1.奴隷の奴隷(3)
「……へ?」
おもわず、ミラーフィールは王女らしからぬマヌケな声をあげてしまった。
いまこの男はなんと言った?
魔術兵から隣のネロまで、会場全体が凍りついている。なまじ本物の氷魔法よりも効果的に、全員を行動不能状態に陥れていた。
「なんとか返事をしたらどうだ、王女サマ?」
「あ……あ、え」
「聞こえないのか? ならもう一度だけ言ってやる。俺が、あんたに、決闘を申し込んでいるんだ。どうだ? 貴族や王ならまさか逃げはしないよな? お前たちにとって最大の恥は臆病だとか聞いたぞ。……ちなみに俺が勝ったら、あんたを俺の『奴隷』にする。あんたが勝ったらこのアマリリスを煮るなり焼くなり好きにしていい」
「ちょっ、ガル!」
「ククッ……なあ、ミラーフィールちゃんよ。これだけの人数が、俺の決闘申し込みを耳にした。言うまでもないが、逃げられねえぞ」
言葉の内容を理解するのに、ミラーフィールは数秒の時間を要した。
さらに次の数秒で、魂の奥から怒りのマグマが湧き上がってくるのを感じた。
ひとまずガラオールとかいう無礼な男から、視線を外す。そして会場にちらほら座っている、親しい付き合いのある貴族たちの顔をさっと眺める。
みな、同じ表情を浮かべていた。
『王女。決闘を受け、その男を殺しておしまいなさい。さもなくば、プロテジェール家の名に傷がつく』
と、でも言いたげな表情だ。会場の顔はみな『やれ』と言っている。
「茶番の式典は終わりだ。ここからは剣と血の時間だ」
「下郎! いますぐにその汚い口をつぐんで、去れ!」
ミラーフィールが返事をするより早く、ネロが威厳たっぷりに言った。
「ここを何処だと心得ている? 神聖なる支配者たちの学舎、ウォモ・ウニヴェルサーレ学園だぞ!」
ネロはミラーフィールを庇うようにして、前に進み出る。
ガラオールは鼻で笑った。
「知っている。だからこそ俺は、あんたたちを支配してやるつもりなのだ。きょうから俺は支配者側の人間だからな」
「狂ったか、平民!」
「フン……やるのか、それとも逃げるのか? プロテジェール女王!」
理事席の貴族も貴賓席の王侯も、腰を持ち上げて壇上に駆け寄ろうとしている。
二百年続く伝統ある学園の入学式が、ひとりの卑しい男によって台無しにされようとしているのだ。
理事の命令でいつでも襲いかかれるように、魔術兵がガラオールとその後ろの少女を取り囲む。無礼者は瞬く間に、袋のネズミとなった。
「おいおい、こんなマネをしていいのか?」
ガラオールは自分の身の危険をまったく顧みず、言う。
「これだけの人数で囲まれたら、さすがの俺だって勝ち目がない。だがな――プロテジェール王女、あんたの名誉と道連れだぞ」
「な……?」
「わからないか? 平民にここまでコケにされた上、決闘から逃げ出してもみろ。あんたには一生汚名がつきまとうぞ。『プロテジェールは臆病者』ってな」
静まり返った講堂に、ガラオールの威嚇的な声だけが大きく響いている。
その場の貴族の誰もが、ガラオールの言葉を聞いて顔をしかめていた。平民のくせになんと無礼なことを言うのか、と。しかしその言葉の内容は、至極もっともだとも考えていた。
うるさい蚊がぶんぶんと飛び回っていたら、叩き潰すのが当然の対処法。
言いたい放題のあの平民を、さっさと殺してしまうべきだ。なんとなれば平民のほうから戦いを申し込んできているのだから、迷う必要はまったくない。望み通り殺してやれ。
「待て、下郎。思い上がるな」
その場ではほとんど唯一冷静さを保っているネロが、冷徹な口調で言う。
「貴族が決闘を受けるのは、相手が貴族である時だけだ。平民相手に決闘などしない」
「なるほど。王女は俺との決闘を拒否するのだな? 王族のくせに?」
「と、いうより、その必要がない。平民枠だかなんだか知らないが、お前は学園に潜り込んだ害獣。寄生虫。たちの悪い癌。粛々と排除するのみ」
ぱちっ、とネロは指を鳴らした。
それを受けて理事の貴族たちは、魔術兵に向かって『殺せ』と手振りで合図した。
集結していた総勢十七の魔術兵が、剣を抜くなりガラオールとアマリリスに斬りかかる。
「アマリリス。雑魚を消せ」
「もう終わってるよ」
一瞬だった。
身体を深く沈めた体勢から、神速の体術が繰り出される。十七の魔術兵は急所を突かれ昏倒する。
剣に炎や風をまとわせた兵たちは、一度もその攻撃をガラオールに命中させることなく戦闘不能となった。
「盗賊であり暗殺者でもあるアタシを舐めるなよ、貴族ども」
兵たちは無様に床に転がっている。アマリリスは一滴の汗もかいていない。魔力を持たない非貴族にしては、信じられないほどの戦闘能力だ。
「アタシとガルがどれだけ過酷な環境で生きてきたかわかるか、腐った王族ヤロー。アタシたちにとっちゃ、くだらない兵隊を黙らせるなんてのは朝飯前なんだよ」
「余計な口を利くな。黙っていろ」
「ちぇーっ……」
ガラオールはアマリリスを黙らせる。アマリリスは頭の後ろで腕を組んで、口笛を鳴らした。
会場の貴族たちはその光景を見て戦慄する。低級の魔力しかもっていないとはいえ、よく訓練された学園専属の兵が倒されたのだ。
さすがというべきか、ネロとミラーフィールは動揺を露わにしなかった。敵の眼前で驚きの表情を見せてしまうほど、ヤワな教育は受けていない。
ミラーフィールは二人の戦力を淡々と見極める。そして、十分勝ち目があると判断した。
「わかりました。プロテジェールの人間は、ここまでの無礼を受けて黙っていられるほど、寛大でも臆病でもありません。……望み通り殺してやります」
「ミラーフィール嬢、およしなさい。奴らは僕が始末しますよ」
ネロが口を挟む。が、すでにミラーフィールの長い黄金の髪からは、バチバチと電撃の魔力粒子が発散されはじめていた。
プロテジェール王は代々、高慢で短気で容赦のないことで知られている。
ミラーフィールにもその血は濃く受け継がれているのだ。王女の怒りはもう止まらない。
「そんなに死にたいなら、その汚い体を黒ずみにして差し上げます。下々の者の罪を裁くのも王族の務め」
「そうこなくちゃな」
ニヤリと白い歯を見せるガラオール。ミラーフィールの髪は発光し、獅子のたてがみのように逆立つ。銀に輝くドレスはひとりでにバタバタとはためき、強力な魔力風が起こされていた。
ガラオールはミラーフィールを見上げながら、剣を抜いた。
「決闘だ。俺が勝ったらあんたを『奴隷』にする。あんたが勝ったら……俺はこの学園を去ってやる」
「勘違いもはなはだしい」
苛立ちを隠そうともせず、強い口調でミラーフィールは言った。
「これは決闘なんかじゃありません。決闘は貴族同士の紳士的な紛争解決手段。貴族でないお前を、卑しい民を殺すのに、条件などもちだす必要はない」
「ごちゃごちゃうるさい王女め。……アマリリス、さっき頼んだアレを出せ」
「あーいよ」
ガラオールは腕を突き出し、アマリリスから受け取ったモノを会場全体に見えるよう掲げる。
それは勲章だった。青地に黄金のラインの入ったリボン。騎士の証。
「これでいいだろ? 騎士の称号。晴れて俺も貴族の仲間入りってわけだ」
騎士は世襲が許されない、もっとも身分の低い貴族である。が、とにかく貴族であることに変わりはない。平民がもっているはずのないものだ。
「さあ、決闘を拒む理由はなくなったな」
「その勲章。お前のものではないでしょう! どこかで盗んできたに違いない!」
「だとしても、それをどうやって証明する?」
ミラーフィールは歯ぎしりする。証明? そんなものは必要ない。ガラオールが貴族ではるはずはない。先ほどまで、『平民枠』の入学許可証を見せびらかしていたのがその一番の証拠だ。あれはアマリリスとかいう女が、会場の貴族の誰かから盗んだものだ。
まったく、あまりに突飛な屁理屈だった。
よくもまあ次から次へと常軌を逸した、狂人の所業としか思えないことをやらかしてくれる。ミラーフィールはもう、我慢の限界を迎えていた。
「うだうだうだうだと、うるさい平民……!」
いよいよ全身から、電撃の軽快な破裂音が上がる。プロテジェール王家に伝わる雷神バリアンドーの高貴なる血が、雷の魔術を怒りのままに増幅させていく。
壇上のネロは、静かにミラーフィールから離れた。
「もはや、お好きにしたらいいですよ、王女」
「ええ。殺します。あのふざけた平民を」
眼下では、アマリリスが兵を踏みつけながら、ガラオールの傍を離れていた。
「ガル、アタシもあの女殴りたいんだけど」
「ダメだ。俺の獲物だ。しばらく消えていろ」
「その扱い。ガル、どんだけドSなのさ……嫌いじゃないけどさ、にへへ」
「いいから離れてろ、邪魔だ」
ガラオールは剣を腰だめに構えた。貴族の当然のたしなみとして、ミラーフィールには剣の心得がある。ガラオールの構えはまったく洗練されておらず、粗野でバランスが悪い。
「平民らしい、野蛮で下手くそな剣を扱うらしいわね」
「なあ、王女よ。結局この戦いは『決闘』ってことでいいんだよな? 俺、騎士だもんな? ククク……」
「いいわよなんでも。さっさと死にたいんでしょ? 望み通りにしてあげる。プロテジェール王女たる私が、直々に」
「よし。それだけ聞ければ十分だ」
バチバチと細いスパークが、ミラーフィールの足元から頭まで駆け巡る。
ミラーフィールは鷹揚な仕草で手を突き出す。青白く光る電気が、突き出された手の平の上に集中して球を形成する。
「じゃあ、苦しんで死になさい、卑しい平民」
「ひとつだけいいことを教えてやる」
「……?」
「俺は平民ですらない。……俺は、奴隷だ」
「――!」
「あんたは奴隷と決闘をするんだよ! プロテジェール王女サマ! クックックック!」
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