2.恥辱の鉄鎖(1)
*
「いったいこれは、どういうことなんです!」
ファングラーダ王子ネロとその取り巻きの貴族たちは、怒り覚めやらぬまま学園運営円卓会議に駆け込んだ。
会議室は円形の薄暗い部屋で、常駐の老いた王たちが円卓を囲んで列席している。
そこへ数人のネロを筆頭とする若い支配者たちが、まるで討ち入りのようになだれ込んだのだ。蹴破るように踏んだ床から、もうもうと灰色の埃が立ち込める。
「なぜ、どうして、栄光ある学園が汚されるのを、あなたたちは黙って見逃しているんだ! 入学式でなにが起こったか、まさかまだ聞かされていないわけではあるまい!」
「……」
学園の運営を司る、すでに隠居した先代先々代の老王たちは、ネロたちに振り向こうともしない。
「そもそも『平民枠』など認めるのがおかしい! ここは王と貴族のための学園! 卑しい民が入り込む余地など微塵もありえないはずだ!」
「……ファングラーダのせがれよ」
ようやく、一人の運営委員が重い口を開いた。
「お前ほどの愚か者もいないな」
「なっ……!」
身に覚えのない侮辱に、ネロは顔を紅潮させる。
「愚かなのはお前たち老人だ! 伝統ある学園を何と心得ている! 平民を、いや、奴隷の身分にあるものの入学を許すなんて狂っている! おかげでプロテジェール王女は……王女は!」
しばらくの静寂。老王たちは何も答えない。
ネロは我を忘れるほどの怒りで全身を震わせ、言った。
「戦争、だぞ」
「……なんだと?」
「学園がこのていたらくなら、僕は退学してファングラーダへ帰る。そうして魂の腑抜けてしまった王国どもを攻め滅ぼし、大陸をファングラーダの手中に入れる。戦争だぞ。それでもいいのか? ファングラーダ国にその力がないとでも思っているのか?」
ウォモ・ウニヴェルサーレ学園はヴァーディース大陸の王族、貴族たちの人脈形成の場を提供し、共通の言語と魔術、支配術を学ばせることで、大陸全土の支配者の友好的な関係をつくりだしてきた。
学園のおかげで、強者たちは無駄な争いを避けられた。王たちは弱者を支配し、踏みつけ、搾り取ることに専念できていたのである。
しかし学園がその機能を失うなら、ネロにとって在学し続ける理由はない。
「あいにく僕には、同盟を組むに足る仲間がいる。大陸の戦力の半数は僕の指揮下に入るだろう」
ネロがちらりと目を向けた先には、ファングラーダ王子に媚びを売る取り巻き貴族たちが、追従笑いを浮かべている。
「それに僕の光魔術は、歴代ファングラーダ王の誰よりも強力無比。正直なところ、学園のいかなる他国王にも後れをとらない」
「……だから愚かだというのだ、王子」
先ほどとは別の隠居王が、しわがれた声で断じる。
「長きにわたって『強者の平和』を維持してきたわれわれが、理由なく『平民枠』の創設を認めるわけなかろう」
「フン。やむにやまれぬ事情があったと言いたいのですか?」
「残念ながらその通りなのだ」
老人たちはいっせいに、くたびれたため息をつく。
「ファングラーダ王子よ。お前はなぜわれわれ神々の血をひく王侯貴族が、民をこうまで強力に支配できるのか知っているか?」
「簡単だ。神々の血が流れる人間は、莫大な魔力を体内に有しているからだ。単純に僕たちは、卑しい生まれの連中よりも強い」
王族、貴族は強力な魔術が使える。平民は使えない。単純な実力の格差だ。
「その回答では五十点だ」
「なに?」
「もう一つ。王が、強大な王国を、支配権を千年以上の長きにわたって維持するためには、もう一つ、重大な要素が欠けてはいけない」
見ると、枯れ木のようだった老人たちの顔に、ネロ以上の怒りが浮かんでいた。
「盗まれたのだ。平民どもに。われわれが支配者であり続ける『条件』を。われわれ王と貴族たちの神聖なる『武器』を! だからこそ『平民枠』などというふざけた要求を、取引を呑まなくてはならなかったッ!」
「盗まれた? いったい何を……?」
それは、
「――」
*
学園第一校舎、第三十四講義室。新入生向けに「血統学初歩」の講義が行われている。
「……よって皆さん神々の血をひく王族、貴族は、それぞれ先祖の神が有していた魔力を受け継いでいます」
前代未聞の入学式から一夜が明けていた。意外にも学園は、平穏な姿を取り戻している。
「たとえばあなた。エストテランタ公を父にもつあなたは、風の魔力を使いますね? つまり風神を先祖にもつわけだ」
