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SHOOTING STARS  作者: 福永涼弥
本編
7/22

三村桜花(3)

 稔の手が、あたしの頭をぽんぽん、と撫でてくれた。その感触は、なんだかとってもあったかかったけれど、正直あたしは戸惑っていた。だって。

 ……どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 どうしてあたしは泣いていて、あたしにしかわからないはずの苦しみを他人に、しかもよりにもよって大嫌いな稔にぶちまけているのだろう。

 マリンの仔が死んでしまったこと。秋華に――――大好きな妹に『うそつき』と言われたこと。苦しかったのに、泣けなかったこと……。そういったことを、稔が黙っているのをいいことに、あたしは泣きじゃくりながら言い続けた。涙が枯れるまで泣いたのは、たぶん生まれて初めてだったと思う。稔が差し出してくれたタオルは、もう既に涙でぐちゃぐちゃになってしまっている。


「あたしって……あたしって、薄情なのかな。こうやって陰でこそこそ泣いてるのって、薄情なのかな……?」


 こうやって、稔なんかの前で泣くくらいなら、昨日ちゃんと家で泣いておけばよかったのだ。そうすれば、秋華もきっとわかってくれたはず。つらいのは、自分だけじゃないってことを。しっかり者で、秋華にとっては『うそつき』なおねーちゃんだって、マリンの仔が死んでしまったのが悲しいのだってことを。

 だって、あたしだって秋華と同じかそれ以上にマリンのことが大好きなのだから……。


「いや、今のおまえが泣いてる場所はどこからどう見ても陰じゃないぞ」


 稔がそうやってまぜっかえしてくるのが、今日ばかりはありがたかった。うちの家族の仕事を『バカげている』と以前言った稔に、今回の件について大真面目にコメントされたくない。


「だから、おまえは薄情なんかじゃないって。桜花は、こうやってちゃんと仔馬の死を受け止めて、それで泣いてるわけだから。それは、ここで見てた俺が保証する」


 床にしゃがみ込んで泣いてしまったあたしに、稔自身も同じようにしゃがみ込んでそう言う。眼鏡の奥のその目は普段からは考えられないほどまっすぐで、あたしは一瞬、ここで向かい合っている相手が本当に稔なのかどうか悩んでしまった。その稔の目から、ふっと力が抜ける。けたけた、といういつもの稔らしい笑いかたをする。


「いやぁ、珍しいもの見させてもらったわ」

「……う~」


 かなり盛大に泣いてしまったせいか、いつも稔と向かい合っているときのような調子が出ない。なんだか恥ずかしくなってしまって、あたしはおもわずうつむいた。


「ま、どっちにしても」


 よいしょ、と言いながら稔は立ち上がり、膝を伸ばす。そしてそのまま膝に手を置いて、しゃがみこんでいるあたしに向かって笑いかけてくる。


「そんなに難しく考えることないんじゃない? 桜花は悲しかったんだろ? そうやって泣けるだけまだいいと思うけどな、俺は」

「……うん」


 でも、こうやってこんなところで泣いていては、あたしの思いは誰にも届かない。一部始終を見ていた稔にしか、あたしの悲しみはわからないのだ。

 あたしが今の思いを伝えたい相手は、秋華なのに。あたしだって悲しいということをきちんと秋華にも伝えて、それで……一緒に、泣きたいのに。


「ほら、いつまでも座ってない。スカート、しわになるぞ」

「あ、う、うん……」


 自分の世界に浸っているあたしに、稔が手を差し出してくる。その手に今日ばかりは素直につかまって、立ち上がる。もう一度、頭に稔の手が伸びてくる。ぽんぽん、と頭を撫でてくれる優しい感触。なんだか、嬉しかった。


「さてと。後は俺やっとくから、桜花、おまえ早く帰れよ」


 すっかり忘れてた。そういえばあたしと稔は日直の仕事中だったのだ。ずいぶん時間が経ってしまったらしくて、さっきまで聞こえていたざわめきが消えている。


「え、でも、あとはあたしの仕事……」

「そんなのいいから。ほら、さっさと帰って、妹にがつんと言ってこい!」


 そう言いながら、稔はあたしの鞄に手を伸ばし、出しっぱなしになっていた筆箱を鞄に詰め、そしてあたしに鞄を持たせる。まだよくわかっていないあたしの背中を、稔がとん、と押す。

 あたしの意識が、ようやく一点に集中する。前に進む気力が身体の底から湧いてくるのが自分でわかる。足が勝手に前に出る。稔に背を向けて走り出そうとして、思いとどまって振り向く。


「稔! ありがとねっ」


 ちょっと笑って、稔は手を振ってくれた。その笑顔に励まされるように、あたしは廊下へ飛び出した。いつもよりも荷物が多い日だったはずなのに、鞄がやけに軽い気がするのが不思議だった。

