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惑星/周回/鳴り止まない

作者: ヨビネ

 『あのヒト』に好きだと伝えたくて、手紙に書いてしまった。

 誰もが持っている携帯電話なら、音声でも文章でも、好きな人に好意を伝えることはとても簡単だと思う。わざわざ紙に書いてから手渡しすることは、空想の物語にしかない。

 文具店に売っていた便箋は、飾り気の無いものだけ世間に置き去りにされ、薄いほこりを被っていた。桃色の花柄や、青と白の空模様の便箋、猫があしらわれたものや、四葉の柄ものなどは、女子たちが簡単に買っていく。あれで誰に手紙を書くのか、と疑問に思ってしまう。少なくともぼくは、あれで恋文をいただいても嬉しくない。可愛らしい便箋で恋文を書くという行為そのものが、彼女たちが誰でも持っていそうな、ただ可愛いだけの首飾りとか、髪飾りと同じに見えてしまうからだ。

 そういう人たちに見捨てられた、さみしい真っ白の封筒と便箋が哀れに感じたので、ぼくはそれを購入してしまっていたが、特に目的はなかった。手元に置いておくだけでも良いけれど、便箋である以上、何か書くのも良いかもしれない。

 忘れ去られたさみしさが込められた便箋に、何を書いたらふさわしいのかを考えた。これを手紙にすることができるのは、本当はぼくではないと思う。きっとそれは純朴で優しくて穏やかな誰かで、誰も居ない学校の教室の窓際の席で、ただの白色のこの紙に、迷いのない筆先で、恋文を書けるなら、それはきっとこの便箋にふさわしい。

 それは『あのヒト』のような人だと思った。彼女ならこの便箋のさみしさを自分ではなく、必然的に、恋の装飾品にしてしまうのだろう。ぼくはそういう『あのヒト』が好きで、『あのヒト』がこれに恋文を書いたらさぞかし素敵だとかいう、ぼくの妄想が終わるころには、ぼくの恋文が書けてしまっていた。それも、一般に手紙と認められる量ほどはある。便箋を買ったときも、これを書いている最中も、まったく目的はなかった。今までに『あのヒト』に好意を伝えようと思ったことなど、一度もない。この手紙の末路は、全国の学校に伝わる伝統のように、好きな相手に読んでもらうことと、破棄することの二択しかないだろう。

 ぼくは後者が利口だと思う。しかし、ぼくは利口な方法を選べる利口な人間ではないし、こうして書いてしまった以上、誰かに読まれなければ『手紙』ではなくなるし、これを捨ててしまうと『あのヒト』への好意も一緒に捨てられてしまうように思う。

 それは嫌だった。そうしないために、誰かに読んでもらわねばならない。

 読むのに一番ふさわしいのは『あのヒト』だ。

 友人の『かよ子』なら、ぼくを馬鹿にせず、『あのヒト』に渡してくれると思う。ぼくは何も言わずに「これを渡してくれ」とだけかよ子に言いたいが、それだけでは彼女は、なぜ自分で渡さないのか、これは何か、なんの目的で、ぼくがなぜ『あのヒト』にこれを、などと、様々なことを聞いてくるだろう。

これがなんなのかという質問は、特に答えたくないものだ。他のどの人にも、ぼくが『あのヒト』に手紙なんかを書いてしまったことを、一切、絶対に、知られたくない。本当のところは、かよ子にも知られたくない。しかし、かよ子よりも、ぼくが手紙を書いたことを知られたくない人がいる。

 最も知られたくないのは、『あのヒト』だ。

 ぼくは『あのヒト』と、ほとんど話したことはない。同じ学校、同じ教室で過ごしているので、ひとつふたつの会話はあったが、それだけで恋文を渡されては、彼女はぼくを嘲笑するかもしれない。『あのヒト』はそのような心の卑しい人ではないが、誰に笑われたとしても、『あのヒト』に笑われてしまうことは、最も耐えがたいことだ。その可能性がほんのわずかでもある限り、『あのヒト』に手紙を手渡すことはできそうにない。単なる臆病の心ゆえに、ぼく以外の誰かから『あのヒト』に手紙を渡して欲しかった。

 一番の適任は、かよ子だと思った。かよ子とは特によく話すわけでもないが、よく話すからと言って、友人の男子などには頼めない。『あのヒト』の手に渡る前に、手紙は黒板に貼り付けられ、みんなの目に晒されることになるだろう。

 そういう状況も加味すると、ぼくは手紙に宛名も差出人も書けなかった。本当は書きたかったが、もし馬鹿にされてしまうなら、誰宛でもない方が良いし、誰も書いた覚えのない方が良い。

