだろう。そしてやっと今気づいた。僕はおっきい祖母ちゃんの葬儀でも泣かずに歯を食いしばって耐えていた。一度泣いたらもうとめどもなく涙が出るってわかっていたから。泣いたら、あいつとのことも思いだす。そうなったら僕はどうなるか。だから、何年も泣かないでいた。もう今なら泣いてもいいのかもしれない。たとえ誰かに見られても知らない人だし、なにかを口走っても日本語ならわからない。暗い湖畔に下りていた。赤い小型の船の後ろに座り、ひとしきり涙を流していた。
癒される町だった。今夜はおっきい祖母ちゃんを偲ぶ特別な夜になった。