 前に稔に言われたことを、許してもいいかな、という気になった。




 家に帰って部屋のドアを開けると、そこには秋華のランドセルと、あの子が気に入っている馬のぬいぐるみが転がっていた。


「……なんだ、いないのか……」


 外に見当たらなかったからここだと思ってたけど、外れだったみたいだ。とりあえずランドセルを秋華の机の上に置き、ぬいぐるみを2段ベッドの上段(秋華のベッド)へと戻そうとして、ぬいぐるみを拾い上げる。と、なんだか妙にぱりぱりとした感触。よく見てみると、何かで濡れたような跡がある。きっと、秋華はゆうべ、このぬいぐるみを抱きしめて泣いていたんだろう。電気も点けない暗い部屋で泣き続ける秋華を思うと、胸の奥がぎゅうっとなる。

 ごめんね、秋華。一緒に泣いてあげられるおねーちゃんじゃなくて、ごめんね。

 秋華に、そう伝えたかった。いつもいつも一緒にいるのが当たり前すぎて、あたしは秋華に何かを伝えようと思ったことがなかった。でも、今は違う。秋華に、あたしの気持ちをきちんと伝えたい。

 でも、外にいないとなると、秋華は一体どこにいるんだろう。とりあえず、部屋の窓から外を見渡す。と、牧場のすみっこに小さな人影を見つけた。いた。あそこは……ゆうべ、マリンの仔を埋めた場所だ。まだ寒いのに、上着も持たずにひっそりと座っている。

 ちゃちゃっと着替えを済ませて、秋華の上着を持ってあたしは部屋を出た。

 言わなくちゃ。ちゃんと、秋華に言わなくちゃ。

 秋華のいる場所へ、気持ちを落ち着かせるためにゆっくり歩いて向かう。秋華の小さな背中が、徐々に近づいてくる。そして……あたしは立ち止まった。


「……秋華」


 声をかけると、秋華の小さな背中がぴくん、と震える。けれど、こっちを振りかえろうとはしない。膝を抱えて、背中を丸めて座り込んでいる。


「ほら、風邪ひくわよ」


 秋華の背中に上着をかけて、隣に座る。避ける様子もなく、秋華はちらっとあたしを見る。泣きはらした目でじいっと見られてしまって、あたし、言おうとしていたことをすっかり忘れてしまった。……やばい、何をどうすればいいのかわからなくなってきた。

 沈黙、沈黙、また沈黙……沈黙が嫌いなあたしにとって、この状況はかなりきついものがある。風が強くなってきたせいで、ますますお寒い状況になってきてしまっているし……ああもう、いつもは能天気なくせに、どうしてこういうときにだけ黙ってるのよ、秋華っ。


「……おねーちゃん」


 あたしがそんなことを考えていると、ふいに、秋華がぽつんとつぶやいた。鼻をぐずっとすすり上げて、秋華は続ける。


「マリンの仔、おなかの中でもう死んでたって、ほんとう?」

「……うん」


 あたしのその言葉に、秋華は再び黙り込む。風が吹いて草をざわざわと揺らす。その音のおかげで、沈黙がそれほどつらくはなくなった。


「だったら……」


 秋華の声が震える。涙がひとすじ、秋華の真っ赤なほっぺを伝っていく。秋華の次の言葉を、あたしは息をのんで待った。秋華の唇が、動く。


「生まれる前に死んじゃったのなら、マリンの仔は、どうしてマリンのおなかの中に来たの?」


 ――――え? ちょっと待って、どうしてって、そんなの……。


「おなかの中で死んでたってことは、外では生きていけないってことでしょ? それなのに、どうして? 死んじゃって、こうやって埋められちゃうために、そのためだけにマリンのおなかの中に来たわけじゃないよね?」


 ……そんなこと、考えたこともなかった。だって、うちは競走馬の生産牧場で、新しい命を生み出すことがうちの仕事で、そんな仕事をしていれば今回のことみたいなのは時々あることらしくって、そういう場合にはただ運が悪かったと思うしかないのであって、どうしてその命が宿ったのかなんて、考え出したらキリがないわけだし……それに、正解なんてあるわけがないのだし、そんなことを今まで一度も考えたことがなかったあたしには、どう答えたらいいのか見当もつかない。


「どうして……? 死んじゃうのに、どうして……!?」


 それだけ言うと、秋華はぼろぼろと涙をこぼした。あっという間に、ほっぺが濡れていく。ひくっ、としゃくりあげたかと思うと……


「おねーちゃ……うわぁぁぁああんっ」


 あたしにしがみついて、昨日と同じくらいの激しさで泣きだした。糸が切れたかのように大泣きする秋華を見ていられなくなって、あたしは秋華をぎゅうっと抱きしめた。あたしの目にも、涙が滲む。

 ごめんね、秋華。頼りないおねーちゃんで、ごめんね。一緒に泣いてあげることはできるけど、あたしじゃあんたに答えをあげられない。だって、あたしはまだまだ子どもなのだから……。