男子は特に、色々なことを笑いたがる。もしぼくが手紙を託される役だったとしたら、おそらく笑っている。その『ぼく』は口に出せない思いを、勢いで書いてしまう気持ちを知らない。笑うことしかできないと思う。

 それは女子にも言えることだ。ぼくが嫌われていたりしない限りは、恋愛について協力してくれる女子もいるだろうが、笑いたい女子もいないとは言い切れない。

 かよ子はぼくの友人の女子の中で、一番笑わなさそうだと思った。もちろん、自分で渡したほうが誠実だし、かよ子に迷惑をかけることもない。もしも『あのヒト』と二人きりで会えたら、その時は直接ぼくから渡そうと思った。何度もぼくは「嘘じゃない、絶対に」と言い、かよ子からも『あのヒト』からも逃げない決心をした。

 だから今朝、ぼくが『あのヒト』ではなく、かよ子と、周りに誰も居ない状況で会ってしまったのは、絶対に偶然だ。それを見計らってなどいなかった。

 教室へ向かう階段の途中で、かよ子は下にいたぼくに気付いた。気付かなくても良かったのに、彼女と目が合ってしまった。「おはよう」とかよ子が言った。ぼくが返事をするまでに、おそらく数秒かかったと思う。ぼくの頭の中では、今のこの機会は捨てて『あのヒト』と二人きりになれる時を待つべきか、今ここでかよ子に頼むか、この二つを高速で行ったり来たりした。

 しかし、ぼくの口は頭より早く働いてしまった。『あのヒト』に渡してくれないか、と、当たり障りの無い言葉を選ぶことはできていた。

 かよ子に渡した封筒は、およそただの高校生が学内で持ち歩く装丁のものではない。例えば進路についての書類などの大事なものを、ある学生からある学生へ、それも別の学生を介して渡すことなど、ほとんどあり得ない。彼女がこの紙を不審に思うのは当たり前のことだろう。

 しかし、かよ子は普段からうるさく騒がない種類の女子だ。きっとかよ子はこれが恋文だと気付いているが、ぼくに無駄な詮索をすることもなく、静かな表情で「わかった」と言ってくれた。かよ子にはとくに動揺も見えなかった。

 かよ子は手紙を持ち、ぼくと同じ教室へ向かうため、階段をさらにのぼって行った。朝の授業ももうすぐ始まってしまうので、ぼくも向かわねばならなかった。かよ子もそのために少し急いでのぼったようだった。

 ぼくはかよ子が、ぼくの恋文を馬鹿にせずに、受け止めてくれたことに安堵していた。もし『あのヒト』もそうしてくれたら、安堵とともに、とても嬉しいことに違いない。その姿を見るには、ぼくが自分で渡すべきだったが、そうするにはすでに遅い。

 それに、『あのヒト』に手紙が渡りさえすれば、それだけで充分すぎるほど嬉しくなると思う。かよ子なら間違いなく、『あのヒト』に渡してくれるだろうから、あとはかよ子が「渡した」と言ってくれるのを待てば良い。

 ぼくはその時の自分の気持ちを想像しながら、弾むように階段をのぼり、かよ子に追いついたところで解った。

 違っていた。

 かよ子がぼくの渡した手紙を読んでいた。

 ぼくはその時、何か声を発したかもしれないが、音は何も聴こえていなかった。

 かよ子にぼく自身が真っ二つにされるか、踏み潰されるか、心臓を貫かれるか、どれにせよ、ひどい感覚が湧き上がってきた。

 ぼくはとにかく、状況を理解しようとした。かよ子は本当に、それが何なのか、気になっただけかもしれない。ぼくなんかが突然、何も言わずに『あのヒト』に渡したいというものが何なのか、かよ子には想像できなかったのかもしれない。かよ子が関係する色恋の話は、どこからも聞いたことがない。こういうことに疎いのかもしれない。きっとそうに決まっている。

「本当にあのコを好きなの」

 かよ子が言ったセリフは、ぼくを現実に引きずり戻した。かよ子はやはり、その手紙を『あのヒト』への恋文だと理解していながら、『本当に』『あのヒト』への『恋文』なのかを確認したのだ。

 他人宛の手紙を、それも恋文を読むなんて、普通は考えられない。それが答えでも、ぼくは理解したくなかった。かよ子に何を言っていいのかわからないまま、数時間ほどに感じる数秒後、かよ子が言った。

「渡してあげるよ」

 ぼくは驚いたが、渡してくれるのか、と安心すらしてしまった。しかし、普通に渡してくれるのなら、かよ子が読む必要はない。かよ子の真意がわからないまま、本当に、と返した。

