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猫の船乗り

猫の商人と信州花豆

作者: 猫山つつじ

 むかし、信州屋惣兵衛(しんしゅうやそうべえ)という商人がいました。

 惣兵衛は外国の珍しい品物を仕入れて、江戸や大坂に卸す商売をしていました。


 あるとき、長崎の港を訪れたときのことです。惣兵衛は襟飾りに小さなマントを着けた、異国人のような服装の猫に出会いました。

「なんと、異国では猫も人のなりをすることがあるのだな」

 惣兵衛が驚きつつも感心してひとりごとをつぶやくと、それを聞いて猫が言いました。

「私は人間です。湖の都で暮らす猫でしたが、あるとき仲間たちと一緒に魔法使いに人間に変えてもらって、航海に出たのです」

 どうみても猫のような見た目なのですが、人間みたいに服を着て立って歩き、人間の言葉を話して航海が出来ているのだから、人間といえないこともないのかもしれません。

 猫は続けました。

「私は商人で、名前はトニオといいます。他の仲間は黄金探しとか夢みたいなことを言っていますが、私は地道な商売を第一に考えています」

 惣兵衛は、この奇妙な猫に興味を持ちました。何か見たこともない値打ちのある品を手に入れられるかもしれません。

「私も商人で、信州屋惣兵衛といいます。異国の珍しい品を探しに、長崎に来たのです。何かいい品などありますか」

 そう尋ねると、トニオと名乗る猫は答えました。

「あるにはありますが、簡単にお売りはできないと思いますよ」

「そうなんですね。でもまあ、とりあえず見せてもらえませんか」

 すると、トニオはもったいぶった手つきで、ふところから金の糸を編み込んだきれいな袋を取り出しました。中にはふたつの豆が入っています。

「これは魔法の豆で、ジャック豆というものです」

 ひとつは紫のまだら模様、ひとつは白で、みたこともない大きな豆です。

「これを畑にまくと、芽が出て絡まりあいながら成長します。やがて、大きなはしごになって雲まで届くのです」

「もしも本当ならすごいことですね」

「雲の上には瑠璃や翡翠の玉が転がっていますから、拾って帰ればたちまち大金持ちになれるんです。実際に、ジャックという男がこの豆でお宝を手に入れたと聞いています」

「ううん、たしかに見たこともない豆ですね。しかし、雲まで届くとか、簡単に信じることはできません。魔法だとかそんな不思議なものは、話に聞くばかりで、今まで実際に見たことがない」

「しかし、あなたはいま私と話しているでしょう。魔法がありえないなら、私はただの猫。船乗りになることもなく、あなたの目の前に私がいるのもありえないことになりますが」

 いま惣兵衛が目の前の猫のような不思議な相手と話をしているのは事実です。

「そういえば……たしかに、私は猫と話しています」

「ええ、でも正確にいうと私は人間ですよ。元は猫でしたが、魔法で人間にしてもらったんです」

「ううん、なんだかよくわからなくなってきた。でも世の中には、不思議なことも結構あるのかもしれないな……」

「そうですとも。ただし、この豆は心根の本当に正直な方にしかお売りできません。心根の悪い人が豆を登ると、雲の手前まで来たときに豆のはしごがほどけて、大変なことになってしまいます。だから、たいていの人にはお売りできないんです。でも、あなたは心根の真っ直ぐな方ですよね」

「もちろんです。今まで正直一筋で商いをしてきました。悪い誘いも幾度となく受けましたが、すべて断ってきた。豆が世間に出回ってない理由も、なんとなくわかるような気がします。そのジャック豆とやら、売ってもらうことはできないでしょうか」

「本当はあまり売りたくはないんですが、あなたなら大丈夫でしょう。特別にお売りしましょう」

 惣兵衛は小判を何枚か出して、トニオがジャック豆と呼ぶふたつの豆を買いました。

 魔法の豆を手に入れてうれしそうにしている惣兵衛に、トニオは教えてくれました。

「種まきは春、できれば少し涼しい土地のほうがよく育ちますよ」


 惣兵衛は故郷の信州にふたつの豆を持ち帰り、畑にまいて育てることにしました。

「どんなすごいことになるのか、楽しみだ」

 豆はぐんぐん育って、人の背丈よりだいぶん高くなりました。でも、雲までどころか屋根までも届きません。

 惣兵衛はだまされたことに気がつきました。

「猫の商人という不思議なものはこの目で確かに見たのだが……。この世に魔法は確かにある。それは間違いない。でも、雲まで届く魔法の豆は無かったのだな」

 惣兵衛は苦笑いしました。


 豆は赤や白のきれいな花を咲かせたので、ちょっとした近所の評判になりました。独り占めしても仕方がないので、豆が実るとみんなに分けてあげました。

 豆は花豆と呼ばれるようになり、花の美しさが喜ばれました。いつのころからか、人々は豆そのものを煮豆にしたり甘納豆にしたりして食べるようになりました。

 食べごたえがあってしかも上品な味の豆として、やがて花の美しさよりも豆そのものが喜ばれるようになりました。

 今ではその豆は高級品として扱われています。


 花豆は決して雲まで届くことはなく、雲の上に瑠璃や翡翠を拾いに行くことはできません 。

 でも、惣兵衛が手に入れた花豆そのものが、宝石のようなものだったと言えるのかもしれません。

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