「……あら?」


 ふいに、頭の上から声が聞こえた。わんわん泣いている秋華は気づいてないみたいだけれど、その声にあたしは顔をあげた。夕陽を背中にしょったお姉ちゃんが、あたしたちを見ていた。



「……『マリンの仔が、どうしてマリンのおなかの中に来たのか』……?」

「だって、マリンの仔は生きられなかったんだよ? 死んじゃうためにおなかの中に来たわけじゃないでしょう? そうだとしたら、そんなの変だよ、おかしいよぉ」


 星が輝き始める頃。ようやく泣き止んだ秋華が、お姉ちゃんに必死になって説明をする。秋華を真ん中にして、右側にお姉ちゃん、左側にあたしという座り方で、3人並んで話をする。普段は勉強が忙しいお姉ちゃんと、秋華と、こうやって3人揃って話をするのはなんだか久しぶりな気がした。そんな無茶な質問をぶつけられてしまったお姉ちゃんは、さっきのあたしと同じように黙ってしまい、しばらく地面をじいっと見つめた後、ゆっくりと口を開いた。いつもの、ほんわかとした優しい口調で。


「ええっと……じゃあ、私なりの考え、言ってもいい?」


 秋華が、首を縦に振る。あたしも、お姉ちゃんをじっと見つめる。


「マリンの仔はね、もちろん、生まれてくるためにおなかの中に来たんだと思うわ。お父さんも、お母さんも、桜花ちゃんも秋華も、私も。みんな、マリンのおなかの中に来てくれた仔馬がちゃんと生まれるの、待ってたわよね? おなかの中に来たからには、生まれなくちゃいけないの。……わかるかな?」


 なんとなくわかるような気がするけど、でも、マリンの仔は死んじゃった。生まれてくるために宿ったはずの命は、消えてしまった。だったら、生まれてくることができなかった仔馬は、一体どうなるのだろう?

 あたしが混乱しているのをよそに、秋華は納得したかのような顔で黙っている。……どうしよう、あたし、秋華よりずっと年上なのによくわかってない。


「それがわかるから、死んじゃったマリンの仔は、生まれることのできなかったマリンの仔はどうなるんだ、って思ってるでしょう? 『死んじゃったらそれで終わり』って、そう思ってるわよね?」


 この質問には、あたしも秋華もこくんと頷く。だって、死んじゃったらもう何もできない。あたしたち家族が楽しみにしていた、マリンの仔が走る姿を見ることも、絶対にできない。

 一体何を言いたいんだろう、と思ってお姉ちゃんの方を見てみると、お姉ちゃんは地面に生えている草を触っていた。そして、マリンの仔を埋めたあたりを優しい目で見ている。


「でもね、1度生まれた生命には終わりはないの。死んでしまってここに埋められているマリンの仔は、ここから新しいものを生み出すのよ」

「え?」


 予想外の言葉に、あたしと秋華は目を丸くした。そんなあたしたちの反応を見て、お姉ちゃんは説明を始める。


「ここに埋まっているマリンの仔の体はね、土に(かえ)るの。えっと……秋華にはちょっと難しいかな。つまり、マリンの仔の体は、土のごはんになるの。そうすると、ごはんを食べて元気になった土から、草が生えてくるの。草は……うちでは何になる?」


 そう聞かれて、あたしと秋華は顔を見合わせた。しばらくお互いの顔を見て考えていたあたしたちは、同時に正解に気がついて叫んだ。わかった。そういうことだったんだ!


「馬のごはん!」


 そうだ。土からは草が生える。そしてその草は、うちにいる馬のエサになる。そして、その草を食べて仔馬は育ち、母馬はその草を食べて新しい命を産みだす。

 ああ、そうか。命はつながっているのか。

 心の奥から、あったかいものが湧き出てくる。秋華が、笑顔でこう言う。


「じゃあ、マリンの仔がうちを元気にしてくれるんだね!」

「そう。だから、無駄じゃないでしょう? 桜花ちゃんも、秋華も元気になれたでしょう? 命は、またここから始まるのよ」


 秋華にも負けない笑顔で言うお姉ちゃん。すっかり元気になってはしゃぎまわる秋華。それを見ていたら、心の奥から湧き上がってきたあったかいものが、言葉になって出てきた。

 獣医になって、その命の循環を助けようとするお姉ちゃん。

 命の循環の中で生きることを目標にしている、秋華。

 あたしだって、負けてはいられない。


「……マリンの仔の命は、またどこかで新しい命になるんだよね……」


 お姉ちゃんと秋華が、動きを止めてあたしを見る。空一面に広がった星と満月が、あたしの行く先を照らしてくれる気がする。

 見ててね、あたし、ちゃんと誓うから。


「だったら、あたし、その新しい命に乗りたい。それで……牡馬だったら菊花賞、牝馬だったら桜花賞か秋華賞を勝ちたい。あたし――――絶対に、騎手になってみせる!」

話の流れ的に土葬にしましたが、もしかしたら火葬が一般的なのでしょうか……?

もしもそうなら申し訳ありません。

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