「うん、別のコに。レンアイの話とかが大好きな、バカな女子とかに」

 ぼくは背骨の底から振動を感じて、すぐに、返してくれ、と言ったが、

「嫌。それか、ちゃんとあのコに渡してもいいよ。あのコ、付き合ってるコ居るけどね。ていうかあんな良いコに、付き合ってるコ居ないわけないじゃん。なのにラブレターとか超恥ずかしいよね、とか言いな

がら」

 ぼくは彼女が言い終わらないうちに、さっきよりも激しい口調で返せと叫んでいたのだが、かよ子の反応は冷やかになるばかりだった。

「返して欲しいってお願いするのに、そんな言い方」

 かよ子は手紙を封筒に戻した。

 ぼくは言葉が詰まった。

「あたし、あんたの言うこと聞かなきゃいけないの? でも、あんたがあたしの言うことを聞いたら、返してあげるけど」

 彼女がぼくを見下しているのは、上の階段に居るからではないと感じた。心からも、ぼくを上の方から見ていた。

「聞くよね」

 笑いもせずに言い切った。かよ子は手紙を、制服の上着の内ポケットに仕舞った。

 階段をのぼらなければ教室に戻れないのに、かよ子はなぜか軽やかな足取りで、下へおりて行く。通りすがるとき見たが、かよ子の表情は楽しそうではない。

 動けないぼくを下から見上げ、「来てよ」と言った。それには「どうしてついて来ないのか」という、苛立ちがこもっているように感じた。ぼくの体はぼくの思う通りには動かず、かよ子の言う通りに動いてしまった。

 足が勝手に歩きながら、ぼくは何度も何度も、かよ子について考え直した。

かよ子は幼なじみの友人だが、かよ子の大人しい性格のせいで、たくさんの会話はしていない。かと言ってかよ子自身は、頑なに無口というわけではなく、誰とでも談笑している。品行方正な女子でも、目立たない地味な男子とも、髪を茶色にした騒がしい女子とも、制服すら着ていないような、不真面目な男子ともだ。

 しかし、そんな人たちは、多くがたった数分でかよ子との会話を終える。ぼくはかよ子と幼なじみなので、そんな人たちよりは、かよ子と長く話している。かよ子について、他人よりもぼくの方が理解していると思っていた。それでも、かよ子が「こんなこと」をするなんて、想像もつかなかった。ぼくの頭の中では答えが見つからないことはわかっているが、考えをやめることはできなかった。

 かよ子についていきながらずっと考えていたせいで、周囲の様子が入って来なかった。始業の鐘の音で周りの風景に気付かされた。学校の玄関には教員も学生もいない。

 かよ子は何事もないように靴を履き替え、かかとで玄関の石を叩きながら外へ出た。

何も理由をつけずに授業を受けないなんて、やったことがない。もしやるとしても、誰かの許しをもらうか、言い訳をしたかった。靴を取り出す手が止まっている間に、外に出ていたかよ子が戻ってきて、ぼくを眺めていた。

 その姿は、ぼくが靴を履き替えるのを待っている、と思う。

 靴など履かずにさっさと戻ってしまいたいが、彼女が手紙をぼくに返すか、どこかに捨ててくれない限り、かよ子から目を離せない。ぼくが見ていない間に、かよ子が先ほど言っていたとおり、『あのヒト』以外の人に渡されてもたまらない。

 学生か教員に呼び止めてもらいたかったが、外へ出ても誰の姿も見えない。大人たちの出勤も子供たちの登校も、終わってしまっている。ぼくとかよ子だけが、昇り切った朝日の下にいた。葉桜が風に吹かれていて、雲も見当たらない。住宅街に入っても、誰もいないなんて有り得ないはずなのに、誰も歩いていない。まるでかよ子のための世界のようだった。普通の人なら、仕事や学校へ行くため、朝早くに出てしまい、今の時間は出歩くこともないが、それ以外の人もいるはずだ。

 ぼくはそう思ったが、これはすぐに理解した。ただ単純に、ぼくとかよ子が「それ以外の人」なのだ。

あの手紙ひとつさえ無ければ、きれいな朝の姿に気分も晴れただろうが、今の状況から抜け出せるなら、教員に怒られた方がだいぶましな気分になれるかもしれない。それくらい思っているのに、学校から離れるほど、教員の助けは無くなっていく。

 照明のついている家でも、誰も窓の傍を通ったりしない。隠れ進んでいるわけでもないのに、ぼく以外のすべての人が、かよ子に味方しているように感じる。太陽だけはぼくたちを見ていたが、彼は誰かに密告などはしない。

