表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

3.氷刃の刺客(1)


 ネロ・ディクタール・コンモドゥス・ファングラーダにとって目下の悩みは、このままでは自分の輝かしい評判が一転、地の底まで堕ちていきかねないことだった。


「ファングラーダ王子たる僕が。『奴隷の奴隷』へ熱心に求婚していた――などと言われるのは心外だ。実に腹立たしい」


 『奴隷の奴隷』。


 それは学園一番の王女、ミラーフィール・フレア・トリート―ラム・ド・プロテジェールに最近つけられた、あまりにも不名誉なあだ名だった。

 プロテジェール王女は決闘に負け、『奴隷』になった。

 それも『平民枠』を利用して入学した『奴隷』ガラオールの『奴隷』になったのだ。

 『奴隷』の『奴隷』になってしまったから、『奴隷の奴隷』。

 かつて各国の王女を率いて学園を闊歩していた王女のなかの王女、『王女の王女』という名誉あるあだ名とは、まるで正反対の忌まわしい呼び名。


「由々しい事態だ。このままにしておくわけにはいかない。始末をつけなくては。そうだろう?」


 ネロは友人の貴族たちに熱弁を振るう。

 趣味のいい古代絵画に囲まれた、ファングラーダ王子にふさわしいネロの自室には、取り巻きの貴族たちが集まっていた。


「その通りだ。このままではわれわれは恥をかく」

「あのガラオールとかいう畜生を殺してしまおう」

「決闘だ。決闘に勝って王女を取り戻す必要がある」


 ネロは満足げにうなずいて、


「諸君、君たちの言葉は正しい。王女を救わなければならない。そして忌まわしい入学式での出来事を、なかったことにしなくては」

「賛成」

「貴族の誇りにかけて、剣を抜こう」


 部屋に集まった貴族はみな、プロテジェール王女への熱心な求婚者だった。

 プロテジェール王女と血脈交流ケッコンすれば、自分の家系に由緒正しい強力な雷属性の血を混ぜ込み、広い領土と莫大な持参金、そしてなにより名誉を手に入れることができる。

 が、それはミラーフィールが王女となる場合に限る。

 もしプロテジェール王が、バカげた経緯とはいえ『奴隷の奴隷』となった娘を見捨てなければの話だ。ミラーフィールにはひとりの妹がいる。そちらに王位が譲られる可能性もある。それほど入学式の出来事はショッキングで、前代未聞だった。


 ネロは部屋を見渡す。


 自分も含め、決してガラオールなどには劣らない、強力な魔術の使い手がそろっている。

 スフェルチェ公爵家のアルミス。氷魔術の戦巧者。

 エストテランタ公爵家のレナード。風神フィンディムの末裔。

 マルカッタ王子パルコプレシス。炎を操る煉獄の騎士。

 そしてネロはマリーマリスを父祖にもつ、聖なる光属性魔術の類まれなる戦士。


「よし。この顔ぶれならまず負けるはずがない。……学園とわれわれ王侯貴族の未来のためにも、必ずガラオールを殺し――さらに、『例のもの』を下賤の者の手から取り返さなくてはいけない」

「協力する」


 アルミスが抜剣する。


「異存ありません」


 レナードが抜剣する。


「必ず仕留めてやっからよ」


 マルカッタ王子が抜剣する。


「よし」


 求婚者たちは剣を重ねあい、必勝を誓った。

 『例のもの』。

 それは学園を運営する老王たちより聞かされた、大陸の覇権を左右する『武器』。

 もっともその全容は、この場ではファングラーダ王子のみしか知りえない。



 学園の主席として過ごしてきた三年間、ミラは学友たちのなかでも特別の扱いを受けていた。その身分もさることながら、貴族もうらやむ気品と威厳で、強烈なカリスマを発揮していたのだ。

