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 長時間、車で移動していると流れる景色を見ているようで、今まであまり思いださなかった過去へ戻されていた。


 高校一年生の六月の始め、僕は町内のごみ収集車の中へグローブを投げ込んでいた。もう野球はできないからだ。やりたくないんじゃない。でももうやらないと決めた。手元にグローブを置いておくのは辛すぎた。親には野球部の退部を練習がきつすぎてついていけないからとか、勉強に興味出てきたとか、全然信じてもらえない理由を話していた。


 その頃、僕の心は荒れていたし、反抗期でもあったんだろう。母がなにか言うと、この僕が怒鳴り返していた。うるさい、自分で決めたことだとかなんとか。それで母はもう野球部のことは言わなくなった。けど、おっきい祖母ちゃんの目はごまかせなかった。そう思う。いつも具体的に質問してこない。僕が言いだすのを待っている。その無言の助けの手がいやだった。だから、野球部をやめた時から僕はあまりおっきい祖母ちゃんの離れに行かなくなっていた。




 僕たちはケローナという街に泊まる。わりと大きな街。BC州ブリティッシュ・コロンビアではバンクーバー、ビクトリアに続く三番目に大きい街なんだって。

 通り沿いの目についたホテルに入った。もちろん部屋は二つ。チェックインしてすぐに近くのレストランへ食事に入る。腹ペコだった。

 クリスはワインをオーダー。じゃあ、僕もとばかりに赤ワインを注文した。厚切りのローストビーフを前にして、乾杯した。


「運転してくれてどうもありがとう」

「ううん、私、ドライブ好きだから」


 そう言ってクリスはワインに口をつける。僕もワインを飲む。ほどよい渋さでさっぱりしている。

「ごめんなさいね。私、ずっと翔君に冷たい態度とってた」

 いきなりそんなこと、言ってきた。

「うん、知ってた」と答えて笑う。クリスもはにかむように笑顔を見せた。

 なんか、ずっと仲良しだった二人がケンカして、今やっと仲直りできた瞬間みたいだ。そんなことを思うと、また古傷が痛む。ああ、今はそこに戻る時じゃない。無意識にそこから逃げ出していた。


「翔君って、私の彼氏によく似てるの」

「えっ」


「先月、別れた。日本から来ている学生で、いつかは別れる日が来るって思ってたけど、急にフラれちゃったから・・・・。やっと忘れかけていたのに、翔君を見て思いだしちゃった」

 なるほどね。そういうことか。なんかあるとは思ってたけど。


「お姉ちゃんなんかすごく無責任で、乗り換えちゃえばとか言っちゃって。思いだしたくなかったのに」

「じゃあ、僕はただ似ているってことだけで、中々口をきいてもらえなかったってことなんだ」


「そう。でも翔君、全然違うタイプだってわかったの。それで少しづつ別人として見ることができた。私の元カレって、日本人なのに全然日系の話、興味なくて・・・・。私も自分の専門だから話し始めると止まらなくなるからいけないんだけど、それで大喧嘩しちゃったの」


 ああ、なんかわかる。クリスもちょっと不器用なんだ。自分の得意分野のことになると、相手が退屈していても気づかずに話し続けてしまうタイプ。彼氏としてはデートのたびに日系の話ばかりじゃため息が出るのも無理ないと思う。ちょっとその彼氏に同情。

 クリスは甘えるのが下手なんだ。正直に自分の気持ちを言えばわかってくれるかもしれない。でも、先回りして自分の感情を隠してしまうタイプだ。


 それから、僕たちは今の世界が、当時の日系人のように、ギクシャクしていることについて話した。

 アメリカはトランプ政権になってから、移民の立場が問われることになっている。最初は違法移民だけだったと思ったのに、きちんとした手続きをとって働いている移民に対しても更新することに厳しくなっているようだ。だから、カナダへ流れる人たちが増えているって。


 カナダのトルドー首相はできるだけ受け入れているらしい。有能な移民がきてくれることに喜んでいるみたいだ。でもそんなカナダでも最近、イスラム系などの移民が差別を受け始めているという。自分たちが職につけないのは、移民が自分たちの仕事を奪っているからだと。


「これって戦争時の日系人みたいでしょ。同じ間違いをおかしている」

 クリスの力説。現在の話からまた日系カナダ人の話に戻る。アルコールが入っているからすごくしゃべる。圧倒されていた。


「戦争前に就任していた当時の首相はかなり人種差別してたみたい。特に白人の不満が爆発して、バンクーバー排日暴動事件が起こった。結局、白人が敗訴しちゃったけど。その時、この首相は悔しい思いをしたんだと思うの。そういう背景もあって、真珠湾攻撃は日系人を追い出す、いい言い訳になったと考えられる。だから、同じことが起こらなければいいって願ってる」


 なるほどね。そういう背景もあったから、第二次世界大戦で、敵国の日系人たけが強制収容所に送り込まれたってことか。他のドイツ人やイタリア人はそういうことをされなかったと聞く。

「1988年にマルルーニ元首相が日系に対して謝罪してる。そして当時強制収容所に移動させられた人、当時の子供だった人でさえ賠償金もらっているの。そうやって、何十年もかかって人種差別をなくす国になっていったのに」

 その夜の僕たちの議論は遅くまで続いた。


 翌日、ちょっと寝不足だったけど出発。もう僕たちの間には見えない壁はなかった。クリスは自分の知識で熱弁をふるい、僕は知らなかったことを知ることができる。有難い存在になっていた。

 今度はレモンクリーク強制収容所跡に車をむける。ハイウェイから森の中へ、今は何もない草原で車を止めた。タシメによく似た光景だった。

 この歴史的なことを知らなければ、ただの牧草地のようだ。小道には日系人強制収容所だったというプレートがあった。そして、それを偲ぶように設置されているベンチ。



「ここに有名なデイビッド・鈴木もいたの。生物学者とかいろいろな分野でのかなり名前を知られている人物。ここでの彼の思い出は、日本語が話せなかったから仲間外れにされたってことなんだって」


 僕はえって思う。だって、日系人はカナダ社会の白人たちから差別を受けていたんだろう。その仲間なのに、日本語のことで今度は自分たちが差別してどうすんだっ。悲しい。

「自分と違うってことで、その人を受け入れるかどうか。永遠のテーマなのかもしれない」

 クリスも物悲しい目で見つめていた。

「この記念プレート、この近くに住む白人たちが数年前に記念式典をして作ったの。日系人じゃなくて、白人たちがよ。こういう非道な人種差別を許してはいけない、この記憶を風化させないためにね。自分たちの汚点の記憶だけど、きちんと間違いを認めている」

「それだけ公平なんだね」

 本当に何もないところだった。この広い草原の後ろには大農家らしい家が建っているけど、森の中の数軒にしかすぎない。今もこの辺りは人口が少ないんだ。

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