 建物の中に誰かを探しながら、ぼくはかよ子の進むままに後ろについていた。かよ子はたまにぼくを見ていた。ぼくがきちんとついてきているか、確かめているのだと思う。

 昨夜、恋文を書いていた時間と現在では、雲泥の差がある。

 書いていたときには気付かなかったが、あの恋文を書き続けろと言われたなら、簡単にそうできると思う。『あのヒト』への好意をふくらませるのは、幸せに近かったかもしれない。その手紙をかよ子が『あのヒト』へ渡してくれさえすれば、ぼくはもっと幸せに近付けたかもしれなかった。それなのになぜ、かよ子は手紙を渡してくれないのだろう。

 ぼくとかよ子は幼稚園からの幼なじみだ。幼なじみの友人の恋を馬鹿にせず、応援してくれてもおかしな話ではない。もし幼なじみではなくても、普通はどんな人でも恋文を頼まれた場合、とまどったりいやだと思ったりしても、その場で見ることなどしない。

 かよ子は「普通」の中に収まらない「それ以外の人」なのかもしれないが、彼女のそのような片鱗は今まで見たことはない。

 かよ子が突然立ち止まって、ぼくになにか差し出してきた。光を反射して光るものだったので、見た瞬間は何かわからなかった。彼女は「手出しなさいよ」と言った。それは市販されている飴の缶だった。ぼくはほとんど心無く、手のひらを上に向けて差し出していた。かよ子は乱暴に缶を振り、氷のような白色の飴を出したところで「ハズレ」と言った。

 かよ子は自分でも飴を取り、赤色のものを食べた。ぼくのものはハッカだと思う。

「ハッカは外れ」

 その時ぼくは声に出して言おうとは思っていなかったと思うが、それはかよ子の耳に届いていた。

「だってまずいでしょ。なんで入ってるのかわかんない」

 かよ子はさっさと歩き出していたので、後姿のままぼくに話していた。

 ハッカ飴がなぜ入っているのかわからないとかよ子は言うが、ぼくの別の疑問がふくれ上がる。

 かよ子はぼくに「手紙を返して欲しいなら、あたしの言うことを聞け」とはっきり言ったはずだ。そして言うことを聞かなければ、ぼくに返さず『あのヒト』以外の人に渡すかもしれない、という可能性までちらつかせた。

 脅迫。

 ぼくはそう感じたがすぐに、そんなものではない、と頭のどこかが反論した。大人しく、穏やかで、優しく、欠点が表に出ず、誰にでも、一定の思い遣りができるかよ子が、誰か宛の恋文を奪い去り、幼なじみの友人を脅迫などするわけがない。『あのヒト』に手紙を渡してもらうならかよ子以外に居ない。それに飴をくれたし、とどこからか浮かび上がる。

 ぼくはハッカ飴をかみ砕いた。本当に不味い味がしたし、存在が口内に残る感覚は最悪だった。脅迫した相手に飴をわけるなんて、ぼくの疑心がふくれるだけだ。彼女の行動が理解できなかった。かよ子のことを信じていたのに、と最後にどこかが呟いた。

 たった数分歩いていただけで、かよ子の家についてしまった。ぼくは心から「誰かに不審がられて声をかけられますように」と願っていたが、成就しなかった。残る望みはかよ子の自宅に誰かが居てくれることだ。

「誰も居ないよ。あたしが最後に出るから」

 家に誰かが居るのなら、のこのこと家に戻らないだろう。ぼくは誰か居てくれるよう願いはしたが、かよ子の言っていることの方が納得できる。彼女はぼくを自宅に招き入れると、しっかりと鍵をかけてしまった。 

 この家には、何度も出入りしたことがある。ぼくとかよ子が幼なじみである以前に、お互いの両親が関係深いからだ。かよ子の部屋に入ったことはないが、家族共用の広い部屋は知っている。部屋のカーテンを開けたかったが、かよ子の目の前で行うわけにもいかなかった。かよ子もこの家に誰か居ることを、誰にも知られたくないのだろう。いつも明々と点いている電灯も、今日は点けようとしない。カーテンを通りこして来る陽光のみで、薄明るい部屋の中では、誰にも助けを求められなくなってしまった。

 かよ子はソファに座ってぼくを見ていたが、ぼくは落ち着けずに立ち竦み、思わず「なんで」と言っていた。どんな声色だったか自分ではわからないが、かよ子はそのたった三文字の意味を、一瞬ですべて理解したと思う。そういう表情でぼくを見ていた。しかし、彼女は「別に。座ったら」としか言わなかった。

