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彼女と一緒のベッドで受ける母からのモーニングコール

 もうすっかり陽が登り、部屋が明るくなっていた。外はもう三十℃を越えているだろう。真夏の後半だ。冷房なしでは眠れないし、生きていけないこの世の中。


 微睡の中、まだ起きたくなくて寝返りをうった。僕の脚が、なめらかな肌の妃呂美の脚に触れる。それに気づいて目を開けた。すぐ横にはまだ寝息を立てている彼女の顔があった。

 夕べの記憶を呼び戻す。そうだった。妃呂美が泊まったんだ。


 僕は宮崎翔っていう。大学二年目。隣にいるのは竹内妃呂美。夕べはバイトだった。週に二回、映画館でバイトをしていた。大きなショッピングモールの一角にあるこの映画館は、交通の便利性もあり、わりといつでも混んでいる。僕はお客が出てからの掃除担当。床に散らばったポップコーン、座席に放置された紙屑、ドリンクのカップなどを拾い、掃除していた。子供向けの映画だとジュースがこぼれたままってこともよくあること。これはすぐにモップで拭いておかないと臭いもだけど、床がべたべたして苦情を受ける。あまり格好のいいバイトじゃないけど、ペイ(バイト代)はいい方だ。このおかげで趣味のゲームや遊びが満喫できる。


 その土曜日の夜、妃呂美が最終上映のホラーを観に来ていた。そっちが終わるのが十一時四十五分、それから僕がせっせと掃除して、僕たちが映画館を出たのが十二時ちょっと過ぎ。そのままドリンクとスナックを買い込み、僕の部屋へ直行していた。


 ぼんやりと妃呂美の寝顔を見ていた。いつもはばっちり化粧をしていて、怖いくらい頭のきれる女性って感じ。けど、今の妃呂美はあどけない少女のようだ。以前にも素顔の妃呂美の方がいいって言ったことがある。化粧なんていらないって言ったんだ。妃呂美はちょっとうれしかったみたいだけど、すぐに真顔になって僕を脅すように言った。


「女の化粧にはいわゆる戦いへ行く兵士のような儀式、そして覚悟の意味があるの。化粧で本当の自分の弱さを隠し、何事にも負けない別の自分になりすます。言ってみれば、武将が鎧兜をつけるようなそんな感覚」


 それは妃呂美だけの言い分なのかもしれない。けど、的を得ていると思う。


 その昔、化粧の歴史には魔除けの意味で、顔に紅殻(ベンガラ:酸化鉄)を塗る“赤化粧”ってものが行われたということを読んだことがあった。赤は悪魔から身を守る色なんだって。それから顔を白く塗ったり、見栄えのするように赤をうまく使って今の化粧になったのかも。いくら腕に自信のある武将でも丸腰、普段着姿で戦場へは向かわないだろう。もしもの覚悟と普段の自分にはない強者になるために鎧や兜をかぶるとしたら、妃呂美のいう化粧に当てはまる。ってことは、今、こうしてスッピンをさらしてくれている僕の存在は安心できる相手ってことなんだろう。


 そのつるつるした頬に触りたくてそっと手を伸ばしかけた。けど、それを阻むかのようにブブーっていう聞き覚えのあるバイブレーションサウンドがした。


 あっ、やべえ。


 枕の下においたスマホが警告、いや違う、電話がかかってきていた。僕は慌ててスマホを手に取り、ベッドから出た。

 実家の母からだった。下着一枚だったから、床に脱ぎ捨ててあったシャツを羽織った。電話でも母なら感づく。寝起きの姿を見られるような気がしていた。


 台所へ行き、電話に出た。


『翔? やっだぁ、まさか、あんた、まだ、寝てたの』


 母のキンキン声が響いた。思わずスマホを耳から放す。ボリュームを調節した。スピーカーフォンでもないのに、母の声が部屋中に聞こえていた。

 すっげえ。


 妃呂美ももぞもぞと動いて毛布を頭からかぶった。やっぱりうるさかったらしい。



「夕べさ、バイトだったんだ。寝るのも遅かったし」


 そんな言い訳をする。冷蔵庫を開け、よく冷えている水を取り出した。それを一気飲みする。やっと頭がシャキッとした。


『バイトもいいけど、勉強もしてるんでしょうね。まあくんはバイトに熱が入りすぎて大学中退したのよ。それに・・・・』


 まあくんって人は実家の近所に住んでいた一年上の雅史くんだ。せっかく入った大学を中退し、バイト先の店長に気に入られ、支店を任されたという噂。そういういいところは言わない母親。悪いことばかり引き合いに出して、ちゃんと勉強しないと僕もこういう噂をされるっていう脅しをかけてくるんだ。いつも思う。支店長にまでなったまあくんはそこまで語ってはもらえない、一番かわいそうな存在。 


 母の、いつもの近所話を聞きながら、コーヒーメーカーに水を入れた。母の電話が終わったら、ブランチを作ろうと思う。ちらりと妃呂美を見た。朝が弱い妃呂美の頭は毛布にくるまれているが、小麦色に焼けた健康的な足がもろに見えていた。夕べのイチャイチャが僕の脳裏によみがえりそうになった。が、今はまずい。電話の向こうの母の声は、夕べの男女の行為を思い出させることにブレーキをかけていた。


 母の近所ゴシップは一通り終わり、今度は親父のしでかしたどうでもいい失態の話に移った。僕は戸棚を開けてごちゃごちゃとしている使いかけのスパイスの山を掘り起こす。確か先月、妃呂美が買ってきてくれた珈琲の残りがあったはず。女友達とハワイへ行き、コナコーヒーを買ってきてくれた。妃呂美はスポーツジムの受付をしている。僕は大学一年の時、同じ大学、卒業間近の妃呂美にナンパされた。今は就職して金回りもいいし、僕なんかの都合を聞かないで、休みがとれるとどんどん勝手に旅行へ行く。いつも一緒にいて欲しい的な同年代の女の子とちょっと違う、大人な女子。でもいつも行ってきたっていう後日報告が多いから、それはそれでちょっと寂しい時もある。


 母の話がまだまだ延々と続くと思っていた。大事な要件を言うのを忘れて切ってしまうこともあったっけ。だから、僕の意識は母の話より、コーヒーを何杯すくって入れたかの方に向いていた。しかし、その手が止る。


 えっ、今、母さんはなんて言った?


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