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24話ローマ教皇からの書状

いつもお読み頂き有難うございます。

最近スマホでの執筆にも漸く慣れてまいりました。(変換出来る漢字が少ない)

此からも頑張りますのでよろしくお願いいたします。


フィリピン諸島の占拠から3年がたった

弘治10年(1564年)3月

遂に日本軍半個艦隊は、

ニュージーランド迄到達した。


オーストラリア・ニュージーランドは、

アボリジニ等の原住民しか居らず。

流石に言葉が通じないので統治に苦労したが、

ニューギニア島のアボリジニ系住民の中にポルトガル語を話せる住民が居た為雇って通訳にした。

海沿いを開発しながら徐々に内陸部に向かって行った。

狩猟系の民族だったので農業を教え融和政策を取りながら日本語を教えていった。

インドネシア諸島を取った為ポルトガル来る事の無い安全な土地をてに入れた。


この頃になると、琉球・台湾・フィリピン諸島等

日本の統治を認める様になり。

効率の良い農業の方法・日本の農機具・

台湾人・連れて来られた朝鮮人・フィリピン諸島

の人達からも兵員のかなり応募があり

陸軍は、マレーシアのカリマンタン島に兵学校を作り

海軍は、フィリピンのゼブ島に海軍学校を作った


現在日本海軍は、ジョボール王国を取り込みスマトラ島沖でポルトガル海軍と戦っていた。




この年の始めにルイス・フロイスがガスパル・ヴィレラを伴い来日した。


その際信長に布教許可とローマ教皇ピウス四世からの書状を携えて謁見した。


ルイス・フロイス達は、どうせ読めないのだから

サインさせてしまおうと画策しており


どうせ解らないとたかを括ってポルトガル語で信長達をバカにしながら

日本語で良いように説明した。

フロイス曰く「今は争ってしまって居るが、争いを辞めて手を取り合いましょう。」と

本来の書状の内容を簡単に言うと、

「何勝手に家の信者の領土を侵略してんだ?

許してやるから、お前ん所の領土は全部よこせ」

と書いていた。


信長は、此を読み無言で小姓としていた鶴千代(蒲生氏郷8歳)に渡し読めと命じた。


鶴千代は、流暢なスペイン語で書状を読み翻訳迄してみせた。


信長は、フロイス達にどういう事だと聞くが、返事が無いため、ポルトガル語・英語・スペイン語・フランス語で再び聞いた。

(清隆達の教育の賜物である。)


フロイス達は、何故スペイン語が読めそれ以外の国の言葉も喋れる?とパニックになり

冷静さを取り戻して自分達の失態に気付いた。

自分達が、信長の前で何を喋っていたか

そして嘘ばかりの説明をしていたのを。


信長は、フロイス達を捕らえ首を斬り塩漬けにして、マラッカに送った。

此以降信長は、キリスト教カソリック教徒から

魔王信長と呼ばれる様になり

信長は、悪乗りして第六天魔王と名乗り始めて

清秀達から、良い歳した中二病患者と呼ばれる様になった。


此に激怒したポルトガル軍は、ゴアからの2個艦隊50隻の増援を受け日本軍が居るカリマンタン島に向けて4個艦隊100隻で進軍を開始した。


ポルトガル軍の動きは、日本軍に筒抜けで(スマトラ島に監視部隊を派遣している。)日本海軍2個艦隊50隻を派遣した。


ポルトガル軍の有効射程距離600m程に対して

日本海軍の大砲は1kmと威力も段違いで有った。

ポルトガル軍の大砲は、炸裂しないので

人に当たらない限りは、凹む位で有った。


司令官である氏康は、業と相手の射程距離内に入り撃っても無駄と見せつけた上で、

射程内ポルトガル軍の後方の船から狙い沈めていった。(ゼブ島に戻った時、造船所を建設する為に来ていた清一に見つかり、しこたま怒られた)


一個艦隊程沈めた時に、ポルトガル軍は撤退行動をした為撃つのを止めさせ、一個艦隊をポルトガル軍の後方に移動させた。


風に影響されず真っ直ぐ動く日本の船と、

風に影響されて真っ直ぐ進めない帆船では、

勝負にならず後ろに回り込まれて

心が折れてしまいポルトガル軍船から白旗が上がった。


ポルトガル軍を、陸軍の居るカリマンタン島(収容所)に預けてから陸軍一個連隊(約2万)を輸送船に乗せてマラッカ城塞都市を目指した。


マラッカ城塞都市からの砲撃もあったが、

日本海軍の的確な艦砲射撃により砲台は沈黙していき、沈黙したら陸軍が城塞都市に突撃した。


砲撃がないのを良い事に連隊を率いている義久は、相手の射程外から城壁・城門に向け大砲を叩き込み壊していった。


ポルトガル軍は、手も足も出せずに降伏し

ポルトガル軍人は、カリマンタン島(収容所)に

西洋の民間人は、マラッカより追放された。

マラッカに元々居た人達は、

奴隷の様に扱われて居た為保護して御仏の思し召しと言いながら治療していった。

マラッカ周辺は、ヒンドゥー教→イスラム教と来ているので(未来の某過激派組織に成らない様に)

自発的に(弾圧は反発するので)仏教に改宗させていく事にした。(フィリピン諸島・インドネシア諸島・オーストラリア・マレーシアでも同様にしている。何か相手にメリットが有る事をしたら御仏の思し召しと言う事になっている。)


弘治10年8月海軍は、スマトラ島西部のアシュ王国を攻めたが即座に降伏した。

ジョボール王国・オランダと協力して攻めても負けたのに、単独で勝った日本に敵うはずが無い

と言う事での降伏である。


日本軍は、直ぐ様バダン・アシュを要塞化する為に動いた。


これ以降外国籍の船が、東に入る事は出来なくなった。

フィリピンやインドネシア諸島等の特産物は、

日本が全て買い取り軍や国に必要無い分をウェー島のサバンの町を窓口にして取引先をする様になった。


バダン・アシュより東に行こうとする船は、

臨検の上拘束若しくは逃げて撃沈されていった。


この頃は、ミャンマーが力を持っており今のタイ・バングラデシュ・ラオス・カンボジアを従えていた。

次は、ベトナムとミャンマーを狙っている。

ルイス・フロイス達コロコロしちゃいました。

言葉って外交の武器ですよね。

解らないと思い込んでも、その人の前で喋れると実は通じていたって言う事がありました。


大分前ですが友達と遊んでる時に、

英語?で話し掛けられ

解らないから友達と逃げようか相談していたら

「逃げなくて良いですよ。日本語話せますから」と言われた事がありました。

最初から日本語で話せよと思いながらも、

道を教えて終わりました。


最近思い出したのでルイス・フロイスにやってみました。(笑)


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