 ソファに対面する木の椅子は冷たく居心地が悪くて、今からでも全速力で逃げ出したい気持ちになる。そうなったら彼女は最初にぼくに言ったことをやってのけるだけだと思うと、乾いた笑いも浮かんで来た。

 この際、二人きりになれたのだから、何か考えて、何か言って、かよ子がどうしてこんなことをするのかを聞いてみる、これくらいしかできることはない。どうせ外からの干渉はほとんど無いし、この家にはぼくとかよ子だけだし、ぼくを助けてくれる人もいないのだから、ぼくが自分でなんとかするしかない。

しかし、誰にも助けを求められないのは、かよ子も同じだ。かよ子もわざわざ誰かに、この状況を知られたくないはずだ。いざとなれば女子ひとりくらい、そこまで思ってしまったが、そんな方法を取るわけにはいかない。本当の「いざ」のときはそうするしかないのかもしれないが、そのときこそ全速力で逃げるべきだ。

 逃げる前にとれる方法もある。完全に無視することだ。あの手紙には宛名も差出人も書かなかった。手紙が黒板に貼り付けられようが、思い遣りのない女子に見られようが、全く他人のふりをしてしまうこともできる。かよ子が「あいつが書いたんだ」と言ったところで、ぼくがしらを切れば「誰かが誰かに恋文を書いたらしい」という程度の噂にとどまるだろう。ぼくの臆病ゆえに書かなかったのだが、それが吉と出るかもしれない。

「あの手紙、名前なかったけど、逃げたらあのコに言っちゃうからね」

 ぼくから溜息が出た。

 逃げたり無視したりする前に、かよ子から手紙を穏便に返してもらい、今度こそ自分で『あのヒト』へ渡さなくてはならないと思い直した。そうすれば、『あのヒト』への好意も手紙も、悪い方へ転がらない。

「他人に任せるとか恥ずかしくないの?自分で渡せばいいじゃない。それでも笑われるかもしんないけどね」

 いい加減にしてくれ、とぼくは即答したが、かよ子はぼくの言うことは完全に無視した。

「あのコが誰と付き合ってるか知ってる?」

 そんなことは知りもしないし、知りたくもない。もし『あのヒト』に彼氏が居たとしても、ぼくは恋文を書いたかもしれないし、書かなかったかもしれない。ぼくにとっては大した問題ではないので、知らない、とだけ言って話を終わらせたかったが、かよ子はいやにしつこく言った。

「見せてあげる」

 かよ子にどういう思惑があるのだかも知らないが、ぼくにとっては完璧に嫌がらせだ。好きな人の好きな人を見たいという人はこの世に多いのだろうか。少なくともぼくはそんな人間ではない。当然「いらない」と言ったが、かよ子は冷静に、適切な言葉に言い直した。

「見なさいよ」

 かよ子の領域内で、ぼくの意見は認めないと、かよ子は言い方で表わしてきた。これを断れば次は「ハイって言え」という言葉になるかもしれない。かよ子の指が携帯電話の光る画面をなぞり、画像を出して突きつけてきたのは、『あのヒト』とかよ子が口付けしている写真だった。

「何だよこれ…」

 ぼくがこぼれ落とすように呟いても、かよ子は無視した。

『あのヒト』と付き合っている人を見せると言って、かよ子と『あのヒト』の、口付け、をしているところの写真を出した。

 かよ子が携帯電話を仕舞うまで、ぼくは目を離せなかった。

 女子と女子で、本気で付き合ってるなんて、それとも、ふざけているだけかもしれない。でも、それをなぜ写真なんかに残すのか、何で見せてくるのか、何がしたいのかわからなくてかよ子を見ると、彼女もぼくに大きな瞳を向けていた。

「どう思う」

 えっ、と口にして落ち着かなければ、気がふれたように怒鳴り散らせたかもしれない。

ぼくの手紙とその写真の、一体どちらが話題性に富むだろう。一体どちらが明日の黒板を飾り、一体どちらが人々の目を多く集め、一体どちらがより面白いだろう。

「…無いんじゃねえの、女同士とか」

 表面上だけ取り繕って、同性と恋愛をすることに理解をしめすふりもできた。本当の本心のとおり、「気持ち悪い」と言ってやることもできた。しかしそろそろ、かよ子に対する恐怖に近いものが、明らかな苛立ちに変わり始めた。そこで、わざと打ち消しの言葉で返してやったが、かよ子は「ふーん」としか言わなかった。そんな無機質な返事をもらうくらいなら、本当に気持ち悪いと言いたくなったが、本心を言っても返ってくるのは「ふーん」になるだろう。

