だいだいの海(虹色幻想32)
お祭りがあると必ず金魚すくいをやった。
だいだい色の海に吸い込まれるように。
「お父さん、金魚とって」
「美耶子はどれがいいんだい?黒いの?赤いの?」
「オレンジの!沢山欲しい」
「オレンジ?ああ、この色が薄い金魚だね。
ようし、今すぐとってやるから待っていろよ!」
そう言うと父は腕まくりをして、金魚すくいに勤しんだものだった。
私はそんな父を見るのが好きだった。
すくってもらった金魚は大切に育てた。
私は毎日水槽を覗き、話しかけた。
金魚に飽きることはなかった。
やがて私は金魚に「橙」という名前をつけた。
そんな私を見て両親は苦笑していた。
ある日、学校から帰ったら居間に知らない男の子がいた。
キョトンとする私を見て、男の子は笑った。
「美耶子」
私の名前を言って笑った。
私は眉をひそめて男の子に聞いた。
「誰?どこから来たの?」
すると男の子は水槽を指差してニコリと笑う。
水槽?
そこには金魚がいるはずだ。
だが、金魚はいなかった。
驚いて水槽に近寄る。
もしかして飛び跳ねて落ちてしまったのだろうか?
私は慌てて周辺を探したが、金魚は落ちていなかった。
「美耶子、大丈夫だよ。僕はここにいる」
そう言って笑う男の子。
私は男の子と水槽を何度も見た。
もしかして?
「もしかして、橙?」
そう問いかけると男の子は嬉しそうに頷いたのだった。
それから私は橙と過ごした。
学校であったことを橙に話すと嬉しそうに聞いてくれた。
橙は私の一番の友達になった。
「どうして橙は人になれたの?」
「神様にお願いしたんだよ。
そうしたら叶えてくれた」
「神様ってすごいんだね!」
「うん、すごいんだよ」
そう言って橙は笑う。
私は橙の笑顔が好きだった。
「ねぇ、橙。ずっと一緒にいてね」
「うん。一緒にいるよ。美耶子が寂しくないように」
それは永遠に続くものだと思っていた。
橙はずっと私と一緒にいるものだと思っていた。
幼い私には橙が全てだった。
ある日、学校から帰ると父親が居間にいた。
共働きの両親がこの時間に家にいることは珍しい。
父は両手に顔を埋めて動かなかった。
私は声をかけることが出来ず、立ちすくんでいた。
そして気づく。
足元が濡れていることに。
視線を水槽に向ける。
でもいつもの場所に水槽はなかった。
壊れた水槽と腹を見せて動かない金魚。
私は立ちすくんだ。
死んでしまった金魚。
死んでしまった橙。
ああ、橙!!
手に持っていた荷物がぼとりと落ちた。
その音で父が顔をあげた。
とても悲しそうな顔で父は告げた。
「美耶子。お母さんは家を出て行ったよ」
「美耶子、今日お祭りに行こう」
クラスメイトの梨香が誘ってきた。
「いいけど、佐伯君と行かないの?」
「…行かない」
まだ、勇気がでないの。と梨香は弱気に言った。
梨香はモテる。
同姓から見てもすごく可愛い。
こんな可愛い子に告白されて喜ばない男がいるのだろうか?
贅沢な男だ、と美耶子は思った。
「私は美耶子と行きたいの。ねえ、行こうよ!」
「いいよ。行く」
お祭りなんて、しばらく行っていなかった。
行ったのはいつだっただろう?
「金魚すくい、したいな」
思わず言葉が出ていた。
「金魚すくい?あれ、うまく出来ないんだもの。嫌いよ。
それよりも、りんご飴とかお好み焼きとか、おいしいのが食べたいな」
梨香は祭りに思いをはせ、楽しそうだった。
夕方になり、提灯に火がともった。
オレンジ色に輝くその光は、幻想的だ。
梨香は浴衣を着ていた。
金魚の柄の可愛い浴衣だった。
よく似合っている。
二人は屋台を見回り、楽しく食べた。
「あ、金魚すくいだよ。美耶子やる?」
梨香の指差す先に、金魚すくいがあった。
子供が群がり、苦戦している様が見れた。
父親と小さな子供もいた。
まるで昔の自分を見ているようだ。
美耶子は懐かしく思った。
美耶子は屋台に近寄り、覗き込んだ。
オレンジ色の小さな金魚が狭い中を泳いでいる。
子供の頃に欲しかった、だいだい色の海がそこにあった。
「ようし、沢山すくうぞ~!」
美耶子は子供に負けじと金魚すくいを始めた。
梨香はそんな美耶子を見て笑った。
沢山の金魚を水槽に入れて眺めるのだ。
もしかしたら橙がまた現れてくれるかもしれない。
そうして笑って名前を呼んでくれるかもしれない。
そんな期待を胸に美耶子は金魚を見つめた。