 しかし他人の評価など、天国から地獄へと、恐ろしいほど変化しうるもの。


「ぐっ……」


 いつも胸を張って歩いていた学園の廊下を、ミラはこそこそと隠れるように走る。

 そこへ意地の悪い視線が追いかけてくる。


「あ、『奴隷の奴隷』……」

「いままでの気品が、もはや見る影もないわね」

「調子に乗っていた罰よ。あたし実はあの子のこと、前から気に入らなかったのよね」


 薄情な貴族たちの、嫌らしいひそひそ話。

 ミラは聞こえないふりをした。

 悪意のこもった声を、頭では締め出そうとしても、身体のほうが正直に反応する。鼓動は早鐘を打ち、氷のような汗が額に浮かんで意識が遠のきそうになる。


「バカにして……みんな、私をバカにして……!」


 ミラは歯を食いしばりながら、ついには全力で駆け出していた。王女が全力疾走するなどはしたない。けれどもとにかく、人間の視線から逃れたかったのだ。


「遅い」


 目的地の大教室に入ると、憎たらしい男が自分を待ち構えていた。


「三十秒の遅刻だ」


 年の割に擦れた印象を与える無表情で、ガラオールはミラを迎えた。


「席につけ。そして俺の代わりにノートをとれ、奴隷」

「ついでにアタシの靴でも舐めろ、奴隷」

「――!」


 ガラオールの背後からひょっこりと、銀髪のアマリリスがおどけた顔を出す。正直なところ、ガラオールよりもアマリリスのほうが苦手だった。やることなすことに容赦がない。


「こいつの靴は舐めなくていいから、座れ」

「えー。つまんない」

「お前は帰れ」

「帰らない。アタシの暗殺術があるからこそこの奴隷は、ガルに反旗を翻せないんだよ。そこんとこわかってくれてる? ん?」

「……好きにしろ」


 茶番じみたやりとりを尻目に、ミラは言われた通り座席に腰かける。もう抵抗する気力は萎え果てていた。

 どうにでもなれ。

 それが偽らざる心境だ。最後の頼みの、母国からの連絡が来ない。いくら死ぬほど悔しがろうと、どうしようもない。悲しいかな自力ではアマリリスに敵わない。教師も生徒もみな腫れ物に触れるかのようにガラオールを避けている。助けてくれる友人などいない。

 そんな自分に愛想を尽かしたのか、十七人いた召使も日に日に数が減っている。逃げ出したのだ。

 講師の哲学者がやってきて、講義がはじまる。機械的にノートをとる。


「えー。というわけで。神々は七柱存在していました。炎神シャクナドゥ。氷神パリオーテ。風神フィンディム。地神ラグディオーラ。雷神バリアンドー。光神マリーマリス。そして闇神ハーデスです。このうち仲間はずれがひとりいます。エストテランタ公爵の息子よ、わかりますか?」

「はい。闇神ハーデスだけ、他の神とは性質を異にしています」

「それはなぜですか」

「子供を残せない神だからです」

「正解。皆さんがた高貴の血脈を継ぐ人間は、闇神以外の神を父祖にもち、それぞれの属性の魔力を有しています。しかし闇属性の魔力だけは、遺伝しないのです。なぜならハーデスの血の流れる人間はこの世に存在しないからです」

「では先生、闇魔術は存在しないのですか?」

「いいえ。闇魔術は存在します。ハーデスは死を司る神。人のなかでも特に死と戯れて生きてきた者はハーデスに愛され、ハーデスの力、すなわち闇魔術を扱えるようになるのです」


 死と戯れる。死。ミラの脳裏に魅惑的な単語がこびりついた。


「先生。死と戯れるとはなんですか?」

「簡単に言えば、何度も死にそうな目に遭うことですね――何度も、何度も。現世と地獄の境を行き来して、鮮血と激痛にまみれてなお生命を繋ぐことです。そう、たとえば闘技場の剣奴のように」


 単調で退屈な講義は、ミラにとっては何の感動も残さなかった。

 唯一覚えているのは「死」という単語。それだけは不思議と胸に木霊した。

 名誉は王族の命に等しい。その名誉を無様に失いつつあるいま、ミラはほとんど命を削られるような痛みを感じながら、日々を過ごしている。一瞬一瞬が、辛く、苦しい。


「バカなことを考えるなよ」


 講義が終わったのち。ガラオールは何もかも見透かしそうな鋭い瞳で、ミラを射抜いた。


「お前たちに死は生ぬるい。それにお前は俺の所有物だ。くれぐれも俺の命なく勝手をするな」


 お前たち、とは。誰のことを言っているのだろう。王侯貴族全体を言っているのだろうか。ミラは何も言い返すことなく、無反応を貫く。


「講義は終わった。ノートはとったか? よし。奴隷、俺の部屋に帰るぞ」


 ガラオールが言う「俺の部屋」とは他でもない、元ミラの部屋のことだ。


「ねーねーガル。アタシ最高級のシャンパン酒が飲みたい」

「ダメだ。手持ちの金がない」

「こいつから盗ればいいじゃん」


 アマリリスは無邪気な半笑いで、ミラを一瞥する。

 ガラオールは首を横に振った。


「もう勘弁してやれ。こいつは母国からの送金が途絶えて、ほとんど一文無しだ」

「あーあ。そうなの。無一文。じゃあ名実ともにいよいよ奴隷だね。あはは」


 ガラオールとアマリリスが教室を出ていく。ミラもそのあとを無気力についていく。


「待て、ガラオールとやら」


 そこへ、武人らしい勇ましい声がかかった。 


「待てと言っている」


 ガラオールは振り向く。ミラもつられて声の主を見る。

 群青色の髪をした、長身痩躯の男。紅の制服を蒼に染めて、金モールはすべて銀につけかえてある。

 スフェルチェ公爵家のアルミス子爵。容姿端麗な伊達貴族の姿がそこにあった。

 かつてネロとともに、ミラへ熱心な求婚をしてきた者たちのひとりだ。

 アルミスは剣の柄に手をかけ、


「決闘をしろ。プロテジェール王女の解放を賭けて」


 と言い放った。有無を言わさぬ調子だ。


「ほう……待ってたぜ、そういうの」


 意外にもガラオールは、感心したような顔で答える。

 まるで待ち構えていたかのように、突然の挑戦にもまったく動じない。


「ひとつ断っておくが。俺は剣奴だぜ。貴族が奴隷の身分にある者と決闘するなんて、末代までの恥じゃないのか」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