 かよ子はぼくがどう返すのか、ただ見たいだけのようだ。ぼくが女同士の恋なんか認めなくても、どうでもいいのだろう。

「ねえ、手紙返すまであんたを言いなりにして良いのよね」

「良くはねえよ」

 ぼくからそれを良いとは言えない。かよ子はさっきの話はもういいらしく、次のことをしたいようだ。しかし、この状況を認めるわけにはいかないし、何をされるかわかったものではない。

 もしかするとかよ子の行動は、仕返し、かもしれない。自分の彼女に恋文を書くなんて、腹立たしいと思っても不思議ではない。そうなると次にかよ子がぼくに求めるものは、辱めとか、痛みとかであってもおかしくない。そんなことは以ての外だ。ぼくは慌てて、頭の中をまとめられないまま発言してしまった。

「大体、お前に逆らったって、今すぐどうにかなるものじゃないし、力づくでだって」

「しないでしょ」

 かよ子がぼくを理解した上で、何もかも行っているように見えてしまい、ぼくは口をつぐんだ。

 『仕返しに燃える憎悪の女』にしては、かよ子は冷徹で、ぼくはそれを恐ろしく感じた。

 ぼくは『あのヒト』がかよ子と付き合っているのなら、『あのヒト』がぼくの手紙を読んでも、かよ子に不誠実な行動はとらないと確信している。かよ子も『あのヒト』を好きなら、『あのヒト』がそういう人であることを知っているはずだ。『あのヒト』はそういうところが、誰からも憧れられていた。

 『あのヒト』のことを考えれば、ぼくがどんな手紙を書こうと、何の心配もないと思う。しかし、他人の心など目視できない。誰がどう思っているのかなんて、本当はわからない。かよ子の行動と『あのヒト』についてと、ぼくの恋文、すべてがおかしな方向へ放物線を描いている空想をした。

「セックスしたい」

 たかがこんな言葉だが、頭を巨大な槌で殴られたくらいに感じた。空想は更にばらばらと離れていった。かよ子が何を言っているかは理解できるが、かよ子が何を言いたいのか理解できない。

「この歳で処女って恥ずかしいんだって」

「しない!」

 ぼくは必死で、なんとか気持ちを言葉にした。声が震えたかもしれない。それすら認識できなかったが、とにかくまっすぐな拒否の言葉を言えたはずだ。

「誰があんたなんかと」

 それはぼくが言いたくて、喉までやってきたのをどうにか帰らせたものだ。

「好きな人としたい」

 かよ子に暴言を吐いて手紙を奪って疾走する前に、ぼくは目の前の机に頭を打ち付けた。

 かよ子はとにかく機嫌が悪い。機嫌が良ければ、もっと話さないのがいつものかよ子だ。周りの友人からのかよ子の評判は「聞き上手で優しい子」だ。

「あんたなんか好きじゃない」

 かよ子にとっては、これでもべらべらと話している方で、聞いてもいないことをべらべらと話すのは、機嫌が悪いからだ。

 かよ子はぼくを監視しているように見つめていたが、何かしなければ何も終わらない。自分の鞄から携帯電話を取り出してみたが、かよ子は何も言ってこない。時間を見ると、十時近くになっていた。授業の一時限目が終わってしまっていることに落胆した。

 ぼくが携帯電話を見ることを狙っていたかのように、突然画面が変わった。メールを受信したことを知らせるものだ。

 それは男子の友人からで、「休み? 風邪にしといた」という簡単な質問だった。不謹慎だとわかっているが、今の状況と別のことであるならば、風邪で家にいるほうが良い、と思ってしまった。彼にはお礼と「行けたら行く」とだけ打ち、送信した。

 この状況について相談しようかとも思ったが、他人に漏らすほどの大事件とも言えない気がした。それに、男子は友人であっても信用ならない。彼が別の誰かにばらし、その別の誰かがまた別の誰かにばらし、そのまた先に広まってしまうのは、ぼくにもかよ子にも良くないと思う。今の段階では相談は諦めた。