「はい。僕の生まれた公爵家は、風神フィンディムの血が流れています」
講義は淡々と進む。教室内の学生は二種類に分かれていた。勉強熱心な者たちはノートをとっている。そうでない者たちは、近所隣の学友と雑談にいそしんでいる。
ガラオールは後者だった。
「アマリリス。そこの牛革をとってくれ。グリスもだ」
「はーいよ。ところでさ、昨日の騒ぎはホントに傑作だったね!」
「そうか」
「うん! もう最高! 最高過ぎて濡れちゃったよ!」
「……」
三百人もの学生を収容可能な講義室の最後列で、ガラオールとアマリリスは並んで席についていた。二人を含めたすべての学生は、学園の制服を身に着けている。金モール付きの赤いブレザーに、黒の軍袴。
二人はノートや筆記具の代わりに、机の上で武器の手入れをしながら言葉を交わす。
「てかさー、ガル最高にかっこよかったよ」
「知らん。が、まずはノルマ達成だ。初日から王族をひとり狩れたからな」
二人の周囲には、誰も座っていない。そこだけ魔力結界でも張られているみたいに、見事にぽっかりと空隙ができている。たまに、好奇心の隠せない貴族がチラリとガラオールを見るが、睨み返されてはすぐに目を逸らす。
「それよりも、だ」
「なに?」
「お前、学生じゃないだろ。どうしてここにいる?」
「いーじゃん。別に」
「追い出されても知らんぞ」
「おととい来やがれだよ。イーッ」
出入り口を守護する魔術兵に、アマリリスは白い歯を向けた。兵は知らん顔を決め込んでいる。関わりたくないのだろう。
「ほら、あいつら腑抜けだからなんにもしてこない」
「そうか」
「それに。アタシはこいつを監視しなくちゃいけないからね」
そう言ったアマリリスの足元に、
「――こんな屈辱――屈辱……!」
鎖につながれた首輪をはめられ、両腕を手錠で拘束された、プロテジェール王女ミラーフィールが机の下に押し込まれていた。
「うるさいよ。授業中だよ。あはは」
自分のことは棚に上げて、アマリリスはミラーフィールを小突く。
「やめとけ」
ガラオールはアマリリスから鎖をひったくり、ミラーフィールを机の下から引っ張り上げた。
「座れ」
ガラオールはミラーフィールを自分の右隣に座らせる。アマリリスの手が届かないように。
「ちょっとガル。その女もう奴隷なんだから、甘やかしちゃだめだよー」
「黙れ。余計な手出しをするな。俺はたしかにこの女を奴隷にした。が、家畜にしたつもりはない」
「はあ? だってこいつら貴族は、アタシたち奴隷を畜生扱いするじゃん」
「俺はそういう貴族連中のマネはしない」
そう言ってガラオールは、ミラーフィールの首輪も手錠も外してしまった。
憎々しげな表情のまま、ミラーフィールは吐き捨てるように言う。
「恩に着せようとしても無駄よ。私はお前を許さない」
「お前も黙れ、奴隷」
ミラーフィールはかまわず言葉を続ける。
「もしこのことがお父様の耳に入ったら、お前なんてほんの一瞬で消し炭にされるはずよ。プロテジェール精鋭の神聖騎兵を知らないわけではないでしょう?」
「知らん」
「強がりはやめなさい。そして私をいますぐ解放しなさい」
「解放なら、している」
ガラオールの言うとおりだ。もうミラーフィールは首輪も手錠もない。逃げようと思えばいつでも逃げられる格好だ。
「そういう意味ではなくて。『奴隷』を取り消しなさい」
「バカを言うな。決闘での正当な戦利品だ」
「ぐっ……」
ミラーフィールは何も言い返せない。
たしかにガラオールの言葉はいちいち正しい。
いろいろなイレギュラー要素があったとはいえ、自分がガラオールの言い出した決闘とその条件を、あれほど大勢の貴族たちの前で承諾したのは真実だ。
貴族は、王は、なによりも己の言動の誠実さを重んじる。それが決闘ともなればなおさらだ。終わってから「取り消し」などという無様なマネはできない。
「どこへなりとも、好きなところへ行けばいい。俺が許可している間はな。ただし、お前の『奴隷』という身分だけは取り消してやらない」
「……くぅっ」
「へっへっへー。悔しそうな顔。そそるねー!」
アマリリスはミラーフィールをからかう。わざとのぞき込むようにして、大きな瞳をじろじろと向ける。
「プロテジェール王女だかなんだか知らないけどさ。こうして見ると威厳も気品もなにもないね! ただの金髪豚女だよ。胸だけ無駄に肥え太っちゃってさ」
「きゃっ……無礼なっ……!」
アマリリスの手はミラーフィールの豊満な胸へと吸い込まれていた。