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0.プロローグ

「お前は道具だ。人を殺す道具だ。獣を狩る道具だ。死ぬまで、殺せ。殺し続けろ」


 鉄臭い血の雨が降る大地。空から恐ろしいほど野太い声が響く。

 ここはどこなのか。いまはいつなのか。おれは何者なのか。

 ガラオールはすべてを忘却していた。

 ただただ自分を苦しめる低い大声が、鼓膜をギリギリと痛めつけてくる。この世界に存在するのは、血と大地と黒い空と、耳障りな声だけ。

 地獄。


「立て。剣を振るえ。目の前の敵を討て。奴隷のお前に、剣奴グラディエーターのお前に許されているのは唯一それだけなのだから。そうしておれを儲けさせろ。お客を骨の髄まで興奮させろ」


 声は永遠に繰り返される。

 次第に声量は大きくなり、その調子は責め立てるように厳しい。

 言葉の一つひとつが矢となり剣となり、ガラオールの魂を貫いていく。


「逃げられるなどと思うな」


 痛い。


「戦いのうちに死ぬこと。それがお前に定められた運命だ」


 苦しい。


「お前の人生には一度としてチャンスなどない。お前は人ではなく畜生なのだから」


 死にたい。


「希望など抱くな」


 まさしくそれは地獄だった。

 生温かい血の雨粒が、ガラオールの頬を伝ってどろりと地に落ちる。

 ぬらりとした死の恐怖。

 同時にガラオールのもっていた最後の自制心が、ぼろりと剥げ落ちた。

 ガラオールは絶叫する。


 そうして自分の声に驚いて、粗末なベッドの上で目を覚ます。

 いつものことだった。

 いつもと同じ悪夢が襲い来る。いつもと同じ最悪な目の覚め方をする。

 強い日差しに目を細め、ため息をついていつもと変わらぬ自分の境遇に絶望する。

 奴隷。

 ガラオールは奴隷だった。

 奴隷の中でも「剣奴グラディエーター」と呼ばれる、見世物の殺し合いを専門とする奴隷だ。常に死と隣り合わせの、過酷な巡業生活を強いられる身分。

 親の顔など知らない。友人と呼べる者はいない。

 財産を持つことは許されていない。そもそも人扱いされることすらない。

 ヴァーディース大陸においては奴隷は家畜と同じレベルの生物に過ぎない。

 ガラオールもまたウシやウマと同様の扱いを受けて育った。生き残るために必要なのは、勉強でも、社交術でも、魔術でも、ましてや金でもなく、ひたすら主人の命令に従い彼の機嫌を損ねないこと。それだけだ。

 だからガラオールは闘技場で勝ち続けた。

 猛獣を倒すと、主人は金貨をたんまり儲けて上機嫌だった。

 ライバル興行主がひいきにしている剣奴をぶちのめすと、主人はかじりかけのリンゴをガラオールに投げつけてくれた。

 いつしかガラオールには異名までつけられていた。


「小さな黒髪の獅子殺し」


 小さな、というのはつまり、ガラオールがまだ十六をようやく超えたばかりの年齢であり、かつ身長も剣奴全体の平均から見れば低いほうだから、そうあだ名されている。


 いつもなら。

 悪夢から覚めたガラオールは、「奴隷の身分」という悪夢の続きを全うするために、きょうも醜い主人の命じるまま剣を振るっただろう。

 そうする以外の選択肢が、ガラオールには与えられていない。

 強いて言うなら「死」は、唯一残された魅力的な選択肢の一つだったかもしれないが。

 しかし、しかしだ。

 「隷従」か「死」かという呪うべき二択に、新たなる一択が加わったとしたら?


 運命のいたずらか、あるいは神々の導きか。

 ガラオールは昨夜、すでに手にしていた。

 「希望」の切符を。「野望」のための方位磁針を。

 黒い血にまみれた日常を抜け出し、己の力を存分に振るうためのこれ以上ない舞台を。


「クククッ……クククククッ!」


 ガラオールはベッドの上で哄笑する。大きく体を震わせながら。


「なにが、『獅子殺し』だ。ふざけやがって」


 その眼には見るものを震え上がらせるほどの、暗い闘志が光っていた。


「なにが、『希望など抱くな』だ! なにが『家畜』だ!」


 下着の下に見え隠れする、剣奴特有の傷だらけの皮膚と引き締まった筋肉。

 機能美に優れた戦士の肉体には、破裂しそうなほどの闘気が満ちていた。

 ガラオールは立ち上がり、傍らに置いてあった木剣を手につかむ。


「いままでさんざんおれを苦しめてきた連中よ、聞け」


 ルディスと呼ばれるその木剣――「剣奴」引退の記念品である――を、まるでオリーブの枝でも折るように易々と単なる木片に変えながら、ガラオールは吠える。


「支配してやるからな。奪いつくしてやる。すべておれのものにしてやる……!」


 呪詛のようなその言葉は、もちろんガラオール本人の耳にしか届かない。

 ここは貴族院議会でも大講堂でもなく、ガラオールの小さな寝室である。

 だが、その迫力で言ったら、地球の反対側に暮らす小動物さえも、震え上がらせることができそうなほどだった。


「ウォモ・ウニヴェルサーレ王侯学園。……おれの人生最大にして最後の戦場、だ」


 ガラオールの枕の下から、よれよれになった数枚の書類がはみだしている。

 そのうちの一つには、次のような文言が記されていた。


『当学園は、当学園臨時規則百八十七条に基づき、爵位および王位の類をもたない貴殿の入学を特別に許可する』

 

 ウォモ・ウニヴェルサーレ王侯学園――王侯貴族、支配者層の子弟を教育する学園。

 各国の王たちが共同で打ち立て運営する、人類中のエリートが集まる学び舎。

 ヴァーディース大陸の華。文句なしに一級の、文化的・政治的中心地である。

 当然ながら次代の支配者が集まるという性質上、学園は同盟や政略結婚、外交や策謀の華々しい舞台でもある。王や名門貴族以外の人種など、まったくお呼びでないのだ。

 

 にもかかわらず、奴隷のガラオールはその王侯学園への入学を許可されていた。

 いかなるカラクリによってか? いかなる運命の気まぐれによってか?

 

「王族の集まる学園。いいぞ。こりゃあいい」


 興奮で赤らんだガラオールの顔が、心底愉快そうに歪む。


「王ども。貴族ども。……おれが、お前たちを支配してやる」


「王を統べる王。そうだ。お前たちが『王』なら、おれは『王の王』になってやる」 

 

 このときはまだ、ほとんどの人間が気づいていなかった。

 国民議会の威嚇的な要求を飲んで創設された、王侯学園史上初の「平民枠」。

 その枠を利用して入学するのが、当初想定されていた大商人、学者、聖職者たちのごくごく真面目で堅実で優秀な「平民」ではなく――


 ――最悪最強の奴隷、「剣奴」ガラオールであるということに。

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