 かよ子はまだ見ているかと思ったが、彼女も同じように携帯電話の画面を指でつついていた。同じようなメールが彼女に届いているのかもしれない。

 彼女の文字を打つ指先はいやに細くて弱弱しいけれど、ぼくに向かう言葉と態度は、強い悪意か敵意か、それに似た刃物のように思えた。

「あんたあの子とセックスしたくないの」

 そういう方向の話には返事をしたくなかったので黙っていた。

「あの手紙、付き合ってのつの字もないし、男が女に書く手紙じゃないわよ。セックスしたくなさそう。それに名無しだし」

 一般の常識では、かよ子の考えが正解だと思うが、ぼくはそう思っていなかった。

 手紙を書いているときの、普通ではない感覚は、今まで感じたものの中で、一番のものだった。

 意図せずに加速していき、意図せずに減速し、意図せずに停止していた。開いていた穴にぴったりの詰め物が入る感覚、と言ってしまえば脳内の性行為と言える。それはぼくひとりで完結して満足したのだから『あのヒト』とのそんなことなんて、想像したこともない。

 それに、ぼくは『あのヒト』の、歩く時の姿とか、飾り気の無いペンケースとか、それを選ぶ彼女の感性とか、長くない睫毛、荒れていない肌、他の女子たちと変わらない黒髪とか、いつでも伸びている背筋とか、切りそろえただけの爪とか、そういうところが好きだった。他人に『あのヒト』と性行為をしたくなさそうと思われるのならそうなのだろう、と改めて納得してしまった。

「……好き過ぎて書けちゃった系」

 もしかしてそうなのでは、とぼくも思っていたことだが、今のはかよ子が言った。

「みんなさあ、ばかじゃないの。恋だの好きだのでこんな恥ずかしい手紙書いちゃったり、眠れなくて真夜中に電話してきたり、喋ってる間に泣いちゃったり、ほんとバカ。好きな人に言えばいいのに、なんで

みんなあたしなんかに」

「……かよ子なら笑わないで聞いてくれると」

 本心から、最初から、ずっとそう信じていたので、ぼくはすぐにこれを言っていた。

「笑い種」

 かよ子は笑っていない。怒っている。

 『みんな』とは誰のことだろう。

 もしかして『みんな』とは、「聞き上手で優しい子」のかよ子に、ぼくのように頼った人たちなのかもしれない。

 眠れないことに耐え切れなくて、それでも好きな相手になど言えなくて、たまらずかよ子に電話をかけてしまった人とか、かよ子に恋の相談をしている間に、たまらず泣き出してしまった人とか、一人で暴走して手紙を書いてしまったぼくとか、そういう『みんな』が寄ってたかって「かよ子、助けて」なんて言いながら、かよ子の彼女である『あのヒト』を好いていたとしたら。

 かよ子が怒るのも仕方ない、かもしれない。

 果てしない方向へ飛び交っていたあらゆる情報が、かよ子の周りで円を成した。ぼくの内部からざわざわと、かよ子に悪いことをしたかも、という罪悪感のようなものが浮かんできた。

 この想像はかよ子の言っていることを、都合よくつなぎ合わせたようなものだ。本当に本当なら、かよ子に謝罪するべきかもしれないが、実際はわからない。

「みんなあたしが、えーマジでー?協力するよー! なんて言うとでも思ってるのかな」

「別に、そうだとは」

「じゃあ何であたしにこんなもの渡すのよ」

「『みんな』は好きな人に、お前みたいな態度とられるより、他人にバカにされたほうがマシなんだよ」

「あたしの気持ちなんか考えないのよね? みんな」

「『みんな』は知らねえけどこっちの話なら、何でお前がそんなにブチ切れるのかわかんねえよ。お前の気持ちとか何だよ、例えばお前が俺を好きかもしれないとかか?他人へのラブレター頼んだら悲しまれるかもとかか?」

「ふざけんじゃないわよ、何でそんな幸せな想像できんの?信じらんない。あたしが笑顔でわかったーって言って手紙渡してあげるって妄想くらい下らないロマンスだわ、馬鹿げてる!」

「馬鹿げてんのはそっちだろ、茶番に付き合ってられねえよ!手紙返せ、そしたら」

 謝るから!とぼくは叫びそうになって止めた。かよ子の目に涙が浮かんでいた。ぼくの罪悪感は怒りに変わりそうだった。

 かよ子は、きちんと話して、謝ればわかってくれるはずだ。

 ロマンスを夢見て悪かった。かよ子の彼女に恋文をしたためて悪かった。『みんな』がかよ子を求めておきながら、誰もかよ子を好きでなくて悪かった。

 こんな謝り方、かよ子に本当にふさわしいのか、ぼくにはわからない。

「付き合ってらんないなら勝手にどこにでも行きなさいよ。この手紙あんたの友だちのフツーの男子に渡すから。女子は影からあんたを見て笑うけど、男子だとどうなるかわかるでしょ」

