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3.氷刃の刺客(2)

「よく言う。お前は騎士ナイトだろうが」


 アルミスは皮肉のこもった笑いを、ガラオールの胸に向けた。そこには入学式のとき、ミラに決闘を仕掛ける口実に使った騎士勲章がついている。


「未来の公爵と騎士ナイトでは格に差があり過ぎるが……王女のために我慢してやる」

「フン。なるほどな。で、俺は俺の奴隷を賭けるとして、お前は何を賭けるんだ?」

「領土と財産」

「結構だ」

「立会人は王女にお頼み申し上げる」


 アルミスはミラにウインクする。ミラは奴隷に仕立て上げられてからはじめて……希望らしいものが胸に湧き起こるのを感じた。。

 スフェルチェ公爵家は代々傑出した氷魔術の使い手。アルミスも例外ではない。ガラオールを撃破できるとしたら、まずこの男だ。剣など簡単に弾いてみせる氷の防壁で、ガラオールの攻撃をすべて封じてしまうに違いない。

 アルミスの水色の双眸を力強く見つめ、ミラはうなずく。


「こちらの決闘立会人はアマリリスだ」

「オーケー、オーケイ」


 アマリリスは跳躍し、近くの机に立った。今回は大人しく、決闘を見物するつもりらしい。


「じゃあ、はじめよう」「はじめるか」


 言うが早いか、ガラオールは剣を抜きざまアルミスへ斬りかかっていた。

 ガラオールは同世代の男のなかでも、並外れて全身の筋力が発達している。

 とはいえ体格自体大柄なほうではないし、傍目から見てすぐにそれとわかるほど、盛り上がった腕、脚をもっているわけではない。

 しかし引き締まった肉のバネは、極めて効率的に、最小のエネルギーで最大の力を発揮するよう鍛え上げられている。

 だからこそ彼の扱う剣は、幅広で重量のある、破壊力に秀でたもの。かつてはひと薙ぎで、獅子の頭蓋を砕くとまで謳われた業物だ。

 だが、


「僕には通用しないね」


 ガキン、と鈍い音。剣は中空で阻まれる。

 額を割られる刹那、アルミスはとっさに氷塊を出現させていた。それが剣の勢いを見事に殺してしまったのだ。


「ちぃッ」


 ガラオールの腕に、骨の髄まで響く衝撃と痛みが疾走する。全体重を乗せて、岩よりも硬い氷を叩いたのだから当然だ。剣が折れなかっただけ僥倖と言わなくてはいけない。


「先祖に神をもたざる者――初歩の魔術すらまともに扱えない人間に、僕を倒す手段があるのかい?」


 挑発の文句を吐きながら、アルミスは脚のホルダーに収めていたナイフを抜く。

 左手に掴むナイフは、髪と同じ深い蒼色。

 右手に掴むナイフは、瞳と同じ淡い水色。

 ガラオールの追撃よりも早く、アルミスの魔術が発動する。


「氷魔術・氷切幻禁コル・デュ・リオン!」


 双子のナイフを重ね合わせる。音叉のごとく、ピキイン、と小気味よい音とともに出現したのは、空気中の水分を凍らせて成形したナイフの分身。氷の刃が二十ほど。


「切り裂け! 貫け! スフェルチェ公の凍てつく嵐!」


 魔力でつくられた二十もの刃物が一斉に、ガラオールの皮膚を裂かんと迫る。

 ガラオールとアルミスの距離は三メートルもない。たったそれだけの間合いだ。よほどの筋力自慢が投げたとて出せないような速度で、鋭利な氷が飛んでくる。

 とても避けきれない。――アルミスとミラはそう思った。

 避ける必要はない。――アマリリスとガラオールはそう考えた。


「なっ」


 ガラオールの剣が、迫る氷を斬り伏せる。

 神業。そう思わざるを得ない剣技。まるで棒切れみたいに、ガラオールは幅広の剣を空に奔らせた。


「バカ、な」


 剣に斬られた、というより弾かれた氷の破片は、魔力の核を失って消失する。

 狙いの逸れたものもあった。それらは教室の机や椅子や壁に刺さって蒸発した。

 アルミスは口を半開きにしたまま、相対する剣奴の顔を見やる。


「斬ったってのか。あれほどの数の刃を」


 スフェルチェ家にこの魔術あり、とまで言われた秘儀『氷切幻禁コル・デュ・リオン』が、完璧に防がれた。アルミスにはとても信じがたい事実だ。


「そう難しい技じゃないぜ、これは」


 ガラオールの顔に浮かんでいたのは、余裕と冷静。

 戦闘の経験と勝利への自信に由来する、静かな微笑だ。


「こうした類の攻撃には、まず片足を退き、半身になって着弾の面積を減らす。そうすりゃ叩き落す必要の出てくる目標も、おのずとその数を減らす。見ろよ。俺が斬ったのはおよそ二十の刃のなかでも、たった七だ」


 ガラオールの言うとおり、よくよく状況を観察してみれば、剣にあたって消失した氷片よりも、教室の備品に傷跡を残したもののほうが多いようだ。

 もっとも、一瞬のうちに七つものナイフを剣で叩き落すなどというのは、当然ながら神業の部類に入る。あと数ミリでも角度を違えれば、ガラオールの剣は欠けてしまっていただろう。剣そのものの材質が良いのに加えて、扱いかたも巧みであるから、氷を相手どっても刃こぼれひとつしない。


「な……なるほど。いや。これは『氷切幻禁(コル・デュ・リオン』の敗北というより、僕が未熟だったから防がれたんだ。僕の父上――公爵は、百八十の氷刃をつくりだせる」

「この場にいない父親をもち出したって仕方あるまい」

「いいか、剣奴。わがスフェルチェは二百年間決闘で負け無しと言われている家系だ。まだまだ終わりじゃないぞ」

「……負け惜しみは済んだか?」

「まだ負けていない!」

「そうか。反撃、いくぞ」


 ガラオールは剣を腰だめに構え、下半身を力強く落とす。

 床を踏む。蹴破る勢いで。ガラオールはアルミスに肉薄する。

 同時に、蒼い改造制服に風穴を開けるべく、神速、剣の切っ先が突き出される。


「無駄だ! 氷の防壁!」


 アルミスの反応も負けていない。瞬きひとつするよりも早く、防御の氷塊をつくりだす。

 剣は浮遊する氷に突き刺さる。

 ガラオールの疾風の突きは再び阻まれた。


「無駄と言ったろう! 引導を渡してくれる! 氷魔術・氷餓侵食クーヴェルクル!」


 再度、アルミスはナイフを重ね合わせ魔術を発動する。

 今度はガラオールの分が悪い。なぜならなまじ威力を込め過ぎた剣が、氷に深く刺さって簡単には抜けない状態だからだ。柄から手を放さなければ、身動きがとれない。

 いや、簡単に抜けない、のではない。どうしたって抜けないのである。


「魔術、『氷餓侵食クーヴェルクル』。氷の触手がお前を喰らう」


 パキパキと小刻みに破裂音を立てながら、氷塊から「意思をもった」氷の蔦がのびていく。それは剣をつたってガラオールの腕に至り、肘を、上腕を侵していく。


「ガル!」


 珍しく無言を決め込んでいたアマリリスが、この時になってはじめて叫ぶ。

 ミラはじっと勝負の行方を見守る。

 血も凍る冷気に、ガラオールの唇は歪んだ。


「どうした! 早いところ逃げ出さないと、蔦はお前を丸飲みにするぞ!」


 ギン、ギン、ギン、と、打楽器のように打ち合わされるアルミスのナイフ。その音に呼応して蔦はガラオールの皮膚を這いずり、踊った。


「ああ手遅れだ! 剣奴! もう手遅れだ、僕の勝ちだ!」


 上半身はもう動かせない。剣は氷に埋もれている。剣を掴んでいた腕も同様だ。

 さらに蔦はガラオールの顎へ、脚へ、背へと侵攻していく。制服の上から体温を吸い取り尽くしていく。


「ハハハ! プロテジェール王女! 結婚してください! 僕があなたの救世主です!」


 勝利を確信したアルミスが笑う。

 教室に残り、決闘を遠巻きに見守っていた貴族たちも、ガラオールの敗北と王女の地位回復が確かなものとなったと考えた。みな、ばつが悪そうに微笑み、王女の傍へと寄ってくる。


「なあ、俺の奴隷、ミラ」


 口を凍らされる直前。ガラオールは言う。


「お前の思考を当ててやる。おおかた、『これで奴隷の辛い生活が終わる。もとの王族の身分に戻れる。王女のなかの王女に復権できる』とでも考えているんだろう」


 知らずのうちに口元を緩ませていたミラは、


「いいことを教えてやる」


 不気味な予感に身を震わせる。


「『奴隷』の絶望ってのは、そんな甘っちょろいものじゃない」


 ついにガラオールの顔を蔦が這う。発声ができなくなる。呼吸すらも封じられる。

 ……やがて巨大な氷柱が出来上がった。

 そのなかには、若き剣奴が両手で剣を突き出した姿勢のまま、不動の状態で保存されている。激情と闘志と躍動が秘められた、氷の芸術だ。


「勝った! 勝ったぞ!」

「ガル! ガル!」


 アルミスは勝ち誇る。アマリリスは慌てふためき、机を飛び降りて氷柱に駆け寄る。

 このまま放っておけば、ガラオールは体温を失うか、呼吸ができないかして死ぬ。

 決闘における死だ。これは法律で裁かれるべき殺人ではない。貴族社会のルールに従った結末だ。何の後ろめたさを感じることもなく、ミラは晴れて解放される。


「……」


 しかし、ミラの鼓動は不穏に加速する。嫌な予感。最後に遺したガラオールの言葉が、棘のように刺さって心を離れない。


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