1.奴隷の奴隷(2)
ガラオールは仏頂面で、
「アマリリス。俺はドニャ・エルヴィーナの姉御に念を押したはずだぞ。『アマリリスを俺につきまとわせるな』と」
アマリリス。それがこの少女の名だった。
ガラオールの文句にも、顔色ひとつ変えず悪びれた様子もない。
この人を食ったような少女アマリリスこそ、奴隷ガラオールの入学を可能にした、重要な立役者のひとりなのである。
「それに。……ここは立ち入り禁止だ。入学者の俺はいいが、お前は出ていけ」
「はあ? 貴族どものつくったルールなんて守る必要ないじゃん。ガルらしくないこと言うねー。もしかしてもう学園に染まっちゃった?」
やれやれと、アマリリスはおおげさに肩をすくめる。
ガラオールに注がれていた貴族たちの視線は、こんどは一挙にアマリリスへと集まった。
アマリリスもまた、どの角度から見たって学園の入学者とは到底思えない格好をしているのだ。とにかく目立つ。
「いいからお前、帰れ。いまならまだ間に合う」
「あのねー、いまさら恩着せがましく言うのもなんだけどさ。誰のおかげで入学できたと思ってるの? 爵位も王位もない、『剣奴』のガルなんかが」
「さあな。国民武装議会のおかげだろ。王侯学園側に『平民枠』をひとつだけでいいからつくるように要請したのは、ほかでもない平民たちだからな。教育機会の平等とかなんとか言って。立派なもんだな」
「ちっがーう! いやもちろん『平民枠』を用意させたのは議会の市民たちだけどさ。そうじゃなくて! その入学枠を、わざわざガルのために四方八方手を尽くして盗んできてあげたのは、いったいどこの誰でしたっけ!」
「そりゃお前、エルヴィーナ盗賊団首領、ドニャ・エルヴィーナ姉御だ」
「違うっての! ア・タ・シよ! 賢くてかわいい大盗賊のアマリリス!」
アマリリスはその場で地団太を踏んだ。
「そうか。……わかったからお前、ちょっと黙れ」
「むぐ。んぐぐぐぐ……!」
強引に口をふさがれ、アマリリスはくぐもった奇声をあげる。
「まったく。俺の邪魔だけはするなよ」
「……ぷはっ。それどころか! アタシはガルに協力するつもりで来たんだよ!」
「どうだか。盗賊の言葉は信用できないな」
二人がやかましいやりとりをしている間に、壇上では数人の貴族たちが入れ替わり立ち代わり、演説を終えた。
そしていよいよ式典のクライマックス。最長学年の男女の主席が、新入生に式辞を述べる段がやってくる。
ウォモ・ウニヴェルサーレ学園の主席。
これすなわち、「大陸最高の支配者」としておいても決して言い過ぎではない。貴族中の貴族。王族のなかの王族。そんな、ガラオールとは正反対の世界に生きている男女のペアが、いま、優雅に壇上へと姿を現したのだった。
「……おい、お前」
今度はガラオールのほうから、重々しい口調でアマリリスに話しかける。
「ん、なにー?」
「あいつらのこと、知っているか?」
「あいつらって、あの、ステージに立ってる学園主席とやらのこと?」
「そうだ」
「もちろん知ってるよ」
アマリリスの人を食った軽快な口調は一転して、刃物のような冷たい鋭さを帯びていた。殺気。ガラオールはそれを敏感に感じとる。
「まず男のほう。ネロ・ディクタール・コンモドゥス・ファングラーダ」
アマリリスの昏い眼光が、壇上の、いかにも王子然とした少年を射る。
「ファングラーダ国の王位継承優先権第一位。光の神マリーマリスの血をひく、正真正銘文句なしの名家出身。一千年以上貴族とのみ婚姻を結んでいるから、神の血がとっても濃い。それだけ扱う魔術も強力ってわけだ」
会場から豪雨のような拍手が起こる。ネロが壇上で手を挙げて挨拶をしたのだ。その出で立ちは講堂に集まっているどの王子や貴族よりも豪奢。腰に帯びている剣の柄には握りこぶしほどのルビーが光っている。短く刈り込んだ赤髪も、ルビーに負けない輝きを放っていた。
「そしてその隣の女。プロテジェール王女」