 そう言うだろうと、想像できていたセリフだった。

「なんで」

 ぼくは二回目の言葉を口にした。今回もかよ子は理解した。

「……あんたも一番もらいたくない相手からラブレターもらってみなさいよ」

「お前宛じゃない、別の人に」

「だからよ」

「だから、お前の彼女にラブレター書いて悪かったって」

 それを聞いたかよ子は、突然ぼくを馬鹿にするような顔になった。

「何それ?どんだけ自分の都合いいように考えてるの。鈍感ってだけじゃ済まされないわよ。そんなんじゃなくて、もっと不幸な想像して」

 かよ子はぼくの言葉を待たずに続けた。

「もっとあんたが不幸で、絶対あり得ない想像して。あんたも恋で不幸になって、ピーピー泣くべきよ!」

 ぼくは何かを言おうとしたが、かよ子の言っていることの意味もわからなくなってきた。二人ともいつの間にか突っ立って問答していて、隠れるようにしていたのに大声をあげていた。

 泣くべきぼくではなく、かよ子が泣いていた。

「戻んなさいよ学校」

 かよ子が目をこすりながら言った。ぼくはきちんと謝ったほうがいいのか、かよ子を一人にしないほうがいいのか、言われた通りにしたほうがいいのか、全くわからなかった。気の利いたセリフも思い浮かばない。下手なことを言うと、またかよ子は怒るかもしれない。

 何が最善なのか、何が最悪だったのか、わからなかった。ぼくが一人になりたかったので、外に出た。

周りに気付かれたくないだの、気付かれたいだのは、すでに全く気にしていなかった。足音も忍ばせていなかったし、扉もかなり乱雑に閉めた。

 太陽はかなり上まで昇っていた。携帯電話で時間を見ると、十一時になっていた。さっきから一時間も経ったのかと思うと、何となく気色が悪かった。太陽もこっちを笑っているように思えた。

「おい」

 ぼくは驚いて「わっ」と言ってしまった。声をかけてきたのは朝にメールをくれた友人だったが、こんな時間にここに居ることはあり得ない。そのせいでかなり驚いてしまった。ぼくは反応しないまま彼を見ていた。

「なんかかよ子が来いって。すぐ戻るけど。お前ら何してたの」

「何もない!」

「あっそう、全然怪しくないね」

 彼は軽口を叩きながら、かよ子の家に入っていった。ぼくはもう一度、携帯電話の時計を確認した。時間が気になったわけではないが、気持ちが落ち着かなかったので、なんとなく携帯電話を開いたのだと思う。かよ子はどうして、彼を呼び付けたのだろう。あのとき文章を打っていたようだったのは、彼に来るようにメールを送っていたのだろうか。一体何のために、

『この手紙あんたの友だちのフツーの男子に渡す』

 ぼくは振り返り、走り出す勢いで踏み込み、彼が閉めた家の扉を開けようとしたが、勝手に開いてぼくの手にそれがぶつかった。

 真っ白になっていた頭に、痛みのせいで思考が舞い戻った。

「まだ居た」

 先ほどかよ子の家に入った友人が、あまりにも普通の顔をして出て来た。しかし手には間違いなく、ぼくが書いた恋文がある。かよ子から受け取ったに違いない。やっぱりかよ子は渡してしまったのだ。それなのに彼はあり得ないほど普通の顔をして、普通の声色で、普通の動きでその手紙をぼくの胸に押し当て、

「あげる」

 と言った、ので、は、と声を出す。

「お前に渡せって言われたって……言わずに渡せって言ってたけど、何なんだよ。ケンカでもしたの」

「…してない」

「怒ってたぞ」

 彼は言うだけ言って、学校のほうへ歩いて行った。

 手紙は間違いなく、ぼくが『あのヒト』に宛てた手紙だった。

 黙って渡せと言っていたかよ子が、ぼくに何を言いたいのか、少しもわからなくなった。わざわざ彼にこれを渡させた理由はなんなのだろう。ただ単に、自分から渡すのが気恥ずかしかったからとか、こんな状況を作り出してしまった以上、素直に返すのが悔しかったからとか、ぼくは考えたが、他にも可能性はある。

 もしかして彼も、眠れぬ恋のせいでかよ子に電話をかけ、喋っている間に泣き出したりして、かよ子以外の誰かを好きで、そのせいでかよ子に話すしかなかった『みんな』の内の一人だったのかもしれない。

 ぼくの妄想はどちらが都合良く、どちらが不幸なのだろう。

 ぼくはかよ子の言っていたことを、必死で頭の中で回転させていたが、『あのヒト』への手紙を握り潰してしまっていた。

創作サークル「Ananas」 呪文アンソロジー参加小説

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