ネロの隣に控えているのは、気品と威厳を備えた顔つきで新入生を見下ろす美姫。
「ミラーフィール・フレア・トリートーラム・ド・プロテジェール。アレも純血の貴族。プロテジェール王家は雷魔術の使い手。血のルーツは雷神バリアンドー。ちょっと貴族どもの会話を盗み聞きした限りだと、『王女のなかの王女』とか呼ばれちゃって、この学園の女子生徒に崇拝されているらしいよ」
なるほどプロテジェール王女は、ガラオールの目から見ても他の女貴族とは一線を画している。あふれ出る気品。気位。態度。洗練された貴顕の身のこなし、たたずまいは、中途半端な田舎貴族にはマネできないものだ。
外見も目を見張るほど美しい。
遠目でもわかる、腰まで届く金髪の絹のような滑らかさ。触れたら溶けてしまいそうな雪色の柔肌。銀色のドレスに包まれた体は、痩せすぎず太すぎず、理想的なバランスを保っている。
「フン、やけに詳しいな」
「アタシは盗賊だよ? 情報収集は得意中の得意ってね」
動物でたとえるなら、子犬みたいな得意顔をアマリリスは浮かべた。
「特にこれから殺すつもりの人間のことなら、靴のサイズから隠し財産のありかまで、なんでも調べておかなきゃさ」
ニコニコしながら物騒なことを言う。アマリリスの笑みはいつだってつくりものだ。化けの皮を一枚はがせば氷のような殺意と怨念がいっぱいに詰まっている。
結局ガラオールとアマリリスは、同じ人種なのだ。
「殺すだと? 勝手はよせ。あれは俺の獲物だ」
ガラオールはアマリリスをにらみつける。アマリリスはこれっぽっちも動じない。
「相手は貴族だよ? 死んでとうぜんのゴミどもだよ?」
「ゴミはゴミでも、利用価値のあるゴミだ」
「もちろん盗めるものは盗んでから殺すさ」
「俺の許可なく余計なことをするなと言っているんだ」
「はーい。わかったよ。……たぶん」
「ちっ。これだから、お前にはついてきてほしくなかった」
ちょうど壇上では、プロテジェール王女が挨拶の言葉の、最初の一句を読み上げはじめたところだった。唐突に、ガラオールが立ち上がる。
「本当に油断ならない女だ」
そうアマリリスに言い放ち、ガラオールは席を離れる。そして通路を進んで前方の演壇へと近づいていく。
何人かの貴族がガラオールを不審そうに凝視した。
「ど、どうしたのさ?」
小走りで追いかけるアマリリスの問いに、ガラオールは振り向きもせずこたえた。
「お前に獲物を盗られる前に、先手を打つんだよ」
「先手って……?」」
「とにかく黙って見ていろ」
ガラオールの低い声には、底知れぬ自信が宿っていた。
「さしあたって、あの姫様を俺の『奴隷』にしてやろうと思う」
「え……」
面食らった表情のアマリリス。
「さすがのお前も言葉を失うか。まあいい。……ところで。ひとつ頼みがある。いまから言うものをすぐに盗んできて欲しい」
盗むべき品を耳打ちされたアマリリスは、納得いかない様子でうなずく。
「そんなもの楽勝で盗めるけどさ。何に使うんだよ?」
「いちいち理由を詮索するな。俺につきまとうからには、俺の命令には盲目的に従ってもらう」
*
ガラオールはプロテジェール王女のほうへ早歩きで進む。入学式のクライマックス、主席挨拶の途中である。明らかに異様な挙動だ。案の定会場全体の視線すべて、王女からガラオールへと移った。
魔術兵が飛んでくる。ガラオールは入学許可証を掲げる。
魔術兵は手を出せなくなる。学園の学生には指一本触れられない決まりだ。
会場がざわつきはじめる。なにか異様なことが起ころうとしている。ガラオールの背中にぴったりついていくアマリリスでさえ、額に汗を浮かべていた。これからはじまろうとしていることに、緊張を覚えているのだ。
――『王女のなかの王女』ミラーフィール・フレア・トリートーラム・ド・プロテジェールを『奴隷』にする。
そんなことが可能なのか? ネズミがネコを殺すより難しいのでは?
相手はなんといっても「あの」プロテジェール王女なのだ。大陸でも有数の名門旧家にして強力な魔術を有する王族の一派なのだ。
貴族は奴隷を家畜のように扱うが、王族ともなれば奴隷など家畜どころかノミやダニに等しい卑小な存在だろう。
「でも、それって」
アマリリスは首をかしげる。そしてガラオールの背に、無邪気な笑いを投げかけた。
「最高におもしろいね」
成功するかしないのか。そもそも『奴隷』とはどういうことか。あまりに突飛な話なので、正直ガラオールの行動を全ては理解できない。
ただしひとつだけ確かなこと。
「最高におもしろい」
さあ、いま、ガラオールの手番がはじまるのだ。アマリリスの出番がやってくるのだ。
奴隷として、社会から捨てられた人種として辛酸をなめてきた二人の、最大にして最後の見せ場が、チャンスが。
王が奴隷になり、奴隷が王になる。
そんな奇跡も起こりうる、最低で最高の学園生活が、幕を開けるのだ――
*
「信じられないわ」
ミラーフィールは目の前の光景を、とても現実のものとは思えなかった。
プロテジェール王女ともあろう自分が、誉れある学園主席として壇上に立っているというのに――こちらの話を聞こうともせず、無遠慮に会場を歩く男女がいる。
ひとりは黒髪の細身の男で、猛禽類を思わせる鋭い目をこちらに向けている。貴族らしからぬ地味で簡素な格好をしているが、あれでもおそらく新入生なのだろう。手で入学許可証を掲げている。
その後ろからペットのようについてくるのは、小柄で場違いな服装の少女。はしたなく四肢の肌をむき出しにしており、いかにも下品そうな笑いを浮かべている。ミラーフィールが一番嫌いなタイプの女だ。
なぜか二人は自分を睨んでいる。ミラーフィールはわけがわからない。
「『平民枠』ですよ、ミラーフィール嬢」
隣に立つファングラーダ王子ネロが、穏やかに言った。
「遺憾なことですが。今年からこの学園に、平民が紛れ込むことになったのです」
「……そうですか」
ミラーフィールも『平民枠』は知っていた。
学園が置かれているバッキンガム公国の、じつに生意気な国民議会が、武力と財力をちらつかせて学園を脅しあげ、「毎年ひとりは平民が高等教育を受けられるよう配慮せよ」という要求を学園側に呑ませたのだ。
これでは二百年前と同じだ。
大陸の王侯貴族も落ちぶれたものだ、とミラーフィールは思う。こんなことではいけない。自分は由緒正しい貴族だ。神代からの王族だ。しっかりと勝利と支配の術を学び、ああした平民どもをちゃんと統治してやらねば。それが高貴な血を継ぐ者の務めだろう。
それにしても。平民と同じ学び舎で過ごすことになるとは、なんという屈辱か。
「――おい、聞いているのか、貴族の女! ぼやぼやするな!」
目を伏せて感慨にふけっていたミラーフィールは、生まれてこの方聞いたことのないような暴言を耳にして、はっと我に返った。
演壇のすぐ下に、先ほどの男と女がいた。ミラーフィールに向かって叫んでいる。
「俺はガラオール。入学者だ」
男は唐突に名乗りだした。ますますわけがわからない。
「プロテジェール王女ミラーフィールとやら」
そんな呼ばれ方をされたのは、十八年の人生ではじめてだった。
「あんた、主席なんだってな? ならば学園の校則は熟知しているだろう? 特に第Ⅶ項」
校則そのⅦ。
貴族王族は勇気を示せ。決闘、戦争、おおいにやるべし――だったか。
「記念すべき入学初日――さっそく俺は――あんたに決